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ヴァルヒャ(Helmut Walcha)|バッハ:前奏曲とフーガ イ長調 BWV536
バッハ:前奏曲とフーガ イ長調 BWV536
(organ)ヘルムート・ヴァルヒャ 1950年6月12日&15日録音
Bach:前奏曲とフーガ イ長調, BWV536
自由な形式によるオルガン曲の概要
バッハのオルガン作品は膨大な量に上るのですが、それらを大雑把に分ければ概ね以下の3つにぶ分類されるようです。
- コラールに基づく作品
- 自由な形式による作品
- 教育のための作品
コラールに基づく作品は教会オルガニストとしての本務を果たすためのものであり、約200程度の作品が知られています。
教育用の作品は、おそらくは子ども達のために書かれたと思われる作品群で、6つのトリオ・ソナタが最も有名です。
それに対して、自由な形式によるオルガン作品は、バッハという音楽家の音楽的な思考力とオルガンという楽器に対する名人芸の発露が封じ込められた作品群だといえます。それ故に、このジャンルに対する取り組みは生涯にわたって続けられ、それを辿ることでバッハという音楽家の作曲技法がいかに発展していったかが反映されています。
ただし、それらの全てを詳述する能力は私にはありませんので、ヴァルヒャがモノラルで録音したものと、ステレオ録音としてパブリックドメインとなっている1962年までに録音されたものを抜粋して簡単に解説を記しておきます。
この土・日は図書館から借りてきた「バッハ事典」などを首っ引きでそれらの録音を聞き通してみました。大変ではあったのですが、こうして通して聞いてみると、一つ一つの音楽を単独で聴いていたのでは分からない事がたくさん見えてきて(例えば、いかにバッハと言えでも年とともに変化し成熟するんだ・・・等々)貴重な経験となりました。
バッハ:前奏曲とフーガ ハ長調 BWV531
おそらくは1707年以前、アルンシュタット時代に作曲されたものと思われます。
「春の嵐のようなものが吹きあれている曲」と言われることもあるように、若きバッハの輝きが感じ取れる作品です。
9小節にもわたる足鍵盤のソロで始まる前奏曲は、その様なバッハの若々しさがあふれています。
前奏曲とフーガ ニ長調 BWV532
「前奏曲とフーガ」と題された作品は10数曲残されていますが、その大部分はヴァイマール宮廷でオルガニストをつとめていた時代の作品が大部分です。ライプツィッヒ時代に作曲されたと思われる作品もいくつかありますが、現在の研究ではそれらの大部分も原型はヴァイマール時代にさかのぼるものが多いそうです。
その様な数ある作品の中で、最も有名で華やかさにあふれた作品がこのBWV532のニ長調作品です。
冒頭の力強い上行音階はいかにも若きバッハの精神の高揚がうかがえますし、何よりもフーガ部における壮大な4声フーガは圧倒的です。ペダルの演奏には特に高度なテクニックが要請され、オルガニストとしての自信に満ちあふれています。
前奏曲とフーガ ホ短調 BWV533
ブクステフーデを聞くために長い旅をも辞さなかったバッハの多感な青春時代の息吹が感じられる作品です。当然の事ながら、そこにはブクステフーデの影響が色濃く表れていて、手鍵盤による16分音符の流れるようなパッセージと才気に富んだ即興は当時のアルンシュタットの聴衆を戸惑わせたと伝えられています。
この独特な雰囲気を持った作品はメンデルスゾーンが好んで演奏したことでも有名です。
前奏曲とフーガ ヘ短調 BWV 534
おそらくは、ヴァイマル時代の後期の作品と思われます。前奏曲では即興性が影を潜め、それに変わって作品を明確な意志のもとに統一しようという方向性がはっきりと表れた作品です。
バッハのオルガン作品の中ではそれほど知名度は高くないのですが、悲劇的な情熱に満ちた音楽であり、豊かな旋律を持った美しい音楽に仕上がっています。
また、前奏曲は最後の部分にトッカータ風のコーダがつけられていて、その後にフーガになだれ込んでいく部分は実に印象的です。
前奏曲とフーガ ト短調 BWV 535
この作品の前奏曲は3つの部分に分かれるそうです。
まずは、手鍵盤の合間に足鍵盤がアクセントのようにはいる導入部。次は、手鍵盤のみで演奏される中間部。この中間部では32分音符が連なる早いパッセージがオルガニストの腕の見せ所だそうで、とくに半音階的に下降していく部分は半小節ごとに鍵盤を交替させて音色を変える必要があるようでかなりのテクニックが求められます。
そして、終結部では再び足鍵盤が追加されて華やかに締めくくられます。
