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プロ・アルテ弦楽四重奏団(Pro Arte String Quartet)|ハイドン:弦楽四重奏曲 ニ長調, Op.33, No.6 Hob.3:42(Haydn:String Quartet No.33 in D major, Op.33, No.6, Hob.3:42)
ハイドン:弦楽四重奏曲 ニ長調, Op.33, No.6 Hob.3:42(Haydn:String Quartet No.33 in D major, Op.33, No.6, Hob.3:42)
プロ・アルテ弦楽四重奏団:1932年10月7日録音(Pro Arte String Quartet]Recorded on December 7, 1932)
Haydn:String Quartet No.33 in D major, Op.33, No.6, Hob.3:42 [1.Vivace assai]
Haydn:String Quartet No.33 in D major, Op.33, No.6, Hob.3:42 [2.Andante]
Haydn:String Quartet No.33 in D major, Op.33, No.6, Hob.3:42 [3.Scherzo: Allegretto]
Haydn:String Quartet No.33 in D major, Op.33, No.6, Hob.3:42 [4.Finale: Allegretto]
弦楽四重奏曲の道
ハイドン:弦楽四重奏曲「ロシア四重奏曲」, Op.33
- ハイドン:弦楽四重奏曲第37番 ロ短調 Hob. III:37
- ハイドン:弦楽四重奏曲第38番 変ホ長調「冗談」 Hob. III:38
- ハイドン:弦楽四重奏曲第39番 ハ長調「鳥」 Hob. III:39
- ハイドン:弦楽四重奏曲第40番 変ロ長調 Hob. III:40
- ハイドン:弦楽四重奏曲第41番 ト長調「ご機嫌いかが」 Hob. III:41
- ハイドン:弦楽四重奏曲第42番 ニ長調 Hob. III:42
ハイドンは作品20の「太陽四重奏曲」を仕上げてから、およそ10年間にわたって弦楽四重奏曲の世界から離れます。それは、太陽四重奏曲においてやるべきことはやり切ったという思いが強く、そこから前に進むことに困難を感じたからでしょう。
確かに、太陽四重奏曲においてフーガ楽章を用いたことは、いまだ未熟であった弦楽四重奏曲の世界とは折り合いが悪くて、それをさらに前に進めることは、さすがに答えの見つからない課題であったことは想像できます。
ハイドンは弦楽四重奏曲の世界にある種の統一と集中のようなものを求めたのでしょうが、そこへフーガ楽章を持ち込んだことはいささか先を急ぎすぎたのかもしれません。
しかし、先を急ぎすぎたと思えば、それを少しは塩漬けにして時を待つのはハイドンの「少しずつ前進」するといういつもの姿勢から見れば当然のことだったのかもしれません。
その空白の後に作曲されたのが、作品33の「ロシア四重奏曲」でした。
彼はこの作品をロシア大公に筆写譜の形で予約してもらように頼む手紙を出しているのですが、その手紙の中で「これらは全く新しい特別の方法で作曲されています」と述べているのです。大公はその依頼に快く応じ、ハイドンもまた出版されるときに、はっきりと大公に献呈されていることを銘記したのでした。
さて、問題は「これらは全く新しい特別の方法で作曲されています」とはどういう意味なのかということです。
このことに関しては昔からあれこれの論争があるようですが、この作品を高く評価するにと人たちは、ウィーン古典派の弦楽四重奏曲の様式を完成させたと解釈しています。いわゆる「主題労作」または「動機労作」というもので、少ない材料で統一感のある大きな作品を作り出すというものです。
しかし、この作品30に対してそこまで評価しない人は、そういう試みは後の交響曲の創作の中で成熟していくもので、このロシア四重奏曲で成し遂げられたものではないと主張します。
まあ、そのあたりは聞く人が決めればいいことなのですが、少なくとも作品20で行くところまで行きついた弦楽四重奏曲というジャンルにおいて、そこから抜け出して新しい一歩を踏み出したことは間違いありません。
それからもう一つ、このロシア四重奏曲には「冗談」とか「鳥」「ご機嫌いかが」などという気楽なタイトルがついている作品があります。また、そういうタイトルを持たない残りの3曲も明るくて、どこか民謡風の親しみやすさを持っています。しかし、そういう見かけ上のシンプルさの背後に複雑な構造を秘めています。
おそらく、そういう外見上のシンプルさと内部構造の複雑さが共存しているあたりに「これらは全く新しい特別の方法で作曲されています」というハイドンの言葉の秘密が隠されているのでしょう。
