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シベリウス:交響曲第7番 ハ長調 op.105

カラヤン指揮 フィルハーモニア管 1955年7月録音



Sibelus:交響曲第7番 ハ長調 op.105


交響曲には内的な動機を結びつける深遠な論理が大切

マーラーとシベリウスは交響曲という形式の最後を飾る両極端な作曲家だと言えます。片方は、まさに後期ロマン派を象徴するような異常なまでに肥大化した音楽を生み出し、他方はこれまた異常なまでに凝縮した音楽を生み出しました。
この二人が出会ったときに話は交響曲という形式のそもそも論にいたり、マーラーは「交響曲は世界のようでなくてはならない」と語り、シベリウスはそれに対して「交響曲には内的な動機を結びつける深遠な論理が大切」だと語ったそうです。
なるほど、マーラーのように何でもかんでも取り込んで肥大化していくことに何の疑問も感じなければ、音楽を生み出すという行為はそれほどの苦痛を生み出さないのかもしれません。しかし、シベリウスのような立場に立つのならば、これは実にしんどい行為だろうなと同情を禁じ得ません。もちろん、マーラーの音楽を単純な足し算だと貶めるつもりはありませんが、しかしシベリウスの音楽には徹底した彫琢が必要だったことは納得がいくでしょう。
そして、こういう方向性の行き着くところは、結局はシェーンベルクやウェーベルンのような新ウィーン楽派のような音楽に向かっていくだろう事は容易に察しがつきます。とりわけ、この第7番の交響曲などはもうこれ以上「凝縮」しようがないほどに凝縮しています。
同じ事は、第4番の交響曲にも言えるかもしれません。とにかく音楽は内へ内へと向かっていき、緊張感の高まりとともに聴くものを息苦しくさえしていきます。形式的には通常の4楽章構成を持ったスタンダードな顔はしているのですが、その凝縮ぶりは7番以上かもしれません。

しかし、シベリウスにとって音楽からメロディやハーモニーが消え去るというのは到底受け入れられない事だったのでしょう。シベリウスという人の本質はフィンランドという土地に根付いた民族性にあることは間違いありませんが、それと同じほどにベートーベンやモーツァルトなどの古典的な均衡に満ちた音楽のあり方も彼にとっては本能のようなものとして存在していたはずです。
例えば、1番、2番で彼の民族性が大きく前面に出たあとには、先祖帰りのようなコンパクトな3番を生み出していますし、それと同じ事が5番と6番においても指摘できます。(そして、その先祖帰りが3番よりは6番の方が上手くいっていることは誰しもが認めるところでしょう)
そんな男にとって、無調の無機的な音楽が受け入れられるはずがありません。

しかし、彼が7番の交響曲を生み出した1920年代という時代は、まさにその様な無調の音楽が一気に広まった時代でもありました。
シェーンベルクの生み出した12音技法の最大の問題点は、そのルールに則っていれば、それほど才能のない人間でも時代の最先端を行く現代的な音楽が「書けてしまう」ところにあったんだと思います。そして、その「利点」に真っ先に気づいたのは、おそらくは才能に恵まれていない若き「作曲家」たちだったのではないでしょうか。問題の核心は「飯が食えるか否か」というせっぱ詰まったものだけに、おそらくはシェーンベルク自身も驚くほどの勢いでこの動きが作曲界全体を蔽ってしまいました。そして、その様な動きをフィンランドの片田舎から絶望的な思いで眺めていたのではないでしょうか。

この第7番の調性は「ハ長調」です!!もちろん、音楽は光と影が燦めき交錯するように様々な調を自由に行き来します。しかし、土台に据えられた礎石のようにハ長調の響きは全曲をしっかりと貫いています。
やはり、シベリウスにとってここが行き着いた先だったのでしょうか。


盛り上げ上手の聞かせ上手

ドイツ系の指揮者で本格的にシベリウスを取り上げたのはカラヤンが最初ではないでしょうか?実際のコンサートで取り上げることはあまり多くなかったようですが、録音に関しては50年代にフィルハーモニア管と、そして60年代と80年代には手兵のベルリンフィルを使ってかなりまとまった数を録音しています。
そして、これまた仕方のないことなのでしょうが、カラヤンのシベリウスと言えば一般的に最後の80年代の録音が広く流布していて、それがカラヤンのシベリウス解釈のスタンダードとしての位置を占めてしまっています。
しかし、あの録音はベルリンフィルの機能性をフルに発揮して圧倒的な演奏に仕上がっていますが、歌わせることに重点がおかれすぎてシベリウスには必要と思えるエッジの立った感じが全くありません。悪く言えば、非常に派手で耳あたりのいいハリウッドの映画音楽のように響く面は否定できません。

それと比べると、50年代や60年代の録音は、そう言う派手さはありませんが、シベリウス自身がイメージした音楽により近いものになっているように思えます。録音の質も考えれば、60年代にベルリン・イエス・キリスト教会で録音したものが一番しっくり来る感じがします。
60年代のベルリンフィルは、カラヤン美学が徹底した70年代以降みたいに「ヌター」とした感じがないので、それがいい方に作用していたように思います。
しかし、この一連の50年代におけるフィルハーモニア管との録音も悪くありません。
どう聞いてもあまりピントこない4番のシンフォニーをなかなか面白く聴けるように料理しているあたりは、聞かせ上手なカラヤンの片鱗がうかがえます。ここぞというところで思いっきり金管をならしてグッと盛り上げる5番のシンフォニーなどは後年のカラヤンを彷彿とさせます。
そして何よりも、どの演奏を聴いてみても「てっぺん取ったるんや!」という気魄と気概が感じられます。
50年代のカラヤンを代表する演奏といえるのではないでしょうか。

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