まさに、オルガニスト、バッハの腕前を披露するにはピッタリの作品だったようです、・・・なんて思ったのですが、専門家の言によるとわりあい演奏しやすい部類にはいるそうです。ただし、聞き映えのする作品であることは間違いなく、聞き手をうならせる効果は十分にあります。
作曲年代については特定されていませんが、オルガニストとして活躍したヴァイマール時代の作品であることについては間違いないようです。
前奏曲とフーガ イ長調 BWV536
ヴァイマル時代後期の作品と言われているのですが、音楽の雰囲気からするとそれ以前のアルンシュタット時代の作品を改訂したものと思われます。その前奏曲は分散和音を主体とする短いもので「春の日がさんさんと降りそそぐような」と形容される音楽です。それに続くフーガも牧歌的な雰囲気で歌に満ちた音楽になっています。
ただし、一見すると単純に見えるこの音楽は演奏する側にとっては弾きにくいことで有名な作品だそうです。
その難しさは「フレージング」と「アーティキュレーション」をきちんと意識して演奏しないと牧歌的な歌が鮮やかに浮かび上がってこないことに起因しています。
前奏曲とフーガ ハ短調 BWV 537
この作もヴァイマル時代の後期のものと考えられています。パッヘルベル風の長いオルゲルプンクト(持続低音」の上に悲痛な主題が歌われます。この主題の核をなすのは二度下降の「ため息」と呼ばれる音型であり、ここで展開されるのは明らかにオルガンによるイタリア風の「歌」です。
それに続くフーガは前奏曲とは対照的に強い意志に満ちた厳しい音楽になっているのですが、中間部では一転して穏やか表情に戻ります。しかしそれもまた、再びトリルによって断ち切られて、高貴で決然とした音楽として締めくくられます。
短いながらも充実感のある作品です。
前奏曲(トッカータ)とフーガ ドリア調(ニ長調) BWV 538
この作品は明らかにニ短調で書かれているのですが、いわゆる「調号」を使った記譜がされていないので「ドリア調」と一般的に言われています。
前奏曲という形式は即興的な楽想を持った作品の名称なのですが、この作品は冒頭の半小節で提示される16分音符の音型が全体を構成する基本要素となっています。つまり、バッハはこの作品においては即興的な腕前を誇示するよりは統一感を持った音楽を構築しようとしているようです。
ただ、この小さな基本要素の音階関係を変化させていくだけでは単調さは免れないので、合奏協奏曲における総奏とソロの対比のような音色と音量の対比を持ち込んでいます。
また、それに続くフーガの部分もきわめて強い統一感に貫かれていて、シュヴァイツァーは「巨大な方石で造られたアーチの橋」と評しています。
前奏曲とフーガ ニ短調 BWV539
あまり有名ではないのですが、「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番」のフーガ楽章をオルガン用に編曲し、そこに手鍵盤だけによる前奏曲をくっつけた作品です。そのために、「ヴァイオリン・フーガ」と呼ばれることもあります。
「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」はケーテン時代の作品ですから、このオルガン曲はケーテン時代かその後のライプティッヒ時代の作品と考えられています。
このフーガをヴァイオリンで演奏するのは大変なのですが、オルガンだとかなり余裕を持って音色を変化させながら演奏することが出来ます。オルガンとヴァイオリンによる雰囲気の違いを楽しむのも一興です。
トッカータ(前奏曲)とフーガ ヘ長調 BWV 540
バッハのオルガン曲でトッカータと言えば「ニ短調 BWV565」が圧倒的に有名なのですが、聞けば分かるようにこの作品は音楽の雄大さという点でそれをしのぎます。その意味で、数あるバッハのオルガン作品の中でも、いや、バッハの数ある作品の中でも最も素晴らしい音楽の一つだといえます。
冒頭のトッカータは全く異なる二つの主題から成り立っていて、第1部の主題はハ長調できっぱりと終始します。そして、それに続く二部は一部とは対照的な激しさを持った音楽が展開されます。
面白いのは、これに続くフーガはトッカータとは全く何のつながりも持たないことです。
バッハ学の研究によると、トッカータ部分はヴァイマール時代、フーガ部分は数年後のケーテン時代に作られたものだと推測されるようです。そして、このフーガは、オルガンによるフーガとしては珍しい4声の二重フーガになっているのです。