弦楽四重奏曲の道
貴族の館において「音楽」というものは部屋の装飾のようなものであったようです。言うまでもなく、何の装飾も施されていない殺風景な部屋に賓客を招くなどと言うことがあり得ないように、そう言う賓客を招く場に音楽もまた必要不可欠のものだったのです。
しかし、装飾はあくまでも装飾であって、あまり自己主張をして表にしゃしゃり出てこられては困ります。ですから、そう言う時代における音楽は基本的に「ディヴェルティメント」だったといえます。
しかし、ここで一つ問題が発生します。
部屋の装飾は貧弱なものよりはある程度の豪華さがあった方が見栄えが良いように、音楽もまたある程度の華やかさがあった方が良いと言うことになります。つまりはある程度の楽団員を常に雇用していて自前の管弦楽団を持っている方が良いと言うことになります。しかし、それはある程度の領地を持っていてそれなりの収入が確保できる上級貴族ならば可能であっても、そこまでの領地を持たない中小の貴族にとってはそう言う楽団を保持し、維持することは不可能でした。もちろん、特別に重要な式典などであれば臨時に管弦楽団を編成することもあったでしょうが、それを日常的に維持していけるのは、後のハイドンの雇い主になるエステルハージ気のような一握りの大貴族に限られていました。
そこで、そう言う問題を解決するために、少人数の演奏家でも演奏が可能な「室内楽」というものへの需要が発生します。しかしながら、現在では室内楽と言えば「弦楽四重奏曲」に代表されるようないささか取っつきにくい小難しい音楽を想像してしまうのですが、この時代における「室内楽」もまた「シンプルであっても上品な部屋の装飾」という役割が期待されていましたから、それもまた基本的には「ディヴェルティメント」でした。
そして、管弦楽の場合で言えば、その後様々な紆余曲折を経て最後は「交響曲」という王道に辿り着くのですが、室内楽もまた最後は「弦楽四重奏曲」という王道に辿り着くことになります。そして、この二つの王道の頂点を極めたのがベートーベンであったことに異論を唱える人はいないと思うのですが、当然の事ながらその偉業はベートーベン一人で成し遂げたものではありません。
交響曲というジャンルで言えばその前にハイドンによる長い開拓の歴史がありました。そして、その事は多くの人に認知されていて、ハイドンには「交響曲の父」という尊称が奉られています。
「弦楽四重奏曲」に関してもハイドンの貢献を否定する人はいないでしょう。
しかしながら、ハイドンがたどった交響曲や弦楽四重奏曲の道程を実際に自分の耳で実感することはそれほどたやすくはありません。確かに、ハイドンが残した交響曲や弦楽四重奏曲は単独で聞いても素晴らしい作品が目白押しです。しかし、それらの作品の真価もまた彼がたどった長い道程を俯瞰して、その全体像の中に位置づけられてこそより深くその真価がわかるものです。
私はそのことをゴバーマンによる交響曲の全曲録音を目指したチャレンジに接することで身に染みて思い知らされました。その試みはゴバーマンの突然の死によって未完に終わったのですが、それでも彼が残した数多くの録音によってハイドンがたどった交響曲の道の全体像が少しは見えてくるようになったからです。
つまりは、ハイドンの交響曲というのは個々の作品への評価も重要なのですが、真に評価すべきはその総体としての「交響曲の道」なのです。
そして、そのことは弦楽四重奏曲においても同様なのです。
おそらく、ハイドンの初期や中期の弦楽四重奏曲を次々と聞かされればうんざりする人もいるでしょう。しかし、それを我慢して聞き続けてくれることでハイドンの「弦楽四重奏曲の道」が少しずつ見えてきたならば、そういう初期・中期作品の魅力を感じ取っていただけるでしょう。そして、彼の業績はそういう一つの様式にチャレンジし続けた総体としてとらえてこそ、ハイドンの姿が本当に理解できるのではないかと思うのです。
ベルギーの至宝
プロ・アルテ弦楽四重奏団は今も活動を続けています。しかし、ここで紹介しているハイドンの録音は1930年代に行われたものです。
これは考えてみればすごいことです。当然のことながら1930年代にハイドンの録音を行ったメンバーが今も存命で活動を続けているなどということはあるはずもないので、つまりはメンバーは時代ごとに変わりながらもプロ・アルテ弦楽四重奏団として存続し続けてきたということです。
プロ・アルテ弦楽四重奏団はベルギーのブリュッセル音楽院の生徒で設立されたクァルテットで、1913年にデビューしています。ですから、メンバーは入れ替わり立ち代わりしながら100年以上もプロ・アルテ弦楽四重奏団として存続し続けたということになります。
