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ベートーベン:交響曲第3番変ホ長調 作品55 「英雄」

セルゲイ・クーセヴィツキー指揮 ボストン交響楽団 1945年10月29-30日録音



Beethoven:Symphony No.3 in E flat major , Op.55 "Eroica" [1.Allegro Con Brio]

Beethoven:Symphony No.3 in E flat major , Op.55 "Eroica" [2.Marcha Funebre; Adagio Assai]

Beethoven:Symphony No.3 in E flat major , Op.55 "Eroica" [3.Scherzo. Allegro Vivace; Trio]

Beethoven:Symphony No.3 in E flat major , Op.55 "Eroica" [4.Allegro Molto; Poco Andante; Presto]


音楽史における最大の奇跡

この交響曲は「ハイリゲンシュタットの遺書」と結びつけて語られることが多いのですが、それは今回は脇においておきましょう。
その様な文学的意味づけを持ってこなくても、この作品こそはそれまでの形式にとらわれない、音の純粋な芸術性だけを追求した結果として生み出された雄大にして美しい音楽なのですから。
それゆえに、この作品は「音楽史上の奇蹟」と呼ばれるのです。

それでは、その「音楽史上の奇蹟」と呼ばれるのはどんな世界なのでしょうか?

まず一つめに数え上げられるのは主題の設定とその取り扱いです。

ベートーベン以前の作曲家がソナタ形式の音楽を書こうとすれば、まず何よりも魅力的で美しい第1主題を生み出すことに力が注がれました。
しかし、ベートーベンはそれとは全く異なる手法で、より素晴らしい音楽が書けることを発見し、実証して見せたのです。

冒頭の二つの和音に続いて第1楽章の第1主題がチェロで提示されます。

第1楽章の主題




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「運命」がたった4つの音を基本的な構成要素として成立したことと比べればまだしもメロディを感じられますが、それでもハイドンやモーツァルトの交響曲と比べればシンプルきわまりないものです。
それは、もはや「主題」という言葉を使うのが憚られるほどにシンプルであり、「構成要素」という言葉の方が相応しいものです。

しかし、そんな小難しい理屈から入るよりは、実際に音楽を聞いてみれば、このシンプルきわまりない構成要素が楽章全体を支配していることをすぐに了解できるはずです。
もちろん、これ以外にもいろいろな楽想が提示部に登場しますが、この構成要素の支配力は絶対的です。
そして、この第1主題に対抗するべき柔和な第2主題が登場してきてもその支配力は失われないのです。

ベートーベンは音楽の全てがこの構成要素から発し、そしてその一点に集中するようにな綿密な設計に基づいて交響曲を書き上げるという「革新」をなしえたのです。
そして、第5番「運命」ではたった4つの音を基本的な構成要素として巨大な交響曲全体を成立させるという神業にまで至ります。単純きわまる構成要素を執拗に反復したり、その旋律を変形・重複させたり、さらには省略することで切迫感を演出することで、交響曲の世界を成立させてしまったのです。

音楽において絶対と思われた「歌謡性」をバラバラの破片に解体し、その破片を徹底的に活用することで巨大な建築物を作り上げる手法を編み出してしまったのです。
しかしながら、これが「奇蹟」の正体ではありません。それは正確に言えば「奇蹟」を実現するための「手段」でした。

二つめに指摘しなければいけないのは、「デュナーミクの拡大」です。
もちろん、ハイドンやモーツァルトの交響曲においても「デュナーミク」は存在しています。

「デュナーミク」とは日本語にすると「強弱」と言うことになるのですが、つまりは強弱の変化によって音楽に表情をつける事を意味します。通常はフォルテやピアノと言った指示やクレッシェンド、ディミヌエンドなどの記号によって指示されるものです。
ベートーベンはこの「デュナーミク」の幅を飛躍的に拡大してみせたのです。

主題が歌謡性に頼っていれば、そこで可能なデュナーミクはクレッシェンドかディミヌエンドくらいです。音量はなだらかに増減するしかなく、そこに急激な変化を導入すれば主題の形は壊れてしまいます。
しかし、ベートーベンはその様な歌謡性を捨てて構成要素だけで音楽を構成することによって、未だ考えられなかったほどにデュナーミクを拡大してみせたのです。
そして、それこそが「奇蹟」の正体でした。

