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ヘンデル:オルガン協奏曲第2番変ロ長調 op.4-2, HWV.290


(Org)パワー・ビッグス エイドリアン・ボールト指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 1957年録音


ヘンデル:オルガン協奏曲

日本でオルガンと言えば小学校の教室にあった足踏みオルガンを思い出すのですが、あれは「リード・オルガン」と呼ばれる種類のもので、ヨーロッパで一般的な「パイプ・オルガン」とは基本的に楽器の構造が異なります。さらに、クラシック音楽の世界でオルガンと言えば、これまた一般的には教会などに据え付けられている巨大なパイプ・オルガンを連想するのですが、実はあんな巨大なものだけがパイプ・オルガンだというわけではありません。

一般的にはパイプ・オルガンには以下の3種類があるそうです。


  1. 大オルガン

  2. ポジティブオルガン

  3. ポルタティーフオルガン



この(1)の大オルガンが教会やコンサート会場に据え付けられている巨大なオルガンに相当します。
そして、(3)の「ポルタティーフオルガン」とは街中で大道芸人が膝の上に乗せて演奏しているオルガンに相当します。

この二つは大きさという点では随分と違いはあるのですが、音を出す仕組みは同じなのでともにパイプ・オルガンの仲間とされています。

問題は(2)の「ポジティブオルガン」と呼ばれるもので、これは言ってみれば「移動可能な小型オルガン」のことで、大きさは机程度のものが一般的です。中には結構大きなものもあるようなのですが、それでも幾つかの部分に分解できるようになっているので持ち運びが可能というのがポイントだそうです。
このポジティブオルガンはヘンデルの時代には宗教曲の通奏低音用オルガンとして用いられたり、サロンでの演奏用に使われて大流行したそうです。また、裕福な一般家庭にもかなり普及したようです。

と言うことで、こんな事を何故につらつら書き連ねてきたのかというと、このヘンデルのオルガン協奏曲はそういう「ポジティブオルガン」を想定して書かれていると言うことを確認しておきたかったからです。さらに念押しをしておくと、この協奏曲では教会などに設置されている巨大なパイプオルガンは想定されていないと言うことです。

言うまでもなくヘンデルもまたバッハと並び称されるオルガンの名手でしたから、彼はこれを自分の演奏会で自らがオルガンを演奏して披露しました。しかし、バッハがその腕前を教会で披露したのに対して、ヘンデルは自らの演奏会で披露したのです。さらにいえば、その作品はオラトリオの幕間における「息抜き」のための音楽として披露されたのです。

ヘンデルにとって重要な作品はあくまでも「オラトリオ」であり、聴衆もまたそれを求めていました。しかしながら、そう言う宗教的な題材をもとにしたヘビーな作品を何の休憩や息抜きも無しに聞き通すのは大変なので、幕間にヘンデル自らがオルガンを演奏して拍手喝采を浴びたのでした。そして、その人気に目をつけた出版社が作品番号4と作品番号7として計12曲をまとめたのです。
ただし、詳しいことはよく分からないのですが、ヘンデルの才能は「即興演奏」にあったので、その出版譜には「ここは即興で!」みたいな事が書かれてあるので、楽譜を見て演奏するしか能のない演奏家には手も足も出ない代物だというのをどこかで聞いたことがあります。


  1. オルガン協奏曲第1番ト短調 op.4-1, HWV.289

  2. オルガン協奏曲第2番変ロ長調 op.4-2, HWV.290

  3. オルガン協奏曲第3番ト短調 op.4-3, HWV.291

  4. オルガン協奏曲第4番ヘ長調 op.4-4, HWV.292

  5. オルガン協奏曲第5番ヘ長調 op.4-5, HWV.293

  6. オルガン協奏曲第6番変ロ長調 op.4-6, HWV.294




  1. オルガン協奏曲第7番変ロ長調 op.7-1, HWV.306

  2. オルガン協奏曲第8番イ長調 op.7-2, HWV.307

  3. オルガン協奏曲第9番変ロ長調 op.7-3, HWV.308

  4. オルガン協奏曲第10番ニ短調 op.7-4, HWV.309

  5. オルガン協奏曲第11番ト短調 op.7-5, HWV.310

  6. オルガン協奏曲第12番変ロ長調 op.7-6, HWV.311



「伝統」の上にどっかりと腰を下ろした演奏


ヘンデルのオルガン協奏曲は既にリヒターによる演奏を既に紹介しています。ですから、このパーワー・ビッグスとボールトによる演奏をもう一つ紹介するとなれば、どうしてもそれとの比較してしまいます。
パワー・ビッグスは今となっては知る人も殆どいなくなっているでしょうが、50年代か60年代にかけてはアメリカでもっとも有名なオルガン奏者、ハープシコード奏者であり、「Columbia」の看板演奏者でもありました。62年にオーマンディ&フィラデルフィア管が録音したサン=サーンスの交響曲3番でも彼がオルガンを担当していました。

この2つを聞き比べて感じるのは、「伝統」と言うものが持つ「重み」です。
例えば、ヘンデルのオルガン協奏曲の中でもっとも耳に馴染んでいるであろう「作品4の6」等を聞くと、まさに私たちがよく聞いてきた音楽はこのビッグス&ボールトの録音の方です。
それは、まさに「この作品はこのように演奏されるものだ!」という古くからの伝統の上に立脚しています。

それに対して、リヒターの方はそういう「伝統」に対して果敢に挑みかかったような演奏だったのかもしれません。それは「何もそんなにもシリアスに、そして大まじめに対峙しなくてもいいのに」と思ってしまうような演奏でした。

ところが不思議なのは、そうやって「伝統」に挑みかかったリヒターの演奏を今聞くと、妙にギクシャクしてどこか古めかしさを感じてしまうのです。
それに対して、悪く言えば「伝統」に胡座をかいているかもしれないビッグス盤の方はそういうおかしな「古さ」とは無縁なのです。彼らの演奏を聞いていると、「やっぱりヘンデルってこんな感じだよね!」と思ってしまう自分がいるのです。

「現実的なものは合理的であり、合理的なものは現実的である。(ヘーゲル)」

「伝統」とは長く続いてきたがゆえに(現実的)、多くの人を納得させる力(合理性)を持っています。それだけに、その魅力をひっくり返すだけの新しい魅力(合理性)を現実の音として多くの人に提供させて納得させる(現実性)のは並大抵ではないのです。
そして、その事はリヒターをを持ってしても容易でないと言うことなのです。

私は、そういう「古さ」を感じてしまうリヒターに対して、彼の音楽の根っこが「古い」からだと思ったのですが、突っ込んで考えてみると、事はそれほど単純ではなかったのかもしれません。
この、あまりにも何の疑問もなく、「伝統」の上にどっかりと腰を下ろしたビッグスとボールトによる演奏を聞いていると、ふとそんな事を考えてしまいます。

なお、リヒター盤は59年録音、ビッグス盤は57年録音なのですが、クオリティは圧倒的にこちらの方が優れています。そういう録音面でのメリットもまたこの演奏を魅力的に見せている要因かもしれません。
さらに、ボールトとロンドンフィルのサポートも見事なことは付け加えておくべきでしょう。

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