確かにメンバーが何度か交代しながら存続し続けるカルテットはよくあることです。しかし、カルテットといってもやはり中心となる存在がいて、その中心的存在がいなくなるとそのカルテットも消滅してしまうというパターンが大部分です。とてもじゃないですが、100年以上も活動が引き継がれ、今もなお新たな活動を続けているカルテットはプロ・アルテ弦楽四重奏団以外には存在しないでしょう。
では、どうしてそういう、普通では考えられないようなことが可能となったのかといえば、それは彼らが「ベルギー宮廷の四重奏団」とか、「ベルギーの至宝」などという冠が授けられる存在だったからでしょう。そして、そういう賛辞がいつから彼らに捧げられるようになったのかはわかりませんが、少なくとも彼らが1930年代に行った一連のハイドンの弦楽四重奏曲の録音が大きな役割を果たしたことは間違いないでしょう。
その演奏を聞くと、なるほど「ベルギー宮廷の四重奏団」と称されるだけのことはあると納得させられる「優雅」さにあふれています。
宮廷のサロンで「重い」音楽は嫌われます。ブッシュのような重量感溢れる音楽やブダペストのような尖った演奏は敬遠したいところでしょう。
かといって、そう言う「重さ」を「優雅」さに置き換えた結果として「軽薄」になっては権威が保てません。プロ・アルテ弦楽四重奏団の演奏は、重くはならなくても作品の構成はしっかりと把握していて造形が崩れることはありません。しかし、その造形感をゴリゴリと前面に押し出すような「野暮」な演奏は絶対にしません。
まず何よりも魅力的なのは、歌うべき部分における優雅な歌い回しの見事さです。つまりは、彼らのアンサンブル能力は極めて高いのですが、その高さをブダペストのような即物性に奉仕させるのではなく歌に奉仕させている事は見落としてはいけません。
優雅さ故に細部を弾きとばすという事はなく、アンサンブルという点ではこの時代におけるトップクラスのレベルといってもいいでしょう。
ここで思い出すのは、彼らは当初は現代音楽の分野で活躍したという事実です。この一連のハイドンの演奏からは想像しにくいのですがバルトークやミヨー、オネゲルなどが作品の初演を委嘱する程の存在として活動を開始していたのでした。とりわけバルトークからの信頼は篤かったようで、弦楽四重奏曲4番は彼らに捧げられています。
バルトークは彼らのその高いアンサンブル能力と知的な構成を高く評価していたようです。
それにしても、この一連のハイドン録音は壮挙ともいうべき試みでした。間違いなく、彼らは現在では偽作とされている作品も録音していますから、80曲を超える弦楽四重奏曲の録音を目指したはずです。
今だって、ハイドンの弦楽四重奏曲なんてのはマイナーな部類に属しますから、どう考えてもビジネスとして成り立つとは思えない取り組みです。
この録音は形の上では「ハイドン協会」なる団体からの依頼を受けて録音されたものとされています。しかし、この建前を何の疑問もなく信じる人はいないでしょう。
おそらく、誰もが頭をよぎるのはベートーベンのピアノ・ソナタの全曲録音を世界で初めて完成させたシュナーベルの事でしょう。ベートーベンのピアノ・ソナタといえば、ハイドンの弦楽四重奏曲と比べれば段違いにメジャーな作品ですが、それでも1930年代にはあまりにも規模が多きすぎて商業的に成り立たせるのはかなり難しかったようです。
そこで、シュナーベルは事前に予約を募り、通信販売で発行するという手法を編み出してこの壮大な計画を成功に導きました。つまりは採算がとれるだけの予約が集まってから録音をして頒布するという「安全策」を生み出したわけです。
おそらく、プロ・アルテ弦楽四重奏団も「ハイドン協会」からの依頼ではなくて、おそらくは自らが「ハイドン協会」なる団体を立ち上げて頒布をすると言うスタイルだったのでしょう。それ故にというべきか、やはりというべきか、その壮挙は途中で挫折せざるを得なかったのですが、
実際、1950年代の初頭にシュナイダー四重奏団がハイドンの弦楽四重奏曲の全曲録音を目指しています。
この時もレコード会社のレベルでは商売として成り立つはずもないので、そこで、自らが「ハイドン・カルテット・ソサエティ」というレーベルを作り、そこで事前に予約を募り、通信販売で発行するという「安全策」をとって全曲録音を目指しました。
しかしながら、この壮大な企画はシュナイダーの強い熱意にもかかわらず最終的には資金難によって頓挫してしまい、それと同時にシュナイダー四重奏団解散してしまったのです。
それだけに、1930年代に30曲近い(正確に言えば29曲)作品をかくも高いレベルの演奏で、そして今から振り返れば取り換え不可能な優雅にして知的な音楽として録音したことは歴史的偉業というべきでしょう。
まさに彼らこそは「ベルギーの至宝」という冠にふさわしい存在だったのです。
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