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モーツァルト:ピアノ協奏曲第27番変ロ長調 , K.595

(P)リリー・クラウス:スティーヴン・サイモン指揮 ウィーン音楽祭管弦楽団 1966年5月15日~25日録音



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新しい次の一歩を模索していた

モーツァルト:ピアノ協奏曲第27番変ロ長調 , K.595
モーツァルトはピアニストとしてもう一旗揚げようとして、ある意味では当時の聞き手の趣味嗜好に迎合したと言われても仕方のない作品(戴冠式)をひっさげてフランクフルトに向かいます。しかし、多額の借金をしてまで向かったハンブルグでの演奏会は思うような結果を残せず、結果としては借金だけが残り、それをもってピアニストとしてのモーツァルトの活動は実質的に終わりを告げます。

ところが、その1年後に何故かポツンと1曲のピアノ協奏曲が生み出されます。
それは、クラリネット奏者であったヨーゼフ・ベーアが開いた演奏会でモーツァルト自身が演奏するための作品だったようです。想像の域を出ませんが、おそらくは「お金」になる仕事と言うことで引き受けたのでしょうが、それでもそのおかげでこの奇蹟のような作品が生まれたのですから神に感謝するしかありません。

とは言え、その演奏会は旅籠の広間で行われたものだったので規模は小さなものだったでしょう。そして、面白いのはその演奏会にアロイージアが歌手として参加していたことです。アロイージアは言うまでもなく妻コンスタンツェの姉であり、モーツァルトにとっては最初の恋人だった女性です。
あまり想像をたくましくしても仕方がありませんが、モーツァルトにはそれなりにいろいろな感情が交錯したことでしょう。
そして、この作品もまた誰の手に渡す必要もなく、自分自身が演奏するだけの作品だったので表記は極めて簡略化されたものになっています。それだけに、この作品を楽譜通り演奏すべきかどうかと言うことには難しい問題をはらんでいます。

なお、注目すべきはモーツァルトが残した「全作品目録」を見てみると、この協奏曲の次に歌曲「春への憧れ, K.596」が記入されていることです。この歌曲の旋律はこの協奏曲のフィナーレの主題にもなっています。
来ておくれ、なつかしい五月よ、
来て樹々をふたたび緑にしておくれ、
そしてぼくのために、小川のほとりに
かわいいすみれを咲かせておくれ!
 
どんなにかぼくはすみれの花を
もう一度見たがっていることだろう、
ああ、なつかしい五月よ、どんなにか
ぼくは散歩に出かけたいことだろう!

確かに、モーツァルトにとってはこれが最後の春になってしまったわけであり、アインシュタインも「これが最後の春だということを自覚した、諦念の明朗さである」と述べています。しかし、私にはそれはあくまでも結果論であり、おそらく彼は人生には絶望はしておらず、何とか新しい次の一歩を模索していたのではないかと考えてしまうのです。

決して彼は自らの死は予感していなかったはずです。

最後に残された孤独な2作品


モーツァルトのウィーン時代は大変な浮き沈みを経験します。そして、ピアノ協奏曲という彼にとっての最大の「売り」であるジャンルは、そのような浮き沈みを最も顕著に示すものとなりました。その浮き沈みの最後にポツンと2つの作品が残されることになります。
この2作品はどのグループにも属さない孤独な2作品です。

  1. ピアノ協奏曲第26番 ニ長調「戴冠式」 K537:1778年2月24日完成

  2. ピアノ協奏曲第27番 変ロ長調 K595:1791年1月5日完成


この時代のモーツァルトは演奏会を行っても客が集まらず困窮の度合いを深めていくと言われてきました。しかし、これもまた最近の研究によると少しばかり事情が異なることが分かってきました。
たとえば、有名な39番~41番の3大交響曲も従来は演奏されるあてもなく作曲されたと言われてきましたが、現在でははっきりとした資料は残っていないものの何らかの形で演奏されたのではないかと言われています。確かに、予約演奏会という形ではその名簿に名前を連ねてくれる人はいなくなったのですが、当時の演奏会記録を丹念に調べてみると、依然としてウィーンにおけるモーツァルトの人気は高かったことが伺えます。

