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シェーンベルク:ピアノ組曲 Op.25

(P)グレン・グールド 1965年11月16日&18日録音

Schoenberg:Suite for Piano, Op.25 [1.Praludium]

Schoenberg:Suite for Piano, Op.25 [2.Gavotte - Musette]

Schoenberg:Suite for Piano, Op.25 [3.Intermezzo]

Schoenberg:Suite for Piano, Op.25 [4.Menuett]

Schoenberg:Suite for Piano, Op.25 [5.Gigue]


「12音技法」という一種の調

作品番号号がつけられたシェーンベルクのピアノ作品は5曲あります。


  1. 3つのピアノ曲 Op.11(1909年)

  2. 6つのピアノ小品 Op.19(1911年)

  3. 5つのピアノ曲 Op.23(1920年~1923年)

  4. ピアノ組曲 Op.25(1921年~1923年)

  5. ピアノ曲 Op.33a,Op.33b(1928年:Op33a,1931年:Op33b))



ザッと眺めてみると、それぞれの作品からシェーンベルクの変遷が見えてきます。
最初のピアノ作品である「3つのピアノ曲 Op.11」は疑いもなく調性が放棄され事で、無調のシェーンベルクの登場を告げる作品となっています。しかし、実際に聞いてみると、それ以前のロマン派小品のピアノ作品から大きく転換したという雰囲気はありません。無調を標榜しても、調性の世界から遠く隔たってしまうというのは口で言うほど簡単ではないのです。

続く「6つのピアノ小品 Op.19」はいわゆるウェーベルン的様式とも言うべき、極限までに切りつめられた世界に挑戦しています。1番から6番まで、それぞれが17小節、9小節、9小節、13小節、15小節、9小節という節約ぶりです。こういうスタイルは新ウィーン楽派のトレードマークのように思われているのですが、シェーンベルクがこういうスタイルで音楽を書いたのはこれ1曲だけです。

この2作品から少し時間をおいて「5つのピアノ曲 Op.23」が書かれます。この作品で注目すべきポイントは、第5曲「ワルツ」において、始めて「12音技法」が用いられたことです。
さて、この「12音技法」とは何かという問題なのですが、簡単に言えば、自分が作ったメロディが何かの手違いと偶然によって万が一にも調性を帯びないようにするために「設定されたルール」だとでも思えばいいでしょうか。

実は、1オクターブ内に存在する12の音をランダムに配列しても、かなりの確率で調性を帯びてしまいます。ましてや、その音型をいろいろ変形していけば、その過程で何らかの調性に絡め取られてしまう危険性はさらに増します。
そこで、そう言う偶然性に足下をすくわれないようにするために編み出された秘策が「12音技法」だったのです。

「メロディの中で12個の音を1回ずつしか使ってはいけません」とか、「そうやって作ったメロディを変形させるときには、反行形とか、逆行形とか、反行逆行形とかいうような規則に基づいて変形したものしか使ってはいけない」とか・・・とか・・・です。
要するに、12個すべての音が完全に平等に使われるように設定されたルールが「12音技法」なのです。そして、この技法を生み出して確立したのがシェーンベルクだったのです。

もちろん、「5つのピアノ曲 Op.23」の最初の4曲も別の構造で無調の音楽を目指しているのですが、それでは限界が来ると言うことで、第5曲で始めて「12音技法」が導入されたのです。

そして、この「12音技法」のみを使って全曲が作られたのが「ピアノ組曲 Op.25」なのです。そして、そうやって作られた音楽を聞くと、おそらく多くの人は不思議な感覚にとらわれるのではないでしょうか。
それは、この「12音技法」を全面的に取り入れることで徹底的に調性の呪縛から解き放たれたはずなので、聞いてみると、そこに不思議な「統一感」のようなものを感じてしまうのです。そして、その「統一感」があるゆえに、一見すると人の心を拒否するような素振りを見せながら、聞き終えた後に不思議なくらい心のひだに食い込んでいたことに気づくのです。

結局、それはもしかしたら12音を均等に使うことで、もしくは言葉をかえれば、12音を均等に使うことによって不思議な「統一感」が生じたのかもしれません。

そして、また10年の時を経て、最後にポツンと「ピアノ曲 Op.33a,Op.33b」が書かれます。これもまた、「12音技法」によって書かれているのですが、これもまた不思議な統一感を感ぜざるを得ません。
やはりヒンデミットが言ったように、「十二音技法」は無調ではなくて「12音技法」という一種の調なのかもしれません。

そう思えば、彼らの音楽を無調の訳の分からない音楽として最初から拒否するのではなくて、流れ来ては流れ去っていく音の流れに身を浸してみれば、それらは決して「訳の分からない音楽」ではないことに気づくことができるのではないでしょうか。


ローゼンとグールド

ローゼンとグールドを較べてみれば、その知名度においても、活動の幅の広さににおいても大きな違いがあります。「格」などと言う言葉はあまり使いたくなのですが、今となってみれば、ピアニストとしての「格」は全く違ってしまいました。
ただ、共通点があるとすれば、二人はともに音楽を語ることに熱心だったと言うことです。

ローゼンに関して言えば、今ではピアニストと言うよりは音楽著述家としての顔の方が有名になっています。

そして、グールドについて言えば、彼もまた数多くの著述を残し、「芸術の目的は、瞬間的なアドレナリンの解放ではなく、むしろ、驚嘆と静寂の精神状態を生涯かけて構築することにある」という言葉は、その様な著述活を根拠づけるものとなっていました。その立ち位置は「ネコほどの知性もない」と酷評されながら「瞬間的なアドレナリンの解放」に全生涯をかけたホロヴィッツとは対極に位置するものでした。

さらに言えば、その数多い著述の中で最も頻繁に言及していたのがシェーンベルクでした。
グールドの対位法への偏愛は信仰とも言えるレベルに達していましたから、彼にとって最も居心地のよい音楽はバッハであり、シェーンベルクの音楽でした。
ところが、そのグールドにとっては主戦場とも言えるシェーンベルクのピアノ作品が、ローゼン先生の録音を較べてみると、はるかに叙情的であり、音と音の関係もいささかい曖昧な響きの中にぼやかされてしまっていることに驚かれるのです。

聞けば分かるように、ローゼンのピアノは聞くものの耳に挑んできます。
一つ一つの音はしっかりとエッジが立っています。グールド流に言えば「驚嘆と静寂の精神状態を構築する」ために、それら一つ一つの音が一点の曖昧さもなしに、あるべき場所においてその存在を主張しています。

それと比べれば、グールドのピアノは、そう言う一つ一つの音の境界線がホールトーンによって抱きすくめられています。結果として、一つ一つの音はそれほどの強い自己主張をすることもなく、言ってみれば「一つの雰囲気」として存在しています。

結果として、ローゼン先生のピアノでシェーンベルクの音楽を聞き続けていくのにはかなりのエネルギーが求められますが、グールドのピアノでは何となく流れてきては流れ去っていく音楽としてある程度は気持ちを楽にして聞くことができます。

確かに、古典派からロマン派の作品を中心に聞いてきた耳には、この一連のシェーンベルクのピアノ作品は聞きやすい音楽とは言えません。
その意味では、明らかにロマン派小品の延長線上に位置するようなグールドのピアノの方がファーストコンタクトとしては相応しいのかもしれません。
しかし、その音楽と正面から向き合おうとするならば、私は躊躇うことなくローゼンの方を勧めます。

ローゼンは70年代にはいると、活動の重点をピアノから文筆にシフトしていくのですが、それ以前の60年代前半のローゼンはなかなかに凄いピアニストだったのです。

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