この別々に作られたと思われるトッカータとフーガが組み合わされたこの作品は、同じ形式を持ったバッハのオルガン作品の中では規模的にも最も大きいものになっています。
前奏曲とフーガ ト長調 BWV 541
この作品もまたヴァイマル時代後期のものとされているのですが、「BWV 534」や「BWV 537」の悲劇的な雰囲気とは全く異なります。そのために、一部の学者の間ではライプティッヒ時代初期の作品ではないかという意見もあります。
ちなみに、この作品はバッハのオルガン作品にしては珍しく自筆譜が残されていて、それは1733年頃に浄書されたものらしいです。
前奏曲も、それに続くフーガも陽気で躍動感に溢れた音楽になっています。
幻想曲(前奏曲)とフーガ ト短調 BWV 542
「BWV578」が「小フーガ」と称されるの対して、この「BWV542」は「大フーガ」と呼ばれます。
幻想曲(前奏曲)はケーテン時代に、フーガはヴァイマル時代に作られたものですが、この二つをあわせて一つの作品としたのはバッハ自身であることは間違いないようです。
雄大で深い感情に満ちた幻想曲の出だしはあまりにも有名であり、ストコフスキーがこれをオーケストラ編曲してよく演奏したのでさらに広く知られるようになりました。それ以外にもエルガーがオーケストラ編曲をしていますし、リストもピアノ曲として編曲しています。つまりは、それだけ魅力のある音楽だと言うことです。
さらに、フーガもこの上もない荘厳さに満ちた音楽であり、「大フーガ」という呼称に恥じない見事さです。
前奏曲とフーガ イ短調 BWV 543
この作品を称して「オルガンによる線の研究」とよんだ人がいました。手鍵盤による単音のみで前奏曲の主題が提示されるのですが、その旋律の横へのラインをいかに美しく描き出すかに力が注がれています。
それはフーガにおいても同様で、16分音符による横への動きがメインとなっています。
リストがピアノ用に編曲しているのですが、その様な音楽の特性があったからでしょうか?
なお、前奏曲はヴァイマル時代に、フーガはケーテン時代に原型が作られてライプティッヒ時代に完成されたものと考えられています。ただし、その二つは全く異なる時期に作られながら、音楽としてはその二つが結びつくことで初めて一つの音楽として成り立つような強いつながりを持っています。
前奏曲とフーガ ロ短調 BWV 544
ライプティッヒ時代のバッハはカントールという職務上、カンタータの作曲が活動の中心となるのですが、その様な中で一から書き下ろされた数少ないオルガン作品の一つです。おそらくは、ドレスデンあたりでオルガン演奏会があり、そのために作られたと想像されるのですが、もしかしたらヴァイマル時代に下書きがあったものをもとに完成させたのではないかという説もあります。
しかしながら、この作品を完成させたのは円熟期にあったライプティッヒ時代のバッハであり、数あるバッハのオルガン作品の中でも完成度と洗練度という点では抜きんでています。
前奏曲は7つの部分からなる協奏曲風の構成であり、その雄大さはバッハのオルガン作品の中でも群を抜いています。
また、フーガも壮大なクライマックスを形作り、そこにはバッハのロ短調作品に共通してみられる華麗さがあります。
前奏曲とフーガ ハ長調 BWV545
非常に簡潔で短い作品ですが、前奏曲では足鍵盤によるモティーフを主体としながら重厚な音楽が展開されます。続くフーガは簡潔なものですが、「歌唱的ポリフォニー」の典型と言えるような滑らかなラインが特徴です。
この作品も最終稿はライプティッヒ時代のものなのですが、作品自体はヴァイマル時代に完成していたものと考えられています。
前奏曲とフーガ ハ短調 BWV 546
ヴァイマル時代に作られたフーガに、ライプティッヒ時代の前奏曲が合わさった音楽です。前奏曲は7部構成の協奏曲風の構成を取っていて、バッハの前奏曲の中でもその美しさは際だっています。それだけに、若い時代の、それもどちらかと言えば地味なフーガがこの充実した前奏曲に組み合わされているのは少しばかりバランスが悪いというのが通説になっているようです。
でも、バッハがそれでいいと思ったんだから、後世の人間がとやかく言うような話ではないのですが・・・。
前奏曲とフーガ ハ長調 BWV 547
これもライプティッヒ時代に書き下ろされ数少ないオルガン作品の一つです。
ライプティッヒ時代の特徴は前奏曲の規模が大きくなって、協奏曲風の華やかな構成を持つようになることです。ですから、「BWV546」のように、そこへヴァイマル時代の中でもとりわけ地味なフーガがあわされるとバランスが悪く感じるのですが、ここではわずか1小節の短い主題から壮大な5声のフーガが生み出されます。