ですから、人気が絶頂にあった時代と比べれば収入は落ち込んだでしょうが、世間一般の常識とくらべれば十分すぎるほどの収入があったことが最近になって分かってきました。
この時代にモーツァルトはフリーメイソンの盟友であるプフベルグ宛に泣きたくなるような借金の依頼を繰り返していますが、それは従来言われたような困窮の反映ではなく、生活のレベルを落とすことのできないモーツァルト一家の支出の多さの反映と見るべきもののようです。

ですから、26番の「戴冠式」と題された協奏曲もウィーンでだめならフランクフルトで一旗揚げてやろうという山っ気たっぷりの作品と見るべきもののようです。借金をしてまでフランクフルトで演奏会をおこなったのは悲壮な決意で乗り込んだと言うよりは、もう少し脂ぎった思惑があったと見る方が現実に近いのかもしれません。
そして、己の将来を切り開くべく繰り出した作品なのですから、モーツァルトとしてもそれなりに自信のあった作品だと見ていいでしょう。ですから、ここでは、一度開ききった断絶が再び閉じようとしているように見えます。

しかし、残念ながらこの演奏会はモーツァルトが期待したような結果をもたらしてくれませんでした。そして、人気ピアニストとしてのモーツァルトの活動はこれを持って事実上終わりを告げます。
ロマン派の音楽家ならば演奏されるあてがなくても己の感興の赴くままに作曲はするでしょうが、モーツァルトの場合はピアニストとしての活動が終わりを告げれば協奏曲が創作されなくなるのは理の当然ですから、この後にモーツァルトは再び交響曲に戻っていくことになり、39番からの最後の3大交響曲を残すことになるわけです。

そんなモーツァルトが死の1年前の1791年に突然一つのピアノ協奏曲を残します。
K.595の変ロ長調の協奏曲です。

作品はその年の1月に完成され、3月4日のクラリネット奏者ヨーゼフ・ベーアが主催する演奏会で演奏されました。そして、それがモーツァルトのコンサートピアニストとしての最後の舞台となりました。
アインシュタインはこの作品について「この曲は・・・永遠への戸口に立っている。」「彼がその最後の言葉を述べたのはレクイエムにおいてではなく、この作品においてである。」と述べています。

しかし、これもまた最近の研究により、この作品の素材が1778年頃にほとんどできあがっていたことを示唆するようになり、アインシュタインの言葉はその根拠を失おうとしています。
実際、この時代のモーツァルトは交響曲作家としてイギリスに渡る道があったにもかかわらずそれを断り、ドイツ語によるドイツオペラの創作という夢に向かって進み始めていたのです。ですから、アインシュタインのようなモーツァルト理解は幾分かはロマン主義が支配した19世紀的バイアスがかかったものとしてみておく必要があるようです。

ただし、コンサートピアニストとしての活動が終わったことは自覚していたでしょうから、その意味ではこれは「訣別」の曲と言っても間違いないのかもしれません。
しかし、はたしてアインシュタインが言ったようにその「訣別」が「人生への訣別」だったのかは議論の分かれるところでしょう。


明るく華やかで無垢なモーツァルト

私の知人で、リリー・クラウスの最後の来日公演を聴いたことがあるという人がいます。彼の言によれば、その演奏会は惨憺たるもので二度と思い出したくもないような代物だったようです。
演奏家の引き際というものは難しいものです。

最近の例で言えば、見事な引き際を見せてくれたのがマリア・ジョアン・ピリスでした。わたしは幸運にもその引退コンサートの一つを大阪のシンフォニー・ホールで聴く機会を得たのですが、それは見事なベートーベン演奏でした。ステージに現れた姿は颯爽としており、彼女の指から紡ぎ出されるベートーベンの音楽は、わたしが生で聞いたベートーベンのピアノ・ソナタとしては最上のものの一つでした。
「演奏家」というのはどれほどの醜態をさらしても最後までステージにしがみつく種族ですから、その引き際の見事さはは希有なものだったと言えます。それは、彼女の言動を見れば、引退のきっかけが自らの演奏能力に対する疑問ではなくて、ビジネスとしてのクラシック音楽界のあり方への絶望感に起因してたからかもしれません。