構成要素が執拗に反復、変形される過程で次々と楽器を追加していき、その頂点で未だかつて聞いたことがないような巨大なクライマックスを作りあげることも可能となりました。
延々とピアニッシモを維持し続けた頂点で突然のようにフォルティッシモに駆け上がることも可能です。
さら言えば、その過程で短調から長調への転調も可能なのです。

結果として、ハイドンやモーツァルトの時代には考えられないような、未だかつてない大きさをもった音楽が聴衆の前に現れたのです。そして、その「大きさ」を実現しているのが「デュナーミクの拡大」だったのです。

とは言え、この突然の変貌に対して当時の人は驚きを感じつつも、その強烈なインパクトに対してどのように対応して良いものか戸惑いはあったようです。
当時の聴衆にとってこれは異形の怪物ととも言うべき音楽であり、第1、第2というすばらしい「傑作」を書き上げたベートーベンが、どうして急にこんな「へんてこりんな音楽」を書いたのかと訝ったという話も伝わっています。

しかし、この音楽が聞くもののエモーショナルな側面に強烈に働きかける事は明らかであり、最初は戸惑いながら、やがてはその感情に素直となってブラボーをおくることになったのです。

しかしながら、交響曲は複数の楽章からなる管弦楽曲ですから、この巨大な第1楽章受けて後の楽章をどうするのかという問題が残ります。
ベートーベンはこの「エロイカ」においては、巨大な第1楽章に対抗するために第2楽章もまた巨大な葬送行進曲が配置することになります。

第2楽章の主題




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ベートーベンは、このあまりにも有名な葬送のテーマでしっかりと第1楽章を受け止めます。

しかし、ここで問題が起こります。
果たして、この2つの楽章を受けて続く第3楽章は従前通りの軽いメヌエットでよいのか・・・と言う問題です。

答えはどう考えても「否」です。

そこで、ベートーベンは第2番の交響曲に続いて、ここでも当然のようにスケルツォを採用することになります。
つまりは、優雅さではなくて諧謔、シニカルな皮肉によって受け止めざるを得なかったのです。

ベートーベンはこの「スケルツォ」という形式を初期のピアノソナタから使用しています。しかしながら、その実態は伝統的なメヌエット形式を抜け出すものではありませんでした。
そこでの試行錯誤の結果として、彼は第2番の交響曲でついにメヌエットの殻を打ち破る「スケルツォ」を生み出すのですが、その一つの完成形がここに登場するのです。

そして、これら全ての3つの楽章を引き受けてまとめを付けるのが巨大な変奏曲形式の第4楽章です。
ベートーベンはこの主題がよほどお気に入りだったようで、「プロメテウスの創造物」のフィナーレやピアノ用の変奏曲などでも使用しています。

第4楽章の主題




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しかしながら、交響曲という形式は常に、この最終楽章をどのようにしてけりをつけるのかという事が悩ましい問題として残ることになります。

ありとあらゆる新しい試みと挑戦が第1楽章で為され、それを引き受けるために第2楽章は緩徐楽章で、第3楽章はスケルツォでという「スタイル」が出来上がっても、それらすべてを引き受けて「けり」をつける最終楽章はどうすべきかという「形式上の問題」は残り続けるのです。
ベートーベンはここでは「変奏曲形式」を用いることでこの「音楽史上の奇蹟」を見事に締めくくってみせたのですが、それは必ずしも常に使える手段ではありませんでした。

しかしながら、この「エロイカ」の登場によって、「交響曲」という音楽形式はコンサートの前座を務める軽い音楽からクラシック音楽の王道へと変身を遂げた事は事実です。
そして、それはまさに「これからは新しい道を進もうと思う」と述べた若きベートーベンの言葉が、一つの到達点となって結実した作品でもあったのです。


なんだかクナパーツブッシュの「好き勝手」を連想させる「エロイカ」です

別の処でも記したのですが、SP盤の黄金時代は1930年代の後半だったように思われます。その時代において「録音」という行為が許されたのはほんの一握りの「巨匠」たちだけでしたから演奏のクオリティが高いことは言うまでもないのですが、録音のクオリティもそう言う「希少性」に相応しい意気込みで取り組まれていましたから、今日の耳からしても驚くほどの素晴らしいものでした。

