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マーラー:交響曲「大地の歌」 イ短調

ワルター指揮 ニューヨークフィル (Ms)ミルドレッド・ミラー (T)エルンスト・ヘフリガー 1960年4月18日録音



Mahler:交響曲「大地の歌」 イ短調 「大地の哀愁に寄せる酒の歌」

Mahler:交響曲「大地の歌」 イ短調 「秋に寂しき者」

Mahler:交響曲「大地の歌」 イ短調 「青春について」

Mahler:交響曲「大地の歌」 イ短調 「美について」

Mahler:交響曲「大地の歌」 イ短調 「春に酔える者」

Mahler:交響曲「大地の歌」 イ短調 「告別」


生は暗く、死も亦暗し!

この作品にまつわる「9番のジンクス」に関してはいろんな方が語っていますし、ユング君も別のところでふれていますからあえてここでは取り上げません。
それよりも、始めてこの作品を聴いた方は「これは果たして交響曲なのだろうか?」という疑問をもたれると思います。どう聴いたってこれはオーケストラ伴奏付きの歌曲集のように聞こえる方もおられると思いますし、それは決して誤りではないと思います。

交響曲の起源はおそらくバッハの息子たちにまで遡ることができるのでしょうが、とりあえずはハイドンが橋頭堡を築き、モーツァルトが育て上げ、最終的にベートーベンが完成させた管弦楽の形式だと言っていいと思います。そして、それ以降の音楽家たちは縦への掘り下げが行き着くところまで行ってしまったためでしょうか、今度は横への広がりを模索していきます。

声楽の導入は言うまでもなく、ソナタ形式に変わる新たな方法論が模索されたり、響きの充実を求めて管弦楽がどんどん肥大化していったりします。マーラーの前作である第8番においてはその肥大化は頂点に達しますし、方法論においてもこの大地の歌によって行き着くところまで行ったと言えます。

つまり、交響曲という形式が多様化と肥大化の果てに明確なフレームを失ってしまって、作曲家が「これは交響曲だ」と言えば、何でも交響曲になってしまうような時代に突入したと言えます。しかし、それは交響曲という形式の終焉を意味しました。
もちろん、マーラー以降も数多くの交響曲は創作されましたが、しかしそれらはハイドン、モーツァルト、ベートーベンと受け継がれてきたクラシック音楽の玉座をしめる音楽形式としての交響曲ではなく、どこか傍流の匂いを漂わせます。ユング君は、クラシック音楽の玉座としての交響曲はマーラーのこの作品と続く第9番によって終焉したと思うのですが、いかがなものでしょうか。

なお、大地の歌の楽章構成は以下の通りです。奇数楽章はテノール、偶数楽章はアルトが歌うようになっています。

?.大地の悠久を歌う酒の歌(Das Trinklied vom Jammer der Erde)
?.秋に寂しきもの(Der Einsame im Herbst)
?.青春について(Von der Jugend)
?.美について(Von der Schoenheit)
?.春に酔えるもの(Der Trunkene im Fruehling)
?.告別(Der Abschied)

原詩は唐の詩人、李白、孟浩然、王維、銭起のもので、それをドイツ語訳したハンス・ベートゲの「シナの笛」がベースになってます。この作品を貫くトーンは冒頭の李白の詩においても何度も繰り返される「生は暗く、死も亦暗し!」です。


「従心」の音楽

引き続き、一点集中型の視聴スタイルが続いていて、今はワルター最晩年のコロンビア響との録音に集中しています。
この一連の録音は、ブラームスの4番やベートーベンの田園、マーラーの巨人のように「名演」の誉れの高いものも存在しますが、一般的にはあまり評判がよろしくありません。曰く、オケの編成が小さくて響きが薄い、曰く、功成り名を遂げた巨匠の手すさびの芸、曰く、ワルター本来の持ち味が発揮されていない、等々です。

しかし、今回、こういう形で集中的に視聴してみると、そのような批判にはそれなりの根拠があることは認めながらも、今まで気づかなかったいくつかの側面にも気づかされました。今回は、そう言ういくつかの「発見(と言うほど大層なもんではありませんが)」について書いてみたいと思います。

