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ショルティ(Georg Solti)|ロッシーニ:「セミラーミデ」序曲&「アルジェのイタリア人」序曲
ロッシーニ:「セミラーミデ」序曲&「アルジェのイタリア人」序曲
ゲオルク・ショルティ指揮 コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団 1958年6月録音
Rossini:Semiramide, Overture
Rossini:L'Italiana Algeri, Overture
人生の達人
ロッシーニの人生を振り返ってみると、彼ほど「人生の達人」という言葉が相応しい人は滅多にいません。
なにしろ、人生の前半は売れっ子のオペラ作曲家としてばりばり働き、十分に稼いだあとはそんな名声などには何の未練も残さずにあっさりと足を洗って悠々自適の人生を送ったのですから。
私たちが暮らす国では「生涯現役」とか言われて、くたばるまで働くのが美徳のように言われますが、ヨーロッパでは若い内はバリバリ働いてお金を稼ぎ、その稼いだお金で一刻も早くリタイアするのが理想の生き方とされます。
その根っこには、「労働は神から与えられた罰」であるというローマカソリックの考え方があります。
そう言えば、あるフランス人に日本における「窓際族」という概念をいくら説明しても理解できなかったそうです。
日本では仕事を取り上げることで退職に追いやる仕打ちも、フランス人から見れば何の仕事もしないでポジションと給料が保障されるのはパラダイスと認識されるのです。さらに、そのフランス人は「その窓際族というのはどれほどの貢献をすることで与えられるポジションなのだ」と真顔で聞いてきたそうです。
ですから、音楽の世界で成功を収め、さっさと引退して自分の趣味生きたロッシーニは、ヨーロッパ的価値観から言えば一つの理想だったのです。
しかし、十分すぎるほど稼いだと言う以外に、彼の音楽のあり方が次第に時代とあわなくなってきたことも重要な一因ではなかったかと考えます。
ロッシーニが生きた時代は古典派からロマン派へと音楽の有り様が大きく変わっていた時代なのでですが、彼の音楽は基本的には古典派的なものです。一連のオペラ序曲に聞くことが出来る「この上もなく明るく弾むような音楽」は屈折を持って尊しとする(^^;、ロマン派的なものとはあまりにもかけ離れているように思います。
もしそのような「自分の本質」と「時代の流れ」を冷静に見きってこのような選択をしたのなら、実にもう大したものです。
「セミラーミデ」序曲
古代アッシリア王国を舞台として、王位継承を縦軸としてそこに愛と欲望が絡み合うメロドラマのようです。
主な登場人物は、国王ニーノを毒殺した過去を持つ王妃セミラーミデと、それに荷担した神官のアッスール、そして、実は亡き国王の息子「王子ニーニャ」であることが後に分かるスキタイ人士官のアルサーチェです。
お話は、国王が不審な死を遂げてから15年が経過して、新しい国王を選ぶこと決定したと告げられることから始まります。その新しい王位をめぐって様々な駆け引きが展開されます。
アッスールは過去の経緯を持ち出してセミラーミデに自分を王に指名することを要求し、肝心のセミラーミデは突然現れたアルサーチェに恋をして彼との結婚を臨み、そのアルサーチェは行方不明となった王子ニーニャの許嫁だったアゼーマ姫に恋をするのです。
この混乱のなかでニーノ国王の亡霊が現れて王位を継ぐ前に自分を殺した敵を討たなければならない事を告げます。やがて、アルサーチェの持ち物から彼が後継者である「王子ニーニャ」であるこが判明し、さらには国王を毒殺したのが神官のアッスールと母親であるセミラーミデであることが判明します。その事を知ったセミラミーデはアルサーチェに自分を殺すように要求します。
しかし、母を殺すことが出来ないアルサーチェは母と和解し、二人でアッスールを討つことを決意するのですが、混乱のなかでアルサーチェは母親であるセミラーミデを殺してしまいます。呆然とするアルサーチェに対して、神殿からはアルサーチェを新しい国王にむかえる喜びの合唱が響いてきて幕は閉じます。
ロッシーニの序曲はオペラの音楽とは関係のないことが多いのですが、この「セミラミーデ」序曲は珍しくオペラからの音楽を素材としています。
序奏は「セミラーミデに忠誠を誓う四重唱」から取られていて、それ以後も「祭司達の合唱」やアルサーチェのアリア「このむごい災いの一瞬に」のカバレッタ、セミラミーデとアルサーチェの二重唱「その忠誠を永遠に」のカバレッタなどからの音楽が使われています。
「アルジェのイタリア人」序曲
舞台はアルジェリアで、そのアルジェリアの太守ムスタファと妻エルヴィラ、そしてイタリア人奴隷のリンドーロと難破船から連れてこられたイタリア人女性イザベッラが主な登場人物です。
妻エルヴィラに飽きたムスタファは海賊に新しいイタリア人女性を連れてくるように命じます。彼は、エルヴィラを奴隷のリンドーロに払い下げて新しい妻を迎えるつもりなのです。そうして、新しく難破船から誘拐されてきたのがイザベッラでした。