まさに驚嘆に値するフーガであり、ヴァイマル時代のハ長調フーガと区別するために「ライプティッヒのハ長調」とよばれることもあります。
前奏曲とフーガ ホ短調 BWV 548
これもライプティッヒ時代のオルガン作品であり、その雄大さと表現の偉大さゆえに「2楽章のオルガン交響曲」とよばれることもある作品です。
前奏曲は11の部分からなる壮麗なものであり、そこではオルガンが持っている可能性の全てが駆使されていて、多くのオルガン奏者から「偉大なホ短調」と呼びならわされてきました。
また、フーガは主音を軸として音程が次第に上下に広がっていくので、イギリスではこれを「楔」とよぶことがあったようです。
どちらにしても、このような様々な呼び方が存在すると言うことが、この作品の偉大さの証しなのかもしれません。
ただし、オルガン奏者にとっては、この作品のフーガは最も緊張を強いられる難曲中の難曲だそうです。
前奏曲とフーガ ト長調 BWV 550
バッハのオルガン作品の中では最もシンプルな作品の一つです。一般的にはヴァイマル時代の作品と言われるのですが、このシンプルさはそれよりも前の若い時代の作品の特徴でもあるので、実際はそれよりも前の若書きの作品かもしれません。
全体としてはいささか単調ではあるのですが、心地よさに満ちた音楽であることも事実です。
前奏曲とフーガイホ短調 BWV 551
この作品も「BWV550」と同じように、ヴァイマル時代よりも前の若い頃(おそらくは、アルンシュタット時代の初期作)の作品と考えられています。ブクステフーデに代表される北ドイツオルガン楽派とよばれた音楽の強い影響下にある作品です。
幻想曲とフーガ(未完) ハ短調 BWV 562
幻想曲はヴァイマル時代の作品で、何ともいえない深い静けさとわびしさに満ちた音楽で、一度聞けば忘れることのできないほどの魅力に溢れています。
残念なのは、この幻想曲に続くフーガをライプティッヒ時代にバッハは構想したらしいのですが、残念なことに27小節以降が未完成のまま放置されてしまっているのです。
この素晴らしい幻想曲に続くフーガが完成しなかったのは、返す返すも残念と言わざるを得ません。
トッカータ、アダージョとフーガ ハ長調 BWV 564
ヴァイマル時代のバッハはイタリア音楽を熱心に研究したと伝えられているのですが、ここではその成果がはっきりと反映しています。
バッハ学ではこれをバッハの「イタリア体験」とよぶそうなのですが、もちろんバッハは一度もイタリアを訪れたことはありません。バッハという人は終生北ドイツの片田舎で音楽活動をおくった人なのですが、それでも当時のヨーロッパにおける音楽活動の動きに対してはきわめて敏感だったのです。その一端をバッハ学では「バッハのイタリア体験」とよぶのだそうです。
ここでは、彼が親しんできた北ドイツのオルガン音楽にイタリア協奏曲の様式を持ち込んで融合させようとしたきわめて独創的な試みが為されています。
その意味では、バッハのオルガン・トッカータの中でも特異な形式を持った音楽だといえます。
トッカータ・アダージョ・フーガという三楽章構成なのですが、中間部のアダージョは明らかにヴィヴァルディ流の中間楽章がイメージされています。実際、その中間楽章は明らかにヴァイオリンかオーボエによる協奏曲の緩徐楽章の様式で書かれています。
トッカータとフーガ ニ短調BWV565
クラシック音楽などには何の興味もない人でも、この冒頭のメロディを知らないという人はまずいないでしょう。その強烈な下降パッセージからは若きバッハのあふれんばかりの覇気を感じ取ることができます。
また、この作品の特徴として、ひんぱんに速度が変化することがあげられます。それは前半のトッカータの部分でもそうですし、中間のフーガでもその終結部ではめまぐるしく速度が変化します。この変化をどのように処理するかは演奏者に任される部分が多く、まさにオルガニストの腕の見せ所だといえます。
この作品はいつ頃作曲されたかについてはいくつかの説があり未だに確定していません。しかし、ブクステフーデやスウェーリングなどの強い影響から抜け出して、バッハらしい緊密で簡潔な様式へと脱皮をとげた作品であることは間違いありません。さらに、ヴァイマル時代(1708?1717)のバッハはオルガニストとしての名声が高まり、各地に招待されることも増えてそのための作品も数多く作られた時期なので、おそらくはそのころの作曲されたものだというのが有力です。
幻想曲 ト長調 BWV 572
ヴァイマル時代の作品とみる説もあるのですが、様式的にはそれ以前の若い頃の作品とみられています。
