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ベートーヴェン:交響曲第1番ハ長調 op.21


カレル・アンチェル指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 1953年2月録音を再生する



Beethoven:Symphony No.1 in C major, Op.21 [1.Adagio molto - Allegro con brio]

Beethoven:Symphony No.1 in C major, Op.21 [2.Andante cantabile con moto]

Beethoven:Symphony No.1 in C major, Op.21 [3.Menuetto. Allegro molto e vivace]

Beethoven:Symphony No.1 in C major, Op.21 [4.Finale. Adagio - Allegro molto e vivace]

18世紀の交響曲の集大成であり、ハイドンの総決算

ベートーベンという人の作曲家としての道筋を辿るときに、重要な目印になるのが32曲のピアノ・ソナタです。
ベートーベンという人はクラシック音楽の世界を深く掘り下げた人であるのですが、驚くほど多方面にわたって多様な音楽を書いた人でもありました。さすがに、オペラは彼の資質から見ればそれほど向いている分野ではなかったようなのですが、それでも「フィデリオ」という傑作を残しています。
特定の分野に絞って深く掘り下げた人はいますし、多方面にわたって多くの作品を書き散らした人もいます。しかし、ベートーベンのように幅広い分野にわたって革命的と言えるほどに深く掘り下げた人は、他にモーツァルトがいるくらいでしょうか。

そんなベートーベンが、その生涯にわたって創作を続けた分野がピアノ・ソナタであり、それ以外では交響曲と弦楽四重奏の分野でしょうか。
そして、この3つの中でもっとも数多くの作品を残したのがピアノ・ソナタですから、ピアノ・ソナタこそがもっとも細かい目盛りでベートーベンという男を計測できるのです。

この計測器を使って初期の1番と2番の交響曲を計測してみれば、それが同列に論じてはいけないことは一目瞭然です。


  1. ベートーベン:交響曲第1番 ハ長調 作品21 [1799年~1800年]

  2. ベートーベン:交響曲第2番 ニ長調 作品36 [1801年~1802年]



時間的に見れば相接しているように見えるのですが、ピアノ・ソナタで計測してみれば、この二つの交響曲の間には明らかに大きな飛躍が存在していることに気づかされます。

ベートーベンはこの第1番の交響曲を書き上げるまでに「悲愴ソナタ」を含む第10番までのピアノ・ソナタを書き上げていました。ピアノ・ソナタ全体のおよそ3分の1を占める10番までの初期ソナタは、ハイドンやモーツァルトが確立した18世紀のソナタを学んでそれを血肉化し、それをふまえた上で前に進もうと模索した時期でした。

そう言う模索の先に第1番の交響曲が生み出されたことは、ベートーベンという男の「歩み方」のようなものが暗示されているように思えます。
彼にとってピアノ・ソナタは常に新しい道を切り開くアイテムであり、そこで切り開いた結果を集大成するのが交響曲でした。

その意味では、この第1番の交響曲は18世紀の交響曲の集大成であり、その手本は明らかにハイドンだったのです。
しかし、その事は先人の業績をなぞっただけの作品になっていると言うことを意味するものではありません。そこには、ハイドンが長年の試行錯誤の中で確立した18世紀的な交響曲の手法をしっかりと自らのものとしながら、そこに何か新しいものを付け加えようとする意欲も垣間見ることが出来るのです。

それは、例えば第1楽章冒頭のちょっと不思議な印象が残る和音進行からして明らかです。そう言えば、カラヤンがこの冒頭部分は指揮者にとっては難しいみたいな事をどこかで語っていました。
続く、第2楽章では、どこか浪漫派を思わせるような叙情性を身にまとっていますし、何よりも続くメヌエット楽章の雰囲気はハイドン的な典雅さとは随分隔たっています。もっとも、それを「スケルツォ」とまでは言い切れないのでしょうが、それでもハイドンをなぞっているだけでないことは明らかです。

そして、最終楽章のアダージョの序奏はハイドン的な世界からはかなりへだっています。
しかしながら、音楽全体としてはやはりそれはハイドンの総決算です。

そして、この第1番の交響曲を書き上げた後に、さらに第11番から18番までのピアノ・ソナタを書き上げます。
しかし、それらのピアノ・ソナタは同一線上に存在するものではなくて、11番から15番までの作品群と、それ以後の作品31の16番から18番までの作品群に分かれます。

前者の作品群はそれ以前の初期ソナタの流れを引き継ぐものであり、それはウィーンでの人気ピアニストとしての腕を振るうために18世紀的ソナタを集大成たピアノ・ソナタでした。
ですから、それらは若き人気ピアニストの作品群と言えます。

