クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~



AmazonでCDをさがすAmazonでケンペン(Paul van Kempen)のCDをさがす
Home|ケンペン(Paul van Kempen)|チャイコフスキー:組曲第4番 ト長調 Op.61 「モーツァルティアーナ」

チャイコフスキー:組曲第4番 ト長調 Op.61 「モーツァルティアーナ」

ケンペン指揮 コンセール・ラムルー管弦楽団 1955年1〜2月録音



Tchaikovsky:組曲第4番 「モーツァルティアーナ」 「第1楽章」

Tchaikovsky:組曲第4番 「モーツァルティアーナ」 「第2楽章」

Tchaikovsky:組曲第4番 「モーツァルティアーナ」 「第3楽章」

Tchaikovsky:組曲第4番 「モーツァルティアーナ」 「第4楽章」


スランプ期の作品・・・?

チャイコフスキーは第4番の交響曲を発表してから次に第5番を生み出すまでに10年の歳月を要しています。そして、この10年の間に弦楽セレナードなどに代表される多楽章からなる管弦楽曲のすべてが作曲されています。
チャイコフスキーの多楽章からなる管弦楽曲と言えば以下の通りです。

まずは、弦楽セレナード、そして4つの組曲、さらにはマンフレッド交響曲の6曲です。マンフレッド交響曲は、その標題性からしても名前は交響曲でも本質的には多楽章構成の管弦楽組曲と見た方が自然でしょう。
まず第4交響曲は1877年に完成されています。
・組曲第1番 :1879年
・弦楽セレナード:1880年
・組曲第2番 :1883年
・組曲第3番 :1884年
・マンフレッド交響曲:1885年
・組曲第4番 :1887年

そして、1888年に第5交響曲が生み出されます。
この10年の間に単楽章の「イタリア奇想曲」や幻想的序曲「ロミオとジュリエット」なども創作されていますから、まさに「非交響曲」の時代だったといえます。
何故そんなことになったのかはいろいろと言われています。まずは、不幸な結婚による精神的なダメージ説。さらには、第4番の交響曲や歌劇「エウゲニ・オネーギン」(1878年)、さらにはヴァイオリン協奏曲(1878年)などの中期の傑作を生み出してしまって空っぽになったというスランプ説などです。
おそらくは、己のもてるものをすべて出し切ってしまって、次のステップにうつるためにはそれだけの充電期間が必要だったのでしょう。打ち出の小槌ではないのですから、振れば次々に右肩上がりで傑作が生み出されるわけではないのです。
ところが、その充電期間をのんびりと過ごすことができないのがチャイコフスキーという人なのです。

オペラと交響曲はチャイコフスキーの二本柱ですが、オペラの方は台本があるのでまだ仕事はやりやすかったようで、このスランプ期においても「オルレアンの少女」や「マゼッパ」など4つの作品を完成させています。
しかし、交響曲となると台本のようなよりどころがないために簡単には取り組めなかったようです。しかし、頭は使わなければ錆びつきますから、次のステップにそなえてのトレーニングとして標題音楽としての管弦楽には取り組んでいました。それでも、このトレーニングは結構厳しかったようで、第2組曲に取り組んでいるときに弟のモデストへこんな手紙を送っています。
「霊感が湧いてこない。毎日のように何か書いてみてはいるのだが、その後から失望しているといった有様。創作の泉が涸れたのではないかと、その心配の方が深刻だ。」
1880年に弦楽セレナードを完成させたときは、パトロンであるメック夫人に「内面的衝動によって作曲され、真の芸術的価値を失わないものと感じている」と自負できたことを思えば、このスランプは深刻なものだったようです。
確かに、この4曲からなる組曲はそれほど面白いものではありません。例えば、第3番組曲などは当初は交響曲に仕立て上げようと試みたもののあえなく挫折し、結果として交響曲でもなければ組曲もと決めかねるような不思議な作品になってしまっています。
しかし、と言うべきか、それ故に、と言うべきか、チャイコフスキーという作曲家の全体像を知る上では興味深い作品群であることは事実です。