面白いのは、「トレ・ヴィトマン(非常に早く)」「グラヴマン(荘重に)」「ラントマン(緩やかに)」とフランス語でテンポ表記された3つの部分に分かれることです。
バッハが何故にここでフランス語を使ったのかは、さすがのバッハ学を持ってしても未だに謎だそうです。
なお、中間の「クラヴマン」の部分は、その壮麗さゆえに婚礼用の音楽としてよく使われたそうです。
即物主義に時代におけるバッハ
アルヒーフはレーベルとして出発したときから、ヴァルヒャを使ってバッハのオルガン作品をまとまった形で録音することを宣言していました。宣言したのは1949年だったらしいのですが、ヴァルヒャの録音は1947年からスタートし、取りあえずは1952年で一つの完結をみました。
これがヴァルヒャによる最初のモノラル録音によるバッハ、オルガン作品集でした。
このサイトでもその録音の幾つかは紹介しているのですが、50年代に入ってからの録音は超絶的に音が良いのが特徴です。この時に使っていたオルガンはやや小振りの楽器らしいのですが響きがとても美しいのが印象的だったのですが、その美しさが50年代のものとは到底思えないほどのクオリティで見事にすくい上げられています。
ところが、1950年代の中頃に、録音のフォーマットがモノラルからステレオに変わります。このフォーマットの変更に伴って進行中の録音活動が大幅に変更されるというケースが少なくなかったのですが、ヴァルヒャによるバッハ録音も路線変更を強いられたようです。
言うまでもないことですが、47年から52年にかけて行われた録音には「バッハオルガン作品全集」などと銘打たれているのですが、その言葉通り「全曲」が収録されているわけではありません。大きいところでは「フーガの技法」などが欠落しています。
しかし、録音のフォーマットが大きく変わりつつある中で、最新技術である「ステレオ録音」と「SP盤の時代の録音」を一つにして「全集」とするには抵抗があったのでしょう。
アルヒーフはきっぱりとモノラルの録音はモノラル録音として52年に「ほぼ全集」の形でけじめをつけて、1956年からステレオ録音による全曲録音を目指します。
ただし、この録音は何が原因なのかは分からないのですが、随分と手間取ることになります。
まずは、1956年に、モノラル録音での大きな欠落だった「フーガの技法」をステレオ録音することで再スタートするのですが、その後は1962年にトッカータや幻想曲などを集中的に録音しただけでストップしてしまいます。そして、1969年に入ってから再び録音活動が再スタートして70年にステレオ録音による二つめの全集が完成することになります。
このステレオ録音では、ゴットフリート・ジルバーマンによって作られた「ジルバーマン・オルガン」が使われています。
これは、「大オルガン」といわれるもので、モノラル録音の時に使われた小振りなオルガンとは響きの点で随分と違っています。私たちが教会のパイプオルガンと言うことで想像する壮麗な響きを持っているのがこのタイプのオルガンです。
ですから、オルガンそのもの響きの美しさという点ではモノラル録音に軍配が上がるのですが、教会の聖堂に鳴り響く三次元的な響きという点ではステレオ録音のほうに軍配が上がります。
さらに言えば、そう言う壮麗な響きであっても、ヴァルヒャは一つ一つの声部が響きの中で混濁することを決して良しとしていません。そのために、きわめて繊細にストップが使われていて、バッハのポリフォニーがこの上もなく明瞭に聞き取れるように配慮が為されています。
バッハの音楽が即物主義の時代にどのように捉えられたのかを知る上では貴重な録音です。
確かに、ヴァルヒャ以後の、例えばコープマン等の演奏を聴けば、音楽はもっと躍動感に満ちていますから、こういう演奏スタイルが時代遅れになっていることは否定できません。
特に、ステレオ録音の場合は15年という長い歳月にわたっているのでヴァルヒャの衰えも否定できず、とりわけ70年に入ってからの演奏では随分と「丸い」音楽になってしまっています。
その意味では、モノラルとステロの端境期である56年と62年の録音が、録音のクオリティとヴァルヒャの絶頂期が上手く重なった時期と言えるのかもしれません。
この演奏を評価してください。
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- 最高、これぞ歴史的名演(ξ^∇^ξ) ホホホホホホホホホ>>>9~10
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