二人の女性が歩いている。
若い女性は麗しい。
齢を重ねた女性はさらに麗しい。


話がいささかいらぬ方向にそれたのですが、このクラウスのコンチェルトの全集もまた、彼女のピアニストとしての衰えをはっきりと聞き取ることが出来ます。
それは、彼女が54年に録音したソナタの全集と聞き比べてみれば一目(一聴?)瞭然です。あのソナタ全集では、モーツァルトの音楽が持つ微妙なニュアンスが見事なまでに表現されていました。しかし、このコンチェルトの演奏では、そう言う微妙なニュアンスを表現しきる能力がすでに失われていることは明らかです。

しかしながら、それでは全体としてつまらぬ演奏なのかと言えばそうとも言いきれない部分があるので困ってしまうのです。
ここでのクラウスのピアノの響きに微妙で多彩な表情を求めることは出来ないのですが、逆に、驚くほど華やかで明るく、そしてチャーミングな響きで最初から最後まで貫徹しています。これは1番から27番まで一気に聞き通したので自信を持って言い切ることが出来ます。
おそらく己の能力を自覚した上で、それでもその限界の中で実現可能なモーツァルトの姿を探求した結果かもしれません。

そして、そう言う衰えたクラウスを必死でサポートしたのが指揮者のスティーヴン・サイモンでした。オーケストラの「ウィーン音楽祭管弦楽団」というのは怪しげな存在のように聞こえるのですが、その実態はウィーン交響楽団からの選抜メンバーであったことはすでに知られています。
ところが、どういう訳か、世間一般では衰えたクラウスを持ち上げて、逆にオーケストラ伴奏を批判する人が多いのです。
曰く、「響きが薄い」、曰く、「表情が平板に過ぎる」等々です。

しかし、そう言う批判は本当に的を射ているのでしょうか。
わたしには、指揮者であるサイモンがクラウスの衰えを敏感に感じとり、その衰えに最も相応しいやり方で伴奏を付けたがゆえに、明るく華やかで、そして無垢な姿のモーツァルトが実現したのではないかと考えます。

モーツァルトのピアノ協奏曲には19番と20番の間に大きな断層が存在していることがよく指摘されます。しかし、このコンビによる演奏で聞いてみれば、そこに大きな断層を聞き取ることは難しいかもしれません。そして、その事の責をオーケストラ伴奏に求めるのでしょうが、聞けばすぐに分かるようにクラウスのピアノにはロマン派好みのバイアスがかかったような微妙な陰影を描き出す能力はすでに失われています。
スティーヴン・サイモンにしてみれば、20番以降の作品群においても、それ以前と同じようなスタイルで伴奏を付けるしかなかったのです。

しかし、漏れ聞くところによると、そう言うサイモンのオーケストラ伴奏にクラウスはたびたび不満を申し立てていたようです。ということは、もしかしたら彼女は自らの「衰え」を自覚できていなかったのかもしれません。
もしも、このエピソードが事実ならば、それこそ「演奏家」という種族が陥らざるをえない「誤解」だと言わなければなりません。そして、それが「誤解」であったとすれば、その「誤解」を「美しき誤解」に仕立て直した功績はスティーヴン・サイモンとウィーン交響楽団からの選抜メンバーで構成された「ウィーン音楽祭管弦楽団」にこそあったのかもしれません。

