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ブラームス:ラプソディ「冬のハルツの旅」(アルト・ラプソディ)作品53

ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮 (A)アーフェ・ヘイニス ウィーン交響楽団 ウィーン楽友協会合唱団 1962年2月録音



Brahms:Alto Rhapsody, Op.53


ふられ男の嘆き歌と言うことなのですが、それをここまで昇華させるところがブラームスの凄さです

ブラームスというのは実に面倒くさい男です。
彼とクララ・シューマンとの関係は知らぬものはないのですが、実はその思いはクララの三女ユーリエにも向けられていたのです。いささか引いてしまいそうな話なのですが、少し整理してみると違う面も見えてきます。

クララが夫であるロベルト・シューマンを失ったのは1856年、彼女が36才との時でした。その時ブラームスは23才であり、三女ユーリエは11才でした。
その後、クララは一家の生計を支えるためにコンサート・ピアニストとしての活動を再開し、ドイツ南西部のバーデン・バーデンに小さな一軒家を購入するのが1862年です。そして、その家にブラームスは家族の一員として出入りするようになるのです。

クララは42才、ブラームスは29才、そしてユーリエは17才になっていました。そして、そのユーリエに若き日のクララの姿を見いだしたブラームスは密やかな恋心を抱くようになっていくのです。
しかし、そんなブラームスの気持ちをユーリエはもとよりクララも知るはずもなく時は流れていくのですが、1869年に事件(?)がおこります。

イタリアの貴族、ヴィクトル・ラディカッティ・マルモリート伯爵からユーリエへの結婚の申し込みがあったのです。そして、その申し込みをユーリエ自身も、そしてクララも喜んで受け容れてしまったのです。
ブラームス36才の時の、人知れぬ衝撃的な失恋事件だったのです。

しかし、考えてみればその時ユーリエは24才だったのですから、当時としては晩婚に該当する年齢だったでしょう。ブラームスの恋愛に対する臆病さはもはや病的と言っていいのかも知れません。

しかし、その失恋のショックは一つの作品を生み出します。
それが「アルト・ラプソディ」と呼ばれることが多いラプソディ「冬のハルツの旅」作品53です。

ブラームスは出版業者に対して「私はここでシューマンの伯爵夫人のために花嫁の歌を書いた。しかし、恨みを持って書いた。立腹して書いた」と記しているのですから、本当にもう、面倒くささも極まれりです。
しかし、どれほど面倒くさい事情が背後にあったとしても、出来上がった作品は素晴らしいのですから、そう言う面倒くささこそがブラームスの創作の源泉だったのかも知れません。

この作品が「アルト・ラプソディ」と呼ばれるのは、アルトの独唱が印象に残るからなのですが、作品の編成はアルトの独唱と男声合唱に管弦楽伴奏がつきます。
ただし、その管弦楽伴奏にはトランペットやトロンボーン、ティンパニというような賑やかな楽器は排除されています。
さらに、ヴァイオリンは第3部で男声合唱が登場するまでは弱音器を使うことが指定されています。それに対して、ヴィオラやチェロ、コントラバスというて低弦楽器にはその様な指示はしていません。
結果として、管弦楽伴奏は苦悩にうめくような響きを持つことになります。


  1. 第1部 Adagio ハ短調
    この上もなく暗い管弦楽伴奏に導かれてアルトが「ひとり離れていくのは誰か?」と歌い出します。そして、さらに暗い世界に引きずり込むような管弦楽伴奏にのってアルトは冬のハルツを旅する青年の絶望的な思いを語るように歌い継いでいきます。

  2. 第2部 Poco Andante ハ短調
    低弦楽器に支えられて「ああ、慰めも毒と化してしまった。愛の酒を浴びるように飲み人を嫌いになってしまった。そんな男の苦しみを誰が癒せるのであろうか?」と歌われていきます。
    そして、ここで特徴的なのは、そう言う歌詞に含まれた激情にあわせて管弦楽伴奏も大きくうねりはじめることです。9度の下降や12度の上昇というのはブラームスとしては珍しいものと言えます。

  3. 第3部 Adazio ハ長調
    男声合唱はここから登場するのですが、感謝に満ちた賛美歌的な雰囲気を醸し出すのに役立っています。
    チェロのピッティカートに乗って男声合唱が「愛なる神よ」と歌い出すと、今までの陰惨な風景に祈りと憧憬の感情が蘇ってきます。そして、「荒れ野の中でやつれ果てた者の傍らに 幾千もの泉が湧いているのを 披露してあげてください」と結ばれます。



ふられ男の嘆き歌と言うことなのですが、それをここまで昇華させるところがブラームスの凄さです。


美しい方はより美しく、そうでない方はそれなりに写ります

サヴァリッシュがこの世を去ってから6年の時が過ぎてしまいました。早いものです。
サヴァリッシュと言えば、良くも悪くもつねにN響の指揮台に立っていた人であり、それ故に、良くも悪くも私たち日本人にとっては実になじみ深いマエストロだったわけです。そんなサヴァリッシュが最後にN響の指揮台に立ったのは(椅子に座っていましたが・・・^^;)2004年でしたから、その姿に接することがなくなってから15年の時が経過しているわけです。