<組曲第4番 ト長調 Op.61>

第1楽章 「ジーグ」
原曲は「小さなジーグ K574」
第2楽章 「メヌエット」
原曲は「メヌエット K355」
第3楽章 「祈り」
原曲はかの有名な「アヴェ・ヴェルム・コルプス K618」ただし、原曲そのものではなくて、リストが多の作曲家の作品とくっつけて自由にピアノ編曲をした「システィーナ礼拝堂にて」という作品を下敷きにして編曲するという手の込んだことをしている。
第4楽章 「主題と変奏」
原曲は「グルックの歌劇<メッカの巡礼>の主題による10の変奏曲 K455」
多の3曲と較べて規模の大きな音楽で、作品全体の半分以上を占めています。


チャイコフスキー指揮者ととしての面目躍如の演奏

ケンペンは、20世紀前半におけるオランダの音楽界を代表した3人の一人といえます。
他の二人は言うまでもないことですが、メンゲルベルグとベイヌムです。ただし、メンゲルベルグとベイヌムはあくまでもオランダを活動の拠点にしていたのに対して、ケンペンはドイツを活動の本拠にしていました。その事が、ケンペンの芸風に大きな影響を与えたように思えます。
メンゲルベルグの濃厚なロマンティシズムとも、ベイヌムの近代的な見通しのよい演奏とも異なる、重厚で剛直な演奏が持ち味の人でした。

ケンペンは1893年にライデン近郊の町で生まれ、早くからヴァイオリンに親しんでいました。その才能は早熟で、17才で早くもコンセルトヘボウの一員としてむかえられています。しかし、その後どのような事情があったのかはよく分かりませんが、20代の前半で活動の拠点をドイツのオケに移します。各地の地方オケでコンサートマスターを歴任したあとに、1932年にはオーバーハウゼンで指揮者としてのデビューを飾り、ついには34年にドレスデンフィルの指揮者にむかえられます。その後は、ベルリンのオペラにも招かれ、42年にはカラヤンの後任としてアーヘンの指揮者に招かれます。
しかし、ナチス政権下におけるこのようなキャリアアップは戦後の戦犯容疑者のリストに名前が連なることとなり、メンゲルベルグやフルトヴェングラーと同じく指揮活動が制限されることになってしまいます。その制限が解除されるのは49年であり、さらにドイツでの活動が再開されるのは53年からになります。
ですから、ここでの録音はようやくにして制限は解除されたものの活動の範囲がオランダに限定されていた時代のものです。

ケンペンと言えば一般的にはベートーベンやブルックナーなどのいわゆるドイツ正統派の作品演奏に定評のある人でした。重厚であるとともに剛直さを失わないその演奏は、月並みな言い方で申し訳ないのですが、ドイツ人以上にドイツ的なゲルマン的ガッツにあふれたものでした。ですから、そのような作品を演奏するにはピッタリの資質だったといえます。
しかし、それと同時にチャイコフスキーの演奏においても高い評価を受けていました。それは、想像すれば分かるとおりに、ロマンティックな感情を前面に出したようなメンゲルベルグなどとは全く異なる、ガッチリとした構造の背後から次第次第に熱いものがこみ上げてくると言う性質のものです。その中でも、この51年に録音された第5番や第6番「悲愴」はケンペンのチャイコ振りとしての美質が最もよくあらわれたものです。
是非とも一度お聞きあれ!!

この演奏を評価してください。

  1. よくないねー!(≧ヘ≦)ムス~>>>1~2
  2. いまいちだね。( ̄ー ̄)ニヤリ>>>3~4
  3. まあ。こんなもんでしょう。ハイヨ ( ^ - ^")/>>>5~6
  4. なかなかいいですねo(*^^*)oわくわく>>>7~8
  5. 最高、これぞ歴史的名演(ξ^∇^ξ) ホホホホホホホホホ>>>9~10



735 Rating: 5.0/10 (187 votes cast)

  1. 件名は変更しないでください。
  2. お寄せいただいたご意見や感想は基本的に紹介させていただきますが、管理人の判断で紹介しないときもありますのでご理解ください
名前*
メールアドレス
件名
メッセージ*
サイト内での紹介

