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ランドフスカ(Wanda Landowska)|モーツァルト:ピアノ・ソナタ第9番 ニ長調, K.311
モーツァルト:ピアノ・ソナタ第9番 ニ長調, K.311
(P)ワンダ・ランドフスカ:1938年1月14日録音
Mozart:Piano Sonata No.9 in D major, K.311/284c [1.Allegro con spirito]
Mozart:Piano Sonata No.9 in D major, K.311/284c [2.Andante con expressione]
Mozart:Piano Sonata No.9 in D major, K.311/284c [3.Rondo]
大人の男へのスタート地点
マンハイム滞在中か、もしくはそれ以前に書かれた可能性があるソナタです。
ある人はこのソナタを「生命に満ちあふれた上機嫌の打ち上げ花火」と称したのですが、レオポルドの監督から逃れて思う存分に羽を伸ばしているモーツァルトの素顔が透けて見える音楽になっています。
しかしながら、このソナタはその様な「上機嫌」さだけでなく、ソナタという形式を自分の感情の発露に添わせるように手なずけていこうという労作があちこちに見受けられます。
例えば提示部の最後で何気なく持ち入れられたモチーフが続く展開部での唯一の素材になったりしています。そして、この手法は円熟期のモーツァルトにおいて何度も用いられるようになる手法であったりもするのです。
さらに言えば、アレグロのフィナーレの充実ぶりは、その後の協奏曲のフィナーレを思わせるような音楽へと育ってきていて、モーツァルトはこの最終楽章に重点を置くことによって、今までは行わなかったような実験をしているのです。
- 第1楽章:Allegro con spirito (ソナタ形式)
- 第2楽章:Andante con espressione (展開部を欠くソナタ形式)
- 第3楽章:Allegro (ロンド形式)
大人の男へのスタート地点
モーツァルトのピアノソナタというのは、その一つ一つがユニークな個性を持っていてそれぞれが他とはかえ難い魅力を持っていることはいうまでもないのですが、全体を眺めることによってモーツァルトという希代の天才の大まかな姿を確かめることができるというジャンルでもあります。ピアノは彼にとっては第二の言語のようなものであり、ソナタという形式は身構える必要のない独白でした。
ですから、ピアノソナタを全体として概観することは、その様なモーツァルトの内なる「独白」をたどっていくようなものであり、そうすることによって一つ一つに注目していたのでは気づかなかった全体像が見えてくるという言い訳もそれほど説得力に欠ける物言いではないかもしれません。
いろいろな数え方があるのでしょうが、モーツァルトはその生涯に18曲のピアノソナタを残しています。そして年代的に並べてみると、上手い具合に前半の9曲と後半の9曲に分けることができるようです。
その内の前半の6曲はケッヘル番号からも分かるように、K.279からK.284までの6曲と、K.309からK.301の3曲に分かれます。
- ソナタ第1番 ハ長調 K.279 1775 ミュンヘン
- ソナタ第2番 ヘ長調 K.280 1775 ミュンヘン
- ソナタ第3番 変ロ長調 K.281 1775 ミュンヘン
- ソナタ第4番 変ホ長調 K.282 1775 ミュンヘン
- ソナタ第5番 ト長調 K.283 1775 ミュンヘン
- ソナタ第6番 ニ長調 K.284 1775 ミュンヘン
- ソナタ第7番 ハ長調 K.309 1777 マンハイム
- ソナタ第9番 ニ長調 K.311 1777 マンハイム
- ソナタ第8番 イ短調 K.310 1778 パリ
K.279からK.284までのソナタは「偽りの女庭師」を上演するために過ごした1775年のミュンヘンで作曲されています。
この6曲でワンセットになったピアノソナタは、オペラの上演のために冬を過ごしたミュンヘンでデュルニッツ男爵からの注文に応えて作曲したものです。他人に渡すのですから、さすがに脳味噌の中にしまい込んでおくわけにもいかず、ようやくにして「書き残される」ことで第1番のピアノソナタが日の目を見たということです。
この6曲に続く3曲は、就職先を求めて母と二人で行ったパリ旅行の途中で作曲されたものです。
この演奏旅行は、父レオポルドの厳格な監督から生まれて初めて解放された時間を彼に与えたと言う意味でも、さらには当時の最先端の音楽にふれることができたという意味でも、さらにはパリにおける母の死という悲劇的な出来事に遭遇したという意味においても、モーツァルトの人生における重要なターニングポイントとなった演奏旅行でした。
K.310のイ短調ソナタに関してはすでに語り尽くされています。
ここには旅先のパリにおける母の死が反映しているといわれ続けてきました。
あまりにも有名な冒頭の主題がフォルテの最強音で演奏される時、私たちはいいようのないモーツァルトの怒りのようなものを感じ取ることができます。そしてその怒りのようなものは第2楽章の優しさに満ちた音楽をもってしても癒されることなく、地獄の底へと追い立てられるような第3楽章へとなだれ込んでいきます。
ただし、その怒りは果たして母の死に際して為すすべのなかった己への怒りなのかどうかについては安易に結論は出さない方がいいように思います。少なくとも私にはその様な音楽とは思えません。
その辺りのことに関しては、
