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サン=サーンス:第3番ハ短調 Op.78「オルガン付き」

ウィレム・ヴァン・オッテルロー指揮 ハーグ・レジデンティ管弦楽団 1954年4月2日~3日録音



Camille Saint-Saens:Symphony No.3 in C minor, Op.78 Symphonie avec orgue [1-1.Adagio - Allegro moderato ]

Camille Saint-Saens:Symphony No.3 in C minor, Op.78 Symphonie avec orgue [1-2.Poco adagio]

Camille Saint-Saens:Symphony No.3 in C minor, Op.78 Symphonie avec orgue [2-1.Allegro moderato - Presto - Allegro moderato]

Camille Saint-Saens:Symphony No.3 in C minor, Op.78 Symphonie avec orgue [2-2.Maestoso - Allegro]


虚仮威しか壮麗なスペクタルか?

 巨大な編成による壮大な響きこそがこの作品の一番の売りでしょう。3管編成のオケにオルガンと4手のピアノが付属します。そして、フィナーレの部分ではこれらが一斉に鳴り響きます。
交響曲にオルガンを追加したのはサン=サーンスが初めてではありません。しかし、過去の作品はオルガンを通奏低音のように扱うものであって、この作品のように「独奏楽器」として華々しく活躍して場を盛り上げるものではありませんでした。それだけに、このフィナーレでの盛り上がりは今まで耳にしたことがないほどの「驚きとヨロコビ」を聴衆にもたらしたと思われるのですが、初演の時に絶賛の嵐が巻き起こったという記述は残念ながら見あたりません。
 これは全くの想像ですが、当時のイギリスの聴衆(ちなみに、この作品はイギリスのフィルハーモニー協会の委嘱で作曲され、初演もイギリスで行われました)は、おそらく「凄いなー!!」と思いつつ、その「凄いなー」という感情を素直に表現するには「ちょっと気恥ずかしいなー」との警戒感を捨てきれずに、表面的にはそこそこの敬意を表して家路をたどったのではないでしょうか。
まあ、全くの妄想の域を出ませんが(^^;。
 しかし、その辺の微妙な雰囲気というのは今もってこの作品にはつきまとっているように見えます。
よく言われることですが、この作品は循環形式による交響曲としてはフランクの作品と並び称されるだけの高い完成度を誇っています。第1部の最後でオルガンが初めて登場するときは、意外にもピアノで静かに静かに登場します。決して効果だけを狙った下品な作品ではないのですが、しかし、「クラシック音楽の王道としての交響曲」という「観点」から眺められると、どこか物足りなさと「気恥ずかしさ」みたいなものを感じてしまうのです。ですから、コアなクラシック音楽ファンにとって「サン=サーンスのオルガン付きが好きだ!」と宣言するのは、「チャイコフスキーの交響曲が好きだ」と宣言するよりも何倍も勇気がいるのです。

 これもまた、全くの私見ですが、ハイドン、ベートーベン、ブラームスと引き継がれてきた交響曲の系譜が行き詰まりを見せたときに、道は大きく二つに分かれたように見えます。一つは、ひたすら論理を内包した響きとして凝縮していき、他方はあらゆるものを飲み込んだ響きとして膨張していきました。前者はシベリウスの7番や新ウィーン楽派へと流れ着き、後者はマーラーへと流れ着いたように見えます。
 その様に眺めてみると、このオルガン付きは膨張していく系譜のランドマークとも言うべき作品と位置づけられるのかもしれません。
 おそらく、前者の道を歩んだものにとってこの作品は全くの虚仮威しとしか言いようがないでしょうが、後者の道をたどったものにとっては壮麗なスペクタルと映ずることでしょう。ただ、すでにグロテスクなまでに膨張したマーラーの世界を知ったもににとって、この作品はあまりにも「上品すぎる」のが中途半端な評価にとどまる原因になっているといえば、あまりにも逆説的にすぎるでしょうか?
 もしも、この最終楽章に声楽を加えてもっと派手に盛り上げていれば、保守的で手堅いだけの作曲家、なんて言われなかったと思うのですが、そこまでの下品さに身をやつすには彼のフランス的知性が許さなかったと言うことでしょう。


凝縮する人

オッテルローという指揮者は、聞けば聞くほど不思議な指揮者だと感じ入ってしまいます。
その不思議さは一言で言えば「凝縮」です。つまりは、どんな作品であってもそれをぐっと凝縮して提示してくるのです。

これは考えてみれば不思議なことなのです。
何故ならば、オーケストラというものは「派手さ」というものが「売り」の一つであることは間違いないからです。もちろん、作品によってはそう言う「派手さ」を最初から拒絶したようなものもあるのですが、それでも少なくない指揮者はそう言う作品であっても聴衆への配慮(阿り?)もあってか、それなりに聞かせようと努力するものです。
ところが、オッテルオーという人はそう言う指揮者の本能からは遠く離れた位置で音楽を作っているように聞こえるのです。

例えば、サン=サーンスの交響曲3番です。「オルガン付き」と題されたこの作品は3管編成のオケにオルガンと4手のピアノが付属し、それがフィナーレの部分では一斉に鳴り響くのです。まさにオーケストラの「売り」である「派手さ」を徹底的に追求した作品です。
ところが、そう言う「派手な」音楽がオッテルローの手にかかると、そう言う演奏効果を極限まで排除すれば、「残るのは何か?」を追求素しているように聞こえてしまうのです。
確かに、こういう作品にとってモノラルでの録音というのは、それだけで大いなる不利な条件であることは否定できません。しかし、このオッテルローの指揮から聞こえるのは、そう言う録音クオリティだけでは説明しきれないほどの「あっけなさ」なののです。
なんだかその裏で「サン=サーンスの音楽なんてこんなもんですよ!」とニヤリと笑っている顔が浮かんできたりするのです。

ところが、それとは真逆なのがフランクのロ短調交響曲です。
この作品はフルトヴェングラーによる録音が一つのスタンダードのようになっているので、まるで波瀾万丈の一篇のドラマであるかのように演奏する人は少なくありません。つまりは、そこでも実態以上に「派手さ」を増幅させて演奏しようとする誘惑から逃れることは難しいのです。ただし、その様な誘惑の中で「勘違い」もしくは「独りよがり」に陥らないためにはフルトヴェングラーと同等とは言わないまでも、それなりの哲学が絶対に必要です。
そう言うものも持たずに「派手さ」を追求すれば実に困ったことになってしまう作品です。

ですから、それなりに良識のある指揮者ならばフルトヴェングラーの猿真似みたいな事からは出来る限り距離をとるとするのが一般的です。

しかしながら、オッテルルオーの場合はそう言う「距離」とはまた違う向き合いのように聞こえます。つまりは音楽を母出に演出するという「誘惑」とは一切無縁なオッテルローの手にかかると、この作品がほどよく「凝縮」されて実に立派な堂々たる交響曲として響くのです。
そう言えば、彼のハイドンの演奏を取り上げて「美しい人はより美しく、それなりの人はそれなりに」と書いたことがあるのですが、その言葉はこの作品に対してもピッタリとあてはまります。
それどころか、厚化粧で塗りたくった「えせ美人」の化粧をはぎ取って素顔を曝すというようなことを平気でやってしまう人だったようです。

このフランクの交響曲も無用な化粧などは綺麗にぬぐい去って、その素敵なキリリとした素顔を私たちにみせてくれるような演奏だといえます。

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