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チャイコフスキー:弦楽セレナード ハ長調 Op.48


バルビローリ指揮 ロンドン交響楽団 1964年9月1日~2日録音


スランプ期の作品・・・?

まずは、弦楽セレナード、そして4つの組曲、さらにはマンフレッド交響曲の6曲です。マンフレッド交響曲は、その標題性からしても名前は交響曲でも本質的には多楽章構成の管弦楽組曲と見た方が自然でしょう。
まず第4交響曲は1877年に完成されています。


  1. 組曲第1番:1879年

  2. 弦楽セレナード:1880年

  3. 組曲第2番:1883年

  4. 組曲第3番:1884年

  5. マンフレッド交響曲:1885年

  6. 組曲第4番:1887年



そして、1888年に第5交響曲が生み出されます。
この10年の間に単楽章の「イタリア奇想曲」や幻想的序曲「ロミオとジュリエット」なども創作されていますから、まさに「非交響曲」の時代だったといえます。
何故そんなことになったのかはいろいろと言われています。まずは、不幸な結婚による精神的なダメージ説。さらには、第4番の交響曲や歌劇「エウゲニ・オネーギン」(1878年)、さらにはヴァイオリン協奏曲(1878年)などの中期の傑作を生み出してしまって空っぽになったというスランプ説などです。
おそらくは、己のもてるものをすべて出し切ってしまって、次のステップにうつるためにはそれだけの充電期間が必要だったのでしょう。打ち出の小槌ではないのですから、振れば次々に右肩上がりで傑作が生み出されるわけではないのです。
ところが、その充電期間をのんびりと過ごすことができないのがチャイコフスキーという人なのです。

オペラと交響曲はチャイコフスキーの二本柱ですが、オペラの方は台本があるのでまだ仕事はやりやすかったようで、このスランプ期においても「オルレアンの少女」や「マゼッパ」など4つの作品を完成させています。
しかし、交響曲となると台本のようなよりどころがないために簡単には取り組めなかったようです。しかし、頭は使わなければ錆びつきますから、次のステップにそなえてのトレーニングとして標題音楽としての管弦楽には取り組んでいました。それでも、このトレーニングは結構厳しかったようで、第2組曲に取り組んでいるときに弟のモデストへこんな手紙を送っています。
「霊感が湧いてこない。毎日のように何か書いてみてはいるのだが、その後から失望しているといった有様。創作の泉が涸れたのではないかと、その心配の方が深刻だ。」
1880年に弦楽セレナードを完成させたときは、パトロンであるメック夫人に「内面的衝動によって作曲され、真の芸術的価値を失わないものと感じている」と自負できたことを思えば、このスランプは深刻なものだったようです。
確かに、この4曲からなる組曲はそれほど面白いものではありません。例えば、第3番組曲などは当初は交響曲に仕立て上げようと試みたもののあえなく挫折し、結果として交響曲でもなければ組曲もと決めかねるような不思議な作品になってしまっています。
しかし、と言うべきか、それ故に、と言うべきか、チャイコフスキーという作曲家の全体像を知る上では興味深い作品群であることは事実です。

<弦楽セレナード ハ長調 Op.48>
チャイコフスキーはいわゆるロシア民族楽派から「西洋かぶれ」という批判を受け続けるのですが、その様な西洋的側面が最も色濃く出ているのがこの作品です。チャイコフスキーの数ある作品の中でこのセレナードほど古典的均衡による形式的な美しさにあふれたものはありません。ですから、バルビローリに代表されるような、弦楽器をトロトロに歌わせるのは嫌いではないのですが、ちょっと違うかな?という気もします。
チャイコフスキー自身もこの作品のことをモーツァルトへの尊敬の念から生み出されたものであり、手本としたモーツァルトに近づけていれば幸いであると述べています。ですから、この作品を貫いているのはモーツァルトの作品に共通するある種の単純さと分かりやすさです。決して、情緒にもたれた重たい演奏になってはいけません。


  1. 第1楽章 「ソナチネ形式の小品」

  2. 第2楽章 「ワルツ」

  3. 第3楽章 「エレジー」

  4. 第4楽章 「フィナーレ」



歌うこと自体が目的


バルビローリという人は一時は「ミニ・カラヤン」みたいないわれ方をされたときがありました。それは、弦楽器を徹底的に磨き抜いて流麗に歌い上げる様子が「レガート・カラヤン」と雰囲気が似ていたからです。
しかし、実際に聞いてみれば分かるように、カラヤンのような合奏精度への関心はあまりないことがよく分かります。バルビローリの特長は、その様な些細なこと(^^;、にとらわれることなく、徹底的に歌い上げることでした。

そんなバルビローリの特長がもっともよくあらわれていたのが手兵のハレ管と69年に演奏したマーラーの3番の最終楽章でしょう。あの巨大なコラージュの緩徐楽章を、これ以上はないと言うほどの厚化粧仕様で仕上げていたものです。
それは美しいと言えば美しいのでしょうが、しかしその「美」はもしかしたら「グロテスク」に転嫁し、マーラー自身の思惑をさえ超えていたかもしれない代物でした。

ですから、オケを流麗に歌わせることが一つの「手段」であったカラヤンと違って、バルビローリはそのこと自体が「目的」となっていたのです。
ですから、レガートをかけまくって歌わせると言っても、そこにかける気迫は本質的に異なるものでした。
彼のことを「ミニ・カラヤン」のように言うのは根本的に間違っています。

そして、このチャイコフスキーの弦楽セレナードも、そう言うバルビローリの本質がよくあらわれた演奏と録音になっています。残念なのは、オケがハレ管ではなくてロンドン交響楽団であることです。つまりは「上手すぎる」ので、最後の最後で「馬鹿」になりきれていない感じがすることです。
もちろん、客観的に見ればその方がはるかに完成度が高いことは疑いはないのですが、ハレ管ならばあのマーラーのように、徹底的に下品の極みまで下りていくことが出来たかもしれないのになどと妄想してしまいます。

ついでながら、参考までに古い録音ですがメンゲルベルクの38年盤を紹介しておきます。

ウィレム・メンゲルベルク指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団 1938年11月7日録音






所々おかしな表情付けや不可解なカットはあるのですが(^^;、基本的にはフレージングの明確な直線的な演奏です。
あのメンゲルベルクでもこういう造形をしていたと知ればバルビローリの有り難みが分かろうかというものです。

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