 

よせられたコメント

2008-05-25:ケンペンを偲ぶ





【リスニングルームの更新履歴】

【最近の更新(10件)】



[2024-03-19]

パガニーニ:ヴァイオリン協奏曲第1番 ニ長調, Op.6(Paganini:Violin Concerto No.1 in D major, Op.6)
(Vn)ジノ・フランチェスカッティ:ユージン・オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団 1950年1月15日録音(Zino Francescatti:(Con)Eugene Ormandy The Philadelphia Orchestra January 15, 1950)

[2024-03-17]

チャイコフスキー:交響曲第2番 ハ短調 作品17 「小ロシア」(Tchaikovsky:Symphony No.2 in C minor Op.17 "Little Russian")
ディミトリ・ミトロプーロス指揮 ミネアポリス交響楽団 1946年3月10日~11日録音(Dimitris Mitropoulos:Minneapolis Symphony Orchestra Recorded on March 10-11, 1946)

[2024-03-15]

ハイドン:チェロ協奏曲第2番 ニ長調 Hob.VIIb:2(Haydn:Cello Concerto No.2 in D major, Hob.VIIb:2)
(Cello)アンドレ・ナヴァラ:ベルンハルト・パウムガルトナー指揮 ザルツブルク・モーツァルテウム・カメラータ・アカデミカ 1958年録音(Andre Navarra:(Con)Bernhard Paumgartner Camerata Academica des Mozarteums Salzburg Recorded on, 1958 )

[2024-03-13]

ベートーヴェン:「レオノーレ」序曲第3番, Op.72b(Beethoven:Leonora Overture No.3 in C major, Op.72b)
アルトゥーロ・トスカニーニ指揮 NBC交響楽団 1945年6月1日録音(Arturo Toscanini:NBC Symphony Orchestra Recorded on June 1, 1945)

[2024-03-11]

ラロ:スペイン交響曲 ニ短調, Op21(Lalo:Symphonie espagnole, for violin and orchestra in D minor, Op. 21)
(Vn)ジノ・フランチェスカッティ:ディミトリ・ミトロプーロス指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック 1957年4月22日録音(Zino Francescatti:(Con)Dimitris Mitropoulos New York Philharmonic Recorded on April 22, 1957)

[2024-03-09]

ラヴェル:「ダフニスとクロエ」第1組曲(Ravel:Daphnis et Chloe Suite No.1)
アンドレ・クリュイタンス指揮 フランス国立放送管弦楽団 1953年6月22日~23日&25日録音(Andre Cluytens:Orchestre National de l'ORTF Recorded on June 22-23&25, 1953)

[2024-03-07]

バルトーク:弦楽四重奏曲第4番, Sz.91(Bartok:String Quartet No.4, Sz.91)
ヴェーグ弦楽四重奏団:1954年7月録音(Quatuor Vegh:Recorded on July, 1954)

[2024-03-05]

チャイコフスキー:交響曲第5番 ホ短調, Op.64(Tchaikovsky:Symphony No.5 in E minor, Op.64)
ディミトリ・ミトロプーロス指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック 1954年3月27日録音(Dimitris Mitropoulos:New York Philharmonic Recorded on March 27, 1954)

[2024-03-03]

ボッケリーニ(グルツマッヒャー編):チェロ協奏曲第9番 G.482(Boccherini:Cello Concerto No.9 in B flat major, G.482)
(Cello)アンドレ・ナヴァラ:ベルンハルト・パウムガルトナー指揮 ザルツブルク・モーツァルテウム・カメラータ・アカデミカ 1958年録音(Andre Navarra:(Con)Bernhard Paumgartner Camerata Academica des Mozarteums Salzburg Recorded on, 1958 )

[2024-03-01]

シューベルト:さすらい人幻想曲 ハ長調, D760(Schubert:Wanderer-fantasie in C major, D.760)
(P)ジュリアス・カッチェン 1956年12月3日~4日&1957年1月28日録音(Julius Katchen:Recorded on December 3-4, 1956 & January 28, 1957)