「十年一昔」という言葉を信じるならば、その年月は多くの人の記憶から忘れ去られるのには十分すぎるほどの時の経過なのですが、その姿はまだまだ私たちの記憶の中でしっかりと生き続けています。
毎年、毎年、N響の指揮台に立って演奏している頃は、何の特徴もない凡庸な指揮者みたいなことをいわれたものでした。
しかし、こうして時を隔てて彼の業績を俯瞰できるようになれば、その「凡庸」と切って捨てた評価の半分は的を射ていていましたが、残りの半分はとても重要なことを見落としていたことに事に気づくのです。

私なりの結論を言えば、サヴァリッシュという人は、彼が若い時代には未だ現役として活躍していた往年のマエストロたちとは一線を画することを「使命」とした指揮者でした。

サヴァリッシュと言えば生粋のコンサート指揮者のように思われているのですが、アーヘン(1953年)→ヴィースバーデン(1958年)→ケルン(1960年)→バイエルン(1971年)という形でキャリアの階段を上っていったのです。そのキャリアを眺めてみれば、彼もまた古きヨーロッパの伝統に従って地方の小さな歌劇場からの叩き上げてきた指揮者である事が分かります。

しかし、キャリア的には伝統的な道筋を駆け上がりながら、その音楽は同時代のマエストロたちとは全く異なるものでした。
その違いを誤解を恐れずに言い切ってしまえば、当時のマエストロたちがどのような作品であってもそこに自分なりの「味付け」を施すことが常であり、聞き手もまたその「味付け」を期待して音楽に耳を傾けていたのに対して、サヴァリッシュはその様な「味付け」を施すことを意図的に拒否したことでした。
でも、それってトスカニーニを源流とする「ザッハリヒカイト」の流れの中にあるという事じゃないの、と言われそうなのですが、どうもそれとも違うようなのです。例えば、トスカニーニ、ライナー、セルと並べてくれば、そこからは「ザッハリヒカイト」という「強烈な意志」に基づく「味付け」を感じてしまうのです。それは、クレンペラーにしても同様です。

そう言う意味では、フルトヴェングラーやクナパーツブッシュなどは言うまでもないのですが、トスカニーニ以降のザッハリヒカイトな流れともまた違う、さらにその先の音楽の姿を求めた人だったのです。
その背景には、当時の「ザッハリヒカイト」を標榜した指揮者達以上に作曲家の書いたスコアに対する信頼感があったのでしょう。
それは、言葉をかえれば、指揮者の仕事とは、その書かれてあるスコアを読み違えることなく、そのあるがままの姿で聞き手に対して提供することだという「信念」があったのです。ですから、彼にとって絶対に必要だったのは「これで演奏できなければ嘘だろう・・・と思うほどに正確無比な指揮ぶり」だったのです。

しかし、そう言う彼が指向する音楽は、21世紀に入っても未だ50~60年代のマエストロたちがしぶとく生き残っているこの国では肯定的にとらえられることはありませんでした。
曰く、「音楽が持つ楽しさや香りが希薄」、曰く、「柔軟性や楽しさが乏しい」などと言われたものでした。
ですから、彼のことを「凡庸」と切って捨てた評価には一定の根拠はあったのです。

しかしながら、彼は最初からその様な「味付け」は放棄しているのであって、意図的に放棄しているものがどこを探しても見つからないと言って文句を言うのは世間では「言いがかり」と言います。つまりは、彼のことを「凡庸」と切って捨てた人たちはサヴァリッシュが指向した「とても大切なこと」を見落としていたのです。

そう言えば、富士フイルムのコマーシャルで「美しい方はより美しく、そうでない方はそれなりに写ります」というキャッチコピーがありました。あれはそうしたサヴァリッシュの方法論に言い表すのにもピッタリだったのかもしれません。
そう言う意味では、フルトヴェングラーなんかでは何をやっても「フルトヴェングラーの音楽」になってしまっているのですが、サヴァリッシュの場合は「サヴァリッシュの音楽」を聞かせようなどという思いは全くなく、あるのは「ベートーベンの音楽」や「ブラームスの音楽」であったはずです。
ですから、あまりにも生真面目で遊びがなさ過ぎると言われる彼の音楽が、時に思わぬほどの瑞々しさで羽ばたくような瞬間があるのですが、それもまたその功は作曲家の書いたスコアにあるというのがサヴァリッシュのスタンスだったのです。

そして、そんなサヴァリッシュの美質が遺憾なく発揮されているのが60年代のフィリップスでの録音だったのかもしれません。
このブラームスの一連の小品などは、どれをとってもそう言うサヴァリッシュの姿が見事に刻み込まれています。

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