「男にとって・・・。」という駄文で綴ったことがありますので、興味ある方はご一読ください。
しかし、それに先立つ二つのソナタからはレオポルドの監督から逃れて思う存分に羽を伸ばしているモーツァルトの素顔が透けて見えます。
パリへ向かう途中のアウグスブルグとマンハイムで作曲されたと思われるK.309とK.311からは自由を満喫して若さと人生を謳歌している屈託のない幸せなモーツァルトの喜びがあふれています。
そして、この二つのソナタとイ短調ソナタを結びつけるのは、疑いもなくマンハイムで出会ったアロイージアの存在です。そして、その女性の存在こそが、自我の目覚めない子供だったモーツァルトをわずか6ヶ月でかくも飛躍させたのです。
パリでの就職活動に失敗して失意の中でザルツブルグに帰郷したモーツァルトは、やがて大司教のコロレドと大喧嘩をしてウィーンに旅立ちます。
貴族の召使いとして生きていくしかなかったこの時代の音楽家にとって、その喧嘩別れは命がけの決断だったはずです。
そして、そのような決断ができる男になれたスタート地点がここにこそあったのではないでしょか。
普遍的なロマンティシズム
ランドフスカと言えば、バッハをロマン主義的歪曲から救い出した演奏家として認知されています。
それだけに、彼女が最晩年に録音した一連のモーツァルト演奏を聞いたときには驚いてしまいました。それは、「自由自在」と言う言葉では言い表せないほどに、心のおもむくままにモーツァルトとの対話を楽しんでいるような演奏でした。
人間は年をとればとるほどに恐いものはなくなっていきます。何故ならば、つまらない世俗的な価値とか評価等というものがどうでもいいものになっていき、それよりは己に正直であることの方に居心地の良さを感じるからです。どうせ先は長くないのですから、つまらぬ事に心を煩わされるのは御免となってくるのです。
しかし、こうしてランドフスカの戦前に録音をしモーツァルトを聴いてみると、さすがに最晩年の演奏ほどには自由ではありませんが、それでも十分すぎるほどにロマンティックな演奏を展開しています。
1937年から1938年の録音ですから、ランドフスカは50代の終わり頃と言えます。まさに気力も体力も充実し、それを裏打ちする経験にも事欠かない時期の演奏です。それだけに、最晩年の演奏にはない力強さが演奏全体に漲っています。そして、いつも言っていることですが、こういう30年代後半のSP盤の録音クオリティは、私たちがSP盤というものにいだいているイメージとは大きくかけ離れるほどに優れているのです。
ですから、ランドフスカが何をしたいのか、何をしているのかはそれらの録音を通してはっきりと聞き取ることが出来ます。
例えば、「幻想曲 ニ短調 K.397」の叙情性にあふれた演奏は、最晩年のモーツァルト演奏と変わりないほどにロマンティシズムに溢れた演奏です。
こうなると、ランドフスカに対して「ロマン主義的歪曲から救い出した演奏家」というイメージが崩れ去るかのように思えてしまいます。
しかし、そこでもう一歩踏み込んで考えてみると、ランドフスカが救い出したのは「ロマン主義的なロマンティシズム」に「歪曲」された音楽だった事に気づかされます。しかし、そのために音楽というものが本来持っている普遍的な叙情性を漂白してしまうようなことはしないどころか、それこそを大切にしたのだと言うことに気づくのです。
考えてみれば、ヴィヴァルディにしてもテレマンにしても、もちろん、バッハやモーツァルトにしても、彼らの作品の中には実に美しい旋律が散りばめられていて、それをわざと無表情に素っ気なく演奏するなどと言うのはおかしな話です。
音楽というものの一つの重要な要素として、人間の自然な感情にそった素直で普遍性のあるロマンティシズムというのは必要不可欠です。そう言う自然で普遍的なロマンティシズムを、「ロマン主義」という一つの鋳型にはめ込んだロマンティシズムが「ロマン主義的歪曲」だったのです。
そして、それを抜け出すことで彼女は普遍的なロマンティシズムを追い求めたのです。
ロマン主義的歪曲から救い出すというのは、決して音楽を素っ気なく演奏することと同義ではないのです。
<追記>
コメントでも指摘していただいているように、この録音、最終楽章が突然終わってしまいます。しかし、復刻も砥のクレジットにも録音時間は2分36秒と記されていますので復刻ミスでもなさそうです。
昔はSP盤の収録時間に合わせてとんでもないテンポで演奏するなんて事もまかり通っていました。まあ、長いクラシック音楽の歴史の中の一コマとしか言いようがないのかもしれません。
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よせられたコメント
2022-11-25:安達順一
- いつもありがとうございます。ほんとに毎日というのはすごい。解説も嬉しいです。ランドフスカの名前も最近の平均律で初めて知りました。ですから、ランドフスカでモーツアルトというのもシーッというノイズは気になるものの確かに音は良い。1938とは信じがたい。モーツアルトのピアノソナタはちょっと退屈なものもという印象でしたが、これはそうでもない。いろいろ別の曲できいたようなフレーズがあるなと聞いていました。
第3楽章、ふっと途中で終わったような印象。imslp.orgへ行って楽譜を見ますと確かに途中です。そして第2楽章は違う曲のよう。jungdbに同じランドフスカの1956年8月の録音もおいてくださっているので、こちらを聞いてみましたら、第3楽章も最後までありますし、第2楽章も楽譜通り。何が起こっているのか理解できなくなっています。