しかし、それはやがて彼のわき上がるような創作意欲をおさめるものとしては、あまりにも小さく、そしてあまりにも古いものであることに気づかざるを得なくなります。
そして、その事に気づいたベートーベンは、未だ誰も踏み出したことがないような世界へと歩を進めていくのです。

それが、「私は今後新しい道を進むつもりだ」と明言して生み出された「テンペスト」を含む作品31のソナタだったのです。

交響曲2番は、まさにその様な新しい道へと踏み出した時期に生み出された音楽なのです。ですから、「初期の1番・2番」などとセットにして語ってはいけないのです。
交響曲の1番が18世紀の総括だとすれば、第2番は明らかに19世紀への新しい一歩を踏み出した音楽なのです。

そして、彼はピアノ・ソナタの分野ではこのすぐ後に「ワルトシュタイン」を生み出し、その後に、ついに音楽史上の奇蹟とも言うべき「エロイカ」が生み出されるのです。


一切の不純物が排除されて、川底までが透き通って見えるような透明感を保持している

カレル・アンチェルという指揮者は長年にわたって「視野」の外にいた存在でした。

それは、アンチェルと言えば「新世界より」か「我が祖国」くらいしか話題になることがなくて、そう言う「ローカリティ」に価値のある指揮者だという誤解があったからです。
ところが、じっくりと腰を据えて聞き直してみれば、時代の流れに沿ったザッハリヒカイトな音楽のように見えながら、その深いところではそう言う「流行」などとは全く無縁の、他に変わるもののない独自性に貫かれていることに気づかされるのです。

その独自性がもたらすイメージは、あまりにも文学的表現に過ぎると言われそうなのですが、一言で言えば「清流」です。ただし、その「清流」はかなりの川幅を持ちながらも美しく流れる大河なのです。
実は、こう書いている私の頭の中にイメージされているのは、昨年訪れる機会のあった四国の四万十川のイメージなのです。

沈下橋から眺めた四万十川の流れ


沈下橋から眺めた四万十川の流れ



有名な「沈下橋」の上から眺めた美しも滔々と流れる四万十の流れこそは、私がイメージするアンチェルの音楽にもっとも相応しいものだったのです。
もっとも、ヨーロッパにもその様な清流があるのかは不勉強にして知りません。あの「美しき青きドナウ」にしてもウィーン近郊では緑色に濁っていました。

そして、もう一つ、アンチェルと言えばあまり古典派の音楽とは結びつかないのですが、すでに紹介してあるモーツァルトの交響曲でもお分かりようのように、決して悪くはないのです。いや、「悪くない」どころか、あのモーツァルトこそが私に「清流」を思い起こさせてくれたのでした。
そして、この50年代の初めに録音された2つのベートーベンの交響曲も悪くない演奏なのです。
とりわけ、交響曲第1番の方は、モーツァルトの交響曲で感じた「清流」を思わせるような造形で貫かれているのです。そこでは、一切の不純物が排除されて、川底までが透き通って見えるような透明感を保持しながら、音楽そのものは勢いを持って流れ下っていくのです。

ところが、不思議なことに、第5番の「運命」の方は少しばかり様子が異なるのです。
それは、冒頭のいわゆる「運命の動機」と言われる部分を聞くだけでその違いは了解できるはずです。これほど、一音一音を意味ありげに鳴らす指揮者は珍しいでしょう。しかし、それはこの後の音楽をより深刻に響かせるための前置きなのかと思えば、どうも、そうではないことがすぐに分かってくるのです。
アンチェルは、「運命」という言葉から連想されるような仰々しさからは出来る限り避けようとしていることは明らかだからです。
特に、金管群は出来る限り控えめに鳴らすことを要求しているようで、音楽が居丈高になることを徹底的に回避してるのです。

そして、結果としてこぢんまりとした交響曲になっていく中で気づかされるのは、この純粋器楽の極点とも言うべき音楽に「歌」を持ち込もうとしているのではないかという事です。
そう思えば、アンチェルは冒頭の「運命の動機」ですらも歌わせようとしたのではないかという思いも浮かび上がってくるのです。

ですから、外形的にはこぢんまりとした穏やかな音楽になっているのですが、それが結果としては他ではあまり耳にすることのない「偉業」の姿になっているのです。

おそらく、やろうと思えば、第1番の交響曲のように「運命」もまた造形できたはずです。そうすれば、そこでも滔々と流れ行く「運命という美しき清流」に身を任せることも出来たはずです。しかし、やれるのにやらなかった背景には理由があるのでしょうが、それが何だったのかは私には分かりません。
ある人の指摘によると、ノイマンとチェコフィルもこういう「運命」を演奏していたという事です。
もしかしたら、これはチェコフィルに伝わる一つの「伝統」なのかもしれません。

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