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シベリウス:交響曲第5番 変ホ長調 op.82

オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団 1954年録音


影の印象派

この作品はよく知られているように、シベリウスの生誕50年を祝う記念式典のメインイベントとして計画されました。彼を死の恐怖に陥れた喉の腫瘍もようやくにして快癒し、伸びやかで明るさに満ちた作品に仕上がっています。
しかし、その伸びやかさや明るさは2番シンフォニーに溢れていたものとはやはりどこか趣が異なります。
それは、最終楽章で壮大に盛り上がったフィナーレが六つの和音によって突然断ち切られるように終わるところに端的にあらわれています。さらに、若い頃の朗々とした旋律線は姿を消して、全体として動機風の短く簡潔な旋律がパッチワークのように組み合わされるようになっています。

誰の言葉かは忘れましたが、この後期のシベリウスとドビュッシーの親近性を指摘し、〜実際シベリウスとドビュッシーは1909年にヘンリー・ウッドの自宅で出会い、さらにドビュッシーの指揮する「牧神の午後」などを聞いて「われわれの間にはすぐに結びつきが出来た」と述べています〜ドビュッシーを光の印象主義だとすれば、シベリウスは影の印象主義だと述べた人がいました。上手いこというものだと感心させられたのですが、まさにここで描かれるシベリウスの田園風景における主役は光ではなく影であることを指摘されると、なるほどと納得させられます。第4番シンフォニーではその世界があまりにも深い影に塗りつぶされていたのに対して、この第5番シンフォニーは影の中に光が燦めいています。
シベリウスは日記の中で、この交響曲のイメージをつかんだ瞬間を次のようにしたためています。
「日はくすみ、冷たい。しかし春はクレッシェンドで近づいてくる。・・・白鳥たちは私の頭上を長い間旋回し、にぶい太陽の光の中に銀の帯のように消えていった。時々背を輝かせながら。白鳥の鳴き声はトランペットに似てくる。赤子の泣き声を思わせるリフレイン。自然の神秘と生の憂愁、これこそ第5交響曲のフィナーレ・テーマだ。」
彼こそは本当に影の印象派だったのです。


豊かさと美しさに貫かれたシベリス

オーマンディに対する評価が低い原因の一つは吉田大明神の御託宣が影響しているかもしれません。曰く、セルが録音したエロイカと比較されて、そこに文化のクリエーターとキーパーの違いが如実に表れている・・・と、切って捨てられたのです。
この国のクラシック音楽界における大明神の神通力たるや絶大なものがありますから、この一言は大きな影響力を与えたものと思われます。

しかし、その反面、オーマンディとシベリウスの結びつきに関しては多くの逸話が残っていて、シベリウス自身もオーマンディとフィラデルフィア管による演奏には満足の意を表していたと伝えられています。そして、シベリウスの神通力は世界標準で言えば大明神を凌ぎますから、このシベリウス推薦というブランドはシベリウス存命中は大きなブランド力となったことは事実でしょう。
しかしながら、そのシベリウスもこの世を去ると同時にブランド力が低下しましたから、それと平行して「シベリス推薦」のブランド力も低下せざるを得ませんでした。そこへ、この国では大明神による文化の保守者にしか過ぎないというご託宣があったのですから、たまったものではありません。
さらに言えば、このコンビは4度も来日しているのですが、どういう訳か評論家筋の評価はよくなかったのです。今でも、「音が大きいのだけには驚いた」と皮肉まじりに語られたりしています。

ただ、そう言う辛口の評論家達もこの世を去り、大明神もまた大明神に相応しい世界へと去って逝かれました。
もうぼちぼち、あれこれの言葉に惑わされることなく、虚心坦懐にオーマンディの音楽に耳を傾けてもいい時代かもしれません。

そして、そうやって彼の音楽に耳を傾ければ、彼が求めた音楽の方向性は一点の揺るぎもなく確立していたことに気づかされます。
確かに、長きにわたってこの国でクラシック音楽と言えば、それはドイツ・オーストリア系の価値観に塗り込められたものでした。その中で、誰もが仰ぎ見る存在の象徴がフルトヴェングラーであり、そのベクトルが価値判断の重要な基準となっていたことは事実です。
そして、そんな物差しをオーマンディにあてはめれば、それこそ中味の何もない浅はか極まる音楽としか聞こえなかったことは確かです。

しかし、オーマンディの録音を虚心に聞いてみれば、彼はそんなドイツ・オーストリア系の価値観などは求めていなかったことはすぐに分かるはずです。そこにあるのは、ホロヴィッツがピアノで、そしてハイフェッツがヴァイオリンで求めようとしたものと全く同じ世界であることは容易に聞き取れたはずです。

ホロヴィッツの演奏を「猫ほどの知性もない」と貶して、彼の指は常にユートピアであり続けました。
ハイフェッツの演奏を「奴は13才の頃から少しも進歩していない」と嫌みを言おうが、その音のサーカスは批判のすべtを沈黙させました。

そして、オーマンディが求めたものも明らかにオケによるユートピアであり、ハイフェッツにも匹敵するような音のサーカスであったことは明らかです。

確かに、彼のシベリウスには「ヒンヤリ感」はありません。普通に演奏すれば、シベリウスの音楽というのは響きが薄くなってどこかヒンヤリするものです。
しかし、そのヒンヤリ感はシベリスにとってはそれほどお気に召したものではなかったのかもしれません。
彼は、オーマンディ&フィラデルフィア管が実現してくれたような豊かな響きこそが、本当は望みだったのかもしれません。そう思ってみると、シベリウス推薦のブランドは外向的な社交辞令ではなくて意外と本音だったのかもしれません。

おそらく、これほどオケが豊かに鳴り響き、メロディラインを美しく描き出した演奏はカラヤン盤と双璧かもしれません。しかし、晩年のカラヤン盤にはレガートカラヤンのドーピングが効きすぎていて好きになれない部分があります。それと比べれば、このオーマンディ&フィラデルフィア管の豊かな響きには人間的な暖かみがあります。
とりわけ、シベリウス最後の交響曲となった第7番がこれほど豊かに、そして美しく鳴り響くのを聞いたことはありませんでした。
4番と5番も録音が少し古くてモノラルなのですが、そのどちらもが同じような豊かさと美しさに貫かれています。もしかしたら、これこそがシベリウスが求めた響きだったのかもしれません。

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