そして、クラウスもこの辺りを潮時として第一線から身を引いていれば、彼女にも「齢を重ねた女性はさらに麗しい。」という言葉を捧げることができたのかもしれません。

<追記>
最初にも指摘したように、この時のクラウスのピアノの響きに微妙で多彩な表情を求めることは出来なくなっています。しかし逆に、驚くほど華やかで明るく、そしてチャーミングな響きで全ての協奏曲を最初から最後まで貫徹しています。
そして、その事を持ってこのクラウスの演奏を低く評価する向きもあるのですが、それは一面ではモーツァルトの作品をロマン派好みの視点から、言葉をかえればロマン的なバイアスがかかった視点で捉えようとすことから来る批判でもあります。そして、そん批判は、確かに20番咽喉の、つまりはモーツァルトが大きな飛躍を遂げた後の作品では認めざるを得ない批判かもしれません。

しかし、このような華やかなウィーンの社交界で人気を得ていた時代の作品に関しては、このようなクラウスの響きで紡ぎ出される音楽は決して悪くはありません。逆に、あまりにも濃厚な表情を付けすぎるよりはかえって好ましいと思われます。
もっとも、それはモーツァルトの作品からロマン派的なバイアスを排除しようとしたピリオド演奏的な要素から生まれたものではありません。
それは、疑いもなく隠しようもない衰えを自覚しながら、しかし、その衰えの中にあっても必死で己のモーツァルトの姿を模索した結果です。

ですから、最後にもう一度この言葉を彼女に捧げたいと思います。
二人の女性が歩いている。
若い女性は麗しい。
齢を重ねた女性はさらに麗しい。


<追記の追記>
最初にも述べたのですが、この協奏曲全集においてクラウスに微妙で多彩な表情を求めることは出来ないのですが、逆に、驚くほど華やかで明るく、そしてチャーミングな響きで最初から最後まで貫徹しています。その事に不満を感じる人も多いのですが、それでも20番までの作品に関してであるならば、それも一つのアプローチかなと思える部分はありました。
モーツァルトの協奏曲では20番以降とそれ以前では録音の数は全く異なりますから、その数少ない20番以前の演奏を録音、演奏両面においてもそれなりのクオリティでまとめて聞くことのできるパブリック・ドメインとしては貴重な存在でした。

しかし、それが20番以降の作品となると、その陰影に乏しいピアノの響きには物足りなさを感じてしまいます。そして、それは私だけではなく、このクラウスの全集に寛容な態度を取る人の中でもそれが多数を占める意見でした。
ところが、この全集を紹介するにあたって、彼の協奏曲を一つずつ検証してみてあらためて気づかされたのは、20番以降の協奏曲に関しては20世紀を待つまでもなくロマン派の時代に多くのすぐれた音楽達によって「発見」されていて、それ故にその作品解釈に関しては「ロマン派的な広大な感情の領域」を彷徨う作品としてとらえられていきました。

そして、その解釈には「天才モーツァルト」への敬意も込めた正当な者であり、さらに20世紀に入って再びモーツァルトが「発見」されるようになると、多くのピアニスト達は腕によりをかけてその広大な感情の領域を行き来するモーツァルトを表現しました。そして、その事は決して不当ものではありませんでした。

しかし、肝心のモーツァルトは確かにこのジャンルにおいて新しい挑戦を続けていたのですが、そこには「ロマン主義」的な意味合いを持たせようなどという意図はありませんでした。それは間違いありません。
ですから、おそらく演奏会において、モーツァルトと自身は昨今のピアニストのように陰影に富んだ表現でもって自作を演奏しなかったはずです。

そう思えば、このクラウスのスタイルは18世紀末のウィーンの社交界で演奏をしていたモーツァルトの姿がふと浮かび上がってくるような錯覚に襲われる瞬間があります。
もちろん、そこには、後のピリオド演奏への先駆け等という意図は欠片もなかったでしょうが、結果としてクラウスのピアノにモーツァルトの姿がだぶるような錯覚に襲われる瞬間があるのです。

そして、これだけは強調しておきたいのですが、モーツァルトの最後のピアノ協奏曲となった変ロ長調の協奏曲だけは、何故かこのクラウスの響きと相性が良いのです。その、一切の感傷や感情を排したように聞こえるクラウスのピアノは、それ故にモーツァルトの「悲しみ」を誰よりも聞き手の心に迫ってくるのです。

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