ところが、このイザベッラはイタリア時代のリンドーロの恋人だったのです。さらに勝ち気なイザベッラはムスタファの妻になるなんて御免被ると言い放って場は大混乱になります。やがて、エルヴィラとリンドーロ、そしてイザベッラはムスタファに対して「パッパターチ」という怪しい行事をしないかと持ちかけます。「パッパターチ」とはイタリアではとても名誉ある行いだというのですが、もちろんそんな事は全くのでっち上げです。
しかし、何があっても沈黙を守って食べ、飲み、眠るという儀式にムスタファは興味を示し、その間にリンドーロとイザベッラはエルヴィラの協力を得てイタリアに脱出する準備を始めます。
やがて、駄出の準備が完了してイタリア人たちが船に乗り込み始めると、それに気づいた召使いたちがムスタファに報告うるのですが、ムスタファは「パッパターチ」の最中と言うことで取り合おうとしません。やがて、船がイタリアに向かって出発すると、そこで初めて欺されたことに気づくのですが全て後の祭り。
ムスタファは仕方なくエルヴィラに詫びを入れて仲直りを果たすのです。
お話の内容は実に馬鹿馬鹿しいのですが、ロッシーニが21才の時にわずか3週間で仕上げたという話が伝わっています。
恐るべし、ハンガリーの猛獣
コヴェント・ガーデンの歌劇場の歴史を振り返ってみると、初代の音楽監督は1946年に就任したカール・ランクルでした。しかしながら、歌劇場の歴史は18世紀初頭まで遡るのですから、その間はどうしていたんだという疑問が脳裏をよぎります。ちなみに、ウィーンの歌劇場などは建物が完成したのは1869年なのですが、その翌年にはヨハン・ヘルベック が初代の音楽監督に就任しています。
実はこの違いこそが、このイギリスの歌劇場の性格を決定しています。それは、歌劇場と言えば、そこには専属のオーケストラやバレエ団などが存在しているのが普通なのですが、イギリスの歌劇場にはそう言う普通の体制が存在していなかったのです。
つまりは、歌劇場という「箱」は存在しているのですが、そこでオペラを上演するのは「興行主」達であって、彼らは自らの「興業」のたびに必要なオーケストラや歌手、そして必要とあればバレエ団などを調達していたのです。
当然の事ながら、その様なシステムでは演奏のクオリティが上がるはずもなく、さらには聴衆に分かりやすいように英語で歌唱するという習慣も長く存在し続けました。
ですから、1946年にカール・ランクルが音楽監督に就任したのは、そう言う「箱」だけの存在だった「歌劇場」が、ようやくにして専属のオーケストラや歌手などを抱えるようになったことを意味するのです。
ところが、この初代の音楽監督はワーグナーの楽劇の上演においてアンサンブルや演出をうまくまとめられないとして馘首になると言う体たらくだったのです。
そして、その後は音楽監督不在の状態が続き、1955年にラファエル・クーベリックが2代目の監督に就任するのですが、それも58年には辞任してしまってまたまた監督不在の状態になるのです。
そんなコヴェント・ガーデンの歌劇場に3代目の音楽監督として乗り込んできたのがショルティだったのです。
コヴェント・ガーデンの歌劇場というのは、仲良く和気藹々と音楽をすることをモットーとしていましたから、そんなところにハンガリー出身の猛獣のような指揮者がやってくると言うことで恐慌状態に陥ります。
そして、その次に彼らが行ったことは陰に日向に、ありとあらゆる手段を使ってこの猛獣を追い出すことでした。
しかしながら、そう言う抵抗がどういう結果をもたらすかは、例えばパリのコンセルヴァトワールのオケがどういう目に遭わされたかを思い出せば容易に想像が付こうかというものです。
ショルティはこのアマチュア気分の抜けないこの仲良し集団にシステム化されたプロフェッショナル意識を注入しました。
彼らが自らの音楽監督として「ルドルフ・ケンペ」の名前を叫んでも、この猛獣は一切気にすることなく改革の大鉈を振るい続けるのです。
当然の事ながら、実力の伴わないイギリス人歌手達が英語で歌唱するというような「愚かしい伝統」は一掃され、世界中から一流の歌手が招かれるようになりました。
オーケストラの水準もこの猛獣の恐怖によってめざましい進歩を見せるようになり、瞬く間に世界の二流、三流の歌劇場に過ぎなかったこのオペラ・ハウスを世界のトップクラスに肩を並べる存在へと成長させていったのです。
アマチュアの仲良し集団ならば和気藹々とやっていればいいのでしょうが、プロがプロとしての相応しい姿に変身するためには猛獣が必要なのです。
ただし、組織の中において、誰からも歓迎されない骨の折れる仕事をやり遂げることが出来る人は滅多にいないのです。
この1958年に録音された「オペラからの名曲集」は、そんなぬるま湯につかっていたオーケストラが始めて猛獣と相まみえた瞬間を切り取ったものです。
驚くことに、そこにはそんな緩い雰囲気は微塵も存在していないのです。
恐るべし、ハンガリーの猛獣!!
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