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マーラー:交響曲第3番

シェルヘン指揮 ウィーン交響楽団 1950年10月31日録音



Mahler:交響曲第3番「第1楽章」

Mahler:交響曲第3番「第2楽章」

Mahler:交響曲第3番「第3楽章」

Mahler:交響曲第3番「第4楽章」

Mahler:交響曲第3番「第5楽章」

Mahler:交響曲第3番「第6楽章」


交響曲は世界のようでなくてはならない・・・

マーラーとシベリウスは一度対談をしたことがあるそうです。
1907年のことらしいのですが、その中でマーラーは「交響曲は世界のようでなくてはならい・・・」と語り、それに対してシベリウスは「交響曲には内的な動機を結びつける深遠な論理が大切」と語ったらしいです。
この話はとあるサイトで発見したのですが、どうしても「ウラ」がとれませんでしたので、もしかしたら「ガセネタ」かもしれませんが(この手の話に詳しい人、教えてください!)、たとえ「ガセ」だとしても、実に適切に自らの特徴を言い表した言葉だと思います。

マーラーが夏の休暇を利用してシュタインバッハで3番のシンフォニーの作曲に没頭しているとき、彼のもとを訪ねてきたワルターに「ここの風景はもう眺めるにはおよばないよ。あれは全部曲にしてしまったからね。」と語ったという話は有名です。
もちろんこの言葉をもってして、3番のシンフォニーが自然を描写した音楽だと誤解してはいけません。そんなことを作品を実際に聴いてみればすぐに分かることです。

マーラーが目指した交響曲とはシベリウスのものとは対極にあったことは上記の言葉から明らかです。
シベリウスにとって重要なことは世界の多様性の背後に潜む真実だったのでしょうが、マーラーにとってはその様な多様性そのものを受け入れ表現し尽くすことにこそ意味がありました。
結果として、シベリウスの交響曲は凝縮していくのに対してマーラーの交響曲は拡散していきます。
マーラーの音楽は「デブ専」の音楽だと言った人がいました。彼の音楽は世界が抱え込んでいるあらゆる要素をどんどん取り入れていきますから結果として肥大化していく宿命を持ちます。そして、その様にして内包された個々の要素には論理的な一貫性は存在しません。美しいものと醜いもの、高貴なものと下品なものなどなど、あらゆる要素が雑然と同居して不都合を感じないのがマーラーの特長です。
ですから分析型の指揮者が必死に作品を分析しようとするとかえっておかしな事になってしまうのです。マーラー指揮者に必要なものは、デブをダイエットすることではなくて、デブをデブとして愛でることの出来る「デブ専」の精神のようです。
少し話が横道にそれましたが、初期のマーラーにおいてその様な拡散の頂点をなしているのがこの第3番のシンフォニーです。実際これほどまでに雑多な要素を詰め込んだ作品をそれ以後も書くことはありませんでした。
そして、マーラーがワルターに語った言葉の真意は、現在作曲している3番のシンフォニーにおいて、世界というものが内包しているあらゆる多様性をすくい上げ表現し尽くすことが出来たという自信の表明だったのでしょう。風景云々という言い方はその様にしてすくい取られた一つの要素にしか過ぎなかったのでしょうが、おそらくは当地の素晴らしい風景をワルターが褒め称えた事へのマーラーらしい謎かけだったのではないでしょうか。

なお、マーラーは最終的には削除してしまったのですが、最初はこの作品にいくつかの標題を与えていました。それらを見ても、世界のあらゆる多様性を汲み上げようとしたマーラーの意志がうかがえるような気がします。

「夏の朝の夢」 
    第1部 序奏  牧神は目覚める
         第1楽章  夏が行進してくる(バッカスの行進)
    第2部 第2楽章 野の花たちが私に語ること
         第3楽章 森の動物たちが私に語ること
         第4楽章 人間が私に語ること
         第5楽章 天使たちが私に語ること
         第6楽章 愛が私に語ること


マーラー演奏史の一里塚

50年代の初頭にシェルヘンは集中的にマーラーの作品を取り上げています。
調べてみただけでも、

9番:1950年6月19日
7番:1950年6月22日
3番:1950年10月31日
8番:1951年6月12日

とあがってきます。
彼が何故にこの時期に、このような作品を、このように集中的に取り上げたのかは、あれこれと調べてみたのですが確たる情報をつかむことは出来ませんでした。しかし、現代音楽の擁護者を自認していたシェルヘンのことだから、当時としては未だに広く認知されていない現代の音楽としてマーラーを取り上げたのだろということは想像できます。

これら一連の演奏には、歴史の中に埋もれていた作品を広く世に知らしめようと言う「アツサ」と「緊張感」が強く感じられます。
しかし、マーラー作品の分析が進み、それに対応する能力をほとんどのオケがそなえた現在から見れば、あまりにも雑で余裕のない演奏に聞こえることは否めません。そういう意味では、マーラー作品を楽しむための演奏としては現役を引退している録音であることは間違いありません。
しかし、マーラーの演奏史を振り返ってみようという奇特な人にっては、見落とすことの出来ない一里塚であることは確かです。

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