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パガニーニ:ヴァイオリン協奏曲第1番ニ長調 作品6

(Vn)レオニード・コーガン シャルル・ブリュック指揮 パリ音楽院管弦楽団 1955年録音



Paganini:Violin Concerto No.1 in D major, Op.6 [1.Allegro maestoso - Tempo giusto]

Paganini:Violin Concerto No.1 in D major, Op.6 [2.Adagio espressivo]

Paganini:Violin Concerto No.1 in D major, Op.6 [3.Rondo Allegro spiritoso - Un poco piu presto]


ヴァイオリンの技巧の見本市

さて、パガニーニのコンチェルトをどう見るか?
いわゆるクラシック音楽の通たちからは一段も二段も低く見られてきたことは間違いありません。そして、その事は決して現在だけでの話ではなく、パガニーニが活躍した19世紀においても事情はそれほど変わりません。

例えば、シューマン。

彼は、「私はヴィルトゥオーソのための協奏曲は書けない。」なんて言って、さらに「何か別のものを変えなければならない」などと呟くのです。
古典派の時代でも、モーツァルトやベートーベンはソリストの名人芸を披露するだけの協奏曲には飽きたらず様々なトライを繰り返していました。

ですから、そう言う時代背景の中にこのパガニーニの作品を置いてみると、あまりにも問題意識がなさ過ぎるように見えるのです。

しかし、音楽というのはまずはエンターテイメントだという現実に開き直ってみれば、これは実に「楽しい」作品であることは間違いありません。
ありとあらゆる「美食」を食いつくした果てに、お茶漬けと漬け物に行き着くのは決して否定しませんが、その価値観を全ての人に押しつけるはいかがなものでしょうか?

たまには難しい理屈は脇に置いて、極上の美食に舌鼓をうつのも悪くはないでしょう。

ちなみに、パガニーニには自筆楽譜というモノはほとんど残っていません。
それは、彼が病的なまでに疑り深い人間であり、他人に自分の作品が盗用されることをおそれて、演奏会が終わるとパート譜などを全て回収した上に、パガニーニの死後も遺族がそれらの保存に全く無関心であったためにその大部分が散逸してしまったためです。

現在では、そう言う楽譜の存在が確認されているのは6曲のコンチェルトとカプリースだけだと言われています。


ハイフェッツと同じ道を歩みながら、ハイフェッツという偶像を拝む必要のない唯一の存在

ソリストとしてのレオニード・コーガンをはじめて取り上げたのが「バルシャイ指指揮 モスクワ室内管弦楽団」によるモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番だったというのはあまり相応しくなかったようです。
あれは、あまりにも切れ味の鋭いコーガンのヴァイオリンとバルシャイ&モスクワ室内管弦楽団という驚異のアンサンブルが出会うことで、異常な化学反応を起こしてしまったような演奏でした。

おかしな喩えかも知れませんが、それはいつもは生真面目で立派な紳士であるのに、はじめて会ったときは何かの拍子でハイテンションになっていていささか切れ気味だったというような感じでしょうか。
そこで、もう少しコーガンらしい演奏はないかと探していて見つけたのがこのパガニーニのコンチェルトでした。

パガニーニのコンチェルトというのは最初からいささか切れ気味の音楽なのですが、それを驚くほどの安定感でがっしりと押さえ込んでいます。
そして、この演奏を聞いていて殆どの人はハイフェッツを連想するはずです。

この時代、西側の世界では次々と登場する新しい才能に対して「ハイフェッツの再来」みたいなキャッチコピーが奉られました。
聞いてみれば、確かに素晴らしいテクニックを披露してくれるので、その様なキャッチコピーにはそれなりの根拠はあるんだなとは思いつつも、それでも「どこか違うよな」という思いは拭えませんでした。その「拭えない」という感情の背景には、彼らの全てが結局はハイフェッツにはなれなかったという「その後の行き立て」を知ってしまっている事もあるのかも知れません。
しかし、じっくり聞いてみればやはり「どこか違う」のです。

そして、その「どこか違う」の「どこか」が「何なのか」をこのコーガンの演奏は教えてくれるのです。
おそらく、その「どこか」は「圧倒的な安定感」なのでしょう。

例えば、若い頃のマイケル・レビンのヴァイオリンにはハイフェッツに劣らないほどの技巧の冴えがありました。しかし、その冴えは「精一杯」のところで成り立っているものであり、そんな「精一杯」の状態でヴァイオリニストとしての長い人生を送れるはずはなかったのです。
それは、同じようにサーキットコースを300キロメートルのスピードで疾走していても、片方は余裕で走り抜けるレーシング仕様のマシンだとすれば、他方は限界ギリギリで走っている市販車の改造マシンのようなものかもしれません。

もっとも、レビンのことを「市販車の改造マシン」と呼んでは気の毒にすぎるかも知れませんが、それでもハイフェッツの余裕がなかったことは事実です。そして、そのギリギリのところで成り立っているがゆえの「危うい切なさ」のようなものが彼の演奏に一種の魅力を与えていたことも事実なのですが、そんな事が長く続かないのもまた当然のことです。
ハイフェッツにとらわれたヴァイオリニストは、結果として、その呪縛から抜け出せずにレビンのように潰れるか、もしくはルジェーロ・リッチのようにその呪縛から抜け出して別の道を歩むしかなかったのです。

しかし、レオニード・コーガンはその様な「ハイフェッツの再来」とは明らかに異なります。
彼は明らかにハイフェッツの呪縛からは自由です。何故ならば、コーガン自身が既にハイフェッツと変わらないほどの安定感を身につけていたからです。
言葉をかえれば、コーガンはハイフェッツと同じ道を歩みながら、ハイフェッツという偶像を拝む必要のない唯一の存在だったのです。

第1楽章のカデンツァにおける恐ろしいまでの切れ味、第2楽章での白磁を思わせるような強靱にして硬質な叙情性などを聞かされれば、彼に偶像崇拝などは全く無用であることはすぐに了解できるはずです。

それにしても、この時代のソ連という社会は恐ろしいまでの才能の宝庫でした。
そして、そう言う事実に突き当たるたびに、芸術と民主主義は親和性が低いのかという疑惑が頭を持ち上げてくるのです。

この演奏を評価してください。

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