録音のクオリティも高く、保存状態も良い「SP盤」を「クレデンザ蓄音機」で聞いたことがあるのですが、それはもう、「SP盤」に対する認識を根底から覆すほどの素晴らしさでした。そして、最近はそう言う音質をデジタルに移しかえる技術もこなれてきたようで、CDによる復刻盤の音質も飛躍的に向上してきたように思われます。

しかしながら、このクーセヴィツキーの「エロイカ」は、第2次大戦が終了して間もない1945年10月29-30日の録音です。アメリカはヨーロッパと較べれば戦争の影響が小さかったのですが、それでも優秀な録音エンジニアたちが戦争に駆り出されたことも影響してか、戦時中の録音のクオリティは30年代と較べると低下せざるを得ませんでした。
そして、その影響は戦争が終わっても引きずったようで、これがもうワンランクくらい録音のクオリティが高ければ、どれほどに素晴らしかっただろうかと残念でなりません。

当時のアメリカで活躍していた指揮者というのは、ほぼすべてがヨーロッパに根っこを持った人でした。
それは、トスカニーニを筆頭に、ワルター、セル、オーマンディなどなど、ほぼすべてでした。そして、彼らの根っこにあるヨーロッパは「古き良きヨーロッパ」でした。
しかしながら、彼らが居を移した「アメリカ」はその様な「古きヨーロッパ」とは全く異質な社会でした。そこで、いささか図式的に過ぎるかもしれませんが、彼らの多くはその様な社会にあわせて「表現主義」的なスタイルから「即物主義」のスタイルへと自らの芸風を変えていったのです。しかし、そこで注意が必要なのは、例えそのように表面的なスタイルが変化していっても、その奥には常に「古き良きヨーロッパ」が根っこを張っていたことです。
おそらくその事が、彼らに続く「楽譜に忠実」なだけの指揮者達との根源的な違いだったのです。

ただし、表面的な「即物主義」と、内面的な「表現主義」がどのように同居するのかと言えば、それは人それぞれに違いがあるとしか言いようがないようです。
トスカニーニであるならば鋼鉄の規律によって実現される「カンタービレ」として表現されたのかもしれませんし、セルのように奥の奥に沈め込まれてほとんどの人に気づかれることもなかった態のものもあるでしょう。
そんな中にあって、ひときわユニークなのがこのクーセヴィツキーかもしれません。何故ならば、彼の場合は時々、その「表現主義的な古きヨーロッパ」が生のままでヌッと姿を現すときがあるからです。

例えば、この「エロイカ」などは実に立派なものであって、それはこの時代のアメリカのクラシック音楽界に君臨していたトスカニーニ流のザッハリヒカイトな演奏その物です。
しかし、クーセヴィツキーほどの指揮者にしては、そのままで終わっては、立派であっても今ひとつ物足りないなと思っていると、最終楽章でやってくれているのです。

おそらく、クラシック音楽というものをそれなりに聞き込んでいる人ならば、この最終楽章に入った途端に軽い違和感を覚えるはずです。何故ならば、先立つ3楽章のテンポ設定から言えば微妙に遅いテンポ設定で音楽が始まるからです。
それは一定のスピードで快調に高速道をを疾走していた車が急にスピードを落としたようなものなので、その変化はごく小さなものであっても、聞き手に与える違和感は結構大きいのです。

しかし、クーセヴィツキーがこの最終楽章においてその様なテンポ設定を取った理由はすぐに了解できます。それは、そこまでは音楽は縦割りだというスタイルですすめてきたものを、この最終楽章では明らかに横への流れを重視したものに変わっているからです。
おそらく、この巨大な変奏曲にとっては、その方が相応しいと考えたのでしょう。そしてそれがセルのような指揮者であれば、そう言う解釈をしたとするならば、そのつなぎ目はもっとシームレスに仕上げるはずなのですが、クーセヴィツキーの場合はまさに異質なものを二つ、何の処理も施さずにぶっきらぼうにつなげている様に聞こえるのです。

そして、驚くのは、音楽が進むにつれて少しずつテンポがずり下がっていくように感じます。
音楽のフィナーレに向かって少しずつテンポがずり上げていって「効果」を狙うというのは時々耳にするのですが、ずり下がっていくというのはあまり記憶にありません。
そして、そこまでやってくれると、なんだかクナパーツブッシュの「好き勝手」を連想させて、実に愉快なのです。

どうやら、このクーセヴィツキーという人はただの「即物主義的な指揮者」として一括りには出来ない面白さを持った人かもしれません。

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