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ベートーヴェン:「フィデリオ」序曲,Op.72b(Beethoven:Overture "Fidelio", Op.72b)

イーゴリ・マルケヴィチ指揮:ラムルー管弦楽団 1958年11月29日録音(Igor Markevitch:Concerts Lamoureux Recorded on November 29, 1958)



Beethoven:Overture "Fidelio", Op.72b


彫琢の限りを尽くした作品

ベートーベンは生涯にたった一つの歌劇しか残しませんでしたが、そのたった一つのために9年もの歳月を費やしています。そして、その改作のたびに彼は新しい序曲を作曲しましたので、後世の私たちはなんと幸いなことに合計で4曲もの素晴らしい管弦楽作品をもつことで出来たのです。
その改作の履歴と序曲の関係を簡単に振り返っておきましょう。

「レオノーレ」序曲第1番(1805年)


この作品はベートーベンの死後に遺品の競売に際して発見されたもので、実際に歌劇の序曲として演奏されたことはありません。おそらくは1805年に作曲されたものと思われリヒノフスキー邸で試演もされたようです。
しかし、作品そのものが歌劇の序曲としては軽すぎると言うことでベートーベン自身も不満があり、さらには周辺の人々も好意的ではなかったためにお蔵入りになってしまったようです。
なお自筆楽譜には「性格的序曲」としか記述されていないのですが、フロレスタンのアリアの引用などがなされていることから、間違いなくフィデリオの序曲として考案されたものと思われます。

「レオノーレ」序曲第2番(1805年:第1版)


フィデリオの初演はナポレオンの軍隊がウィーンの町を占領する中で行われたために成功をおさめることは出来ず、わずか3日で上演は打ち切られます。
それは、フランス語しか解さないフランスの兵士が聴衆の大部分を占める中でドイツ語による歌劇を上演したのですからやむを得なかった結果だと言えます。
今日、「レオノーレ」序曲第2番と呼ばれる作品は、この初演の時に使用された序曲です。ですから、フィデリオの序曲としてはこの作品はわずか3日にしか演奏されなかったことになります。

「レオノーレ」序曲第3番(1806年:第2版)


初演の大失敗を反省して、3幕だったフィデリオを2幕構成の作品に大改訂し、さらに序曲の方も大幅に改訂してほとんど新作といっていいほどの作品が生み出されます。それが今日、「レオノーレ」序曲第3番と呼ばれる作品です。
この作品はその後フィデリオ序曲が作曲されることで歌劇の序曲としてのポジションは失うのですが、純粋に管弦楽作品として見ても傑出した作品であるために、今ではコンサート・レパートリーとして演奏されるようになっています。
さらには、マーラーが始めたと言われているのですが、聴衆へのサービスとして第2幕第2場の前に演奏されることが一つの習慣として定着しています。(最近は原点尊重と言うことでこのサービスをカットする上演も増えてきているようです)

「フィデリオ」序曲(1814年)


1805年の初演と1806年改作の上演はともに失敗し、最終的に今の形となったのは1814年の再演の時でした。その時に序曲も大幅に書き直されたのが「フィデリオ」序曲です。
それまでの序曲が「レオノーレ」だったのは、ベートーベン自身が歌劇のタイトルを「レオノーレ」としていたからでした。言うまでもなく、歌劇の中では「レオノーレ」と「フィデリオ」は同一人物なのですが、レオノーレという女性がもつ勇敢で愛情深い姿はベートーヴェンの理想の女性像そのもであり、そのため歌劇のタイトルもまた「レオノーレ」としたようなのです。
それが、この1814年の再演の時に「レオノーレ」から「フィデリオ」に変更されます。よって序曲のネーミングも「レオノーレ」序曲から「フィデリオ」序曲に変更されました。

ただし、この変更はベートーベンの意思ではなくて興行主からの要望であり、経済的な理由などから台本や音楽面での改訂も同時に受けいれた結果でした。なお、タイトルの変更にはお金はかからいのでどういう事情があったのかはわかりませんが、興行主は「フィデリオ」にするほうが都合がよいと考えたようなのです。
これは私の勝手な妄想ですが、興行主は女性の「レオノーレ」より男性としてふるまう「フィデリオ」のほうが多くの聴衆にすんなり受けれられると考えたのかもしれません。


思い切り踏み込んでのフルスイング

こういう演奏を聞かされると、あらためてベートーベンというのは160キロを超えるような剛速球をビシビシと投げ込んでくる豪腕投手なんだなと納得させられます。
ベートーベンは常に演奏者に対して全力を投入することを求めるといった人がいました。誰の言であったのかは今となっては思いだせないのですが、大いに納得させられた指摘でした。

それは、オケの技術のレベルにかかわらず、ベートーベンは全力で立ち向かうことを要求すると言うことです。もちろん、それはオケだけに限った話ではなく、ピアニストやヴァイオリニストなどにもあてはまるのでしょうが、私がその言葉を実感として最も強く感じるのはオケの場合です。
おそらく、同じような経験をした人は多いと思うのですが、例えば技術的に少なくない課題を抱えるアマチュアのオケであっても、そこに全力を注ぎ込む意志と情熱があれば、不思議なほどに感動を与えてもらうことがあります。
逆に腕利きのプロのオーケストラがルーチンワークのように演奏してしまうと、表面的にはきれいで整っていても何故かその音楽は心の中に入ってこないという経験も少なからずしています。

おそらく、それは、ベートーベンの音楽には溢れるようなエネルギーとパッションが内包されているからでしょう。
ですから、演奏する者は技術の巧拙に関わりなく、思い切り踏み込んでフルスイングすることが求められるのです。

そして、ここでのマルケヴィッチとラムルー管は、ベートーベンという剛速球に対して、恐れることなく思い切り踏み込んで、渾身の力でフルスイングしています。そして、そのバットは見事にベートーベンの「芯」をとらえて場外にまで飛ばしてしまったかのようです。
マルケヴィッチとラムルー管が録音した序曲は以下の6曲です。

  1. ベートーヴェン:「レオノーレ」序曲第3番, Op.72a

  2. ベートーヴェン:「命名祝日」序曲, Op.115

  3. ベートーヴェン:「コリオラン」序曲, Op.62

  4. ベートーヴェン:「フィデリオ」序曲,Op.72b

  5. ベートーヴェン:「エグモント」序曲, Op.84

  6. ベートーヴェン:「献堂式」序曲, Op.124


おそらくは、交響曲の全曲録音を目指す中でセッションが組まれたのでしょうが、メインディッシュの交響曲の添え物という扱いは全くしていません。
それどころか、交響曲の時に勝るとも劣らないほどの力を注ぎ込んでいます。そして、作品自体が交響曲と較べればその全体像が把握しやすいだけにベートーベンの音楽が内包するエネルギーとパッションの凄さが分かりやすく、そこに注ぎ込まれた熱量の大きさには圧倒させられます。

まあ、でも録音を終えた後のラムルー管のメンバーはへろへろになったことでしょう。

この演奏を評価してください。

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