まず第一に感じたのは、驚くほど録音のクオリティが高いという事です。
このワルターの最晩年の録音は、私がクラシック音楽などと言うものを聞き始めた若い頃に、一番安い1300円で売られていたシリーズでした。30年ほど前は、レコードは新譜で2800円、再発で2000円、もう一声安いもので1800円というのが通り相場でした。
そんな時代に、このワルターやセルの録音が1300円で発売されていて(それ以外ではEMIのエンジェルシリーズというのが1300円でした)、金のない若者にとっては有り難い廉価盤でした。ですから、今も探せば、ワルター&コロンビア響の録音は全てアナログレコードで手元にあるはずです。
しかし、当時は、それらのアナログレコードを聴いて録音がいいと思ったことは全くありませんでした。
例えば、今回アップしたマーラーの9番などは、音の塊がワンワン鳴っているような感じで、まさかこんなにも一つ一つの楽器の響きがクリアにとらえられていたなどとは想像もできませんでした。
おそらく、1300円という廉価盤ゆえの盤質の悪さと再生装置のチープさが相乗効果を発揮したのが原因でしょう。

今回、この一連の録音を聞いてみて、そのどれもが驚くほどに透明度が高く、内部の見通しが極めて良いことに驚かされました。もちろん、テープヒスなどが気になる部分はありますが、その見通しの良さは最新の録音と比べてもほとんど遜色を感じないレベルに達しています。

二つ目は、世間で言われるほどにコロンビア響は悪くないと言うことです。
響きの薄さやアンサンブルの雑さが批判されるのですが、なかなかどうして、立派なオケです。

おそらく、ワルターはオケをしっかり統率しようという気はなかったと思います。指揮もそれほど明瞭なものではなかったでしょう。
しかし、そう言うワルターをしっかりとサポートして、その心の歌が形あるものに仕上がっているのはこのオーケストラの献身によるものです。
確かに、響きの質はワルターの音楽とはいささかミスマッチな面はありますが、決してアンサンブルが雑だと非難されるようなレベルではないと思います。また、ブルックナーやマーラーなどを聞くと、なかなかにパワフルで豊かな響きを出していて、巷間言われるほどに響きの薄さは気になりません。

そして最後に気づいたのは、この一連の録音は全て「従心」の音楽になっていると言うことです。
「従心」とはいうまでもなく、「心の欲する所に従ひて矩を踰えず」です。

考えてみれば、ワルターという人は時代に翻弄されて随分と苦労をした人です。とりわけ、アメリカに亡命してからはロマン的な音楽のスタイルから即物的なスタイルへと、自らの音楽的なスタイルを変えてまでも、巨匠としての地位を維持した人でした。
そんな苦労人が、一度は引退を決意したあとに引っ張り出されて録音したのがこのシリーズです。
おそらくは、もう無理なことはしたくなかったのでしょう。

ここでのワルターは、己の欲するままに音楽を楽しんでいます。そのように私には聞こえました。
商業的な成功とか、芸術的な評価という「野心」とは無縁に、ただただ己の欲するままに指揮棒を振っています。
ただ、さすがにワルターは凄い!と思うのは、そのようなわがままに徹しながら、決して矩は踰えていないことです。
その意味で、「心の欲する所に従ひて矩を踰えず」という「従心」の音楽になっていると思った次第です。(なお、「従心の音楽」というのは私の全く勝手な造語ですのでご注意あれ)

と言うことで、結果として、ワルターは自らの音楽的遺言を残すことができました。
もちろん、ワルターには自らの遺言を残すなどと言う大それた思いはなかったでしょうが、結果として「従心」の音楽となったが故に全ての録音が彼の音楽的遺言となりました。
さらに言えば、それらの遺言は、優れたオケと優れた録音によって極めて良質な形で残すことができました。

時代に翻弄された苦労人に、最後の最後に音楽の神様が微笑んだと言うことなのでしょう。

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