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カイルベルト(Joseph Keilberth) |ウェーバー:歌劇「魔弾の射手」 第1幕
ウェーバー:歌劇「魔弾の射手」 第1幕
ヨーゼフ・カイルベルト指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 ベルリン市立歌劇場合唱団 (S)エリーザベト・グリュンマー (S)リーザ・オットー (T)ルドルフ・ショック (Br)ヘルマン・プライ (Bass)カール・クリスティアン・コーン (Bass)ゴットロープ・フリック、他 1958年4月~5月録音
Weber:Der Freischutz, Op.77 [Overture]
Weber:Der Freischutz, Op.77 Act 1 [1.Introduction. Viktoria! Der Meister soll leben]
Weber:Der Freischutz, Op.77 Act 1 [2.Peasant's March]
Weber:Der Freischutz, Op.77 Act 1 [3.Schau' der Herr mich an als Konig!]
Weber:Der Freischutz, Op.77 Act 1 [4.Dialogue]
Weber:Der Freischutz, Op.77 Act 1 [5.Trio with Chorus. O diese Sonne, furchtbar steigt sie empor!]
Weber:Der Freischutz, Op.77 Act 1 [6.Dialogue]
Weber:Der Freischutz, Op.77 Act 1 [7.Bohemian Waltz]
Weber:Der Freischutz, Op.77 Act 1 [8.Scene and Aria. Nein, langer trag' ich nicht die Qualen... Durch die Walder, durch die Auen]
Weber:Der Freischutz, Op.77 Act 1 [9.Dialogue]
Weber:Der Freischutz, Op.77 Act 1 [10.Song. Hier im ird'schen Jammertal!]
Weber:Der Freischutz, Op.77 Act 1 [11.Dialogue]
Weber:Der Freischutz, Op.77 Act 1 [12.Finale 1. Schweig, schweig, damit dich niemand warnt!]
「ドイツ語によるドイツ人によるドイツ人のための」オペラの第1号
「魔弾の射手」は「ドイツ語によるドイツ人によるドイツ人のための」の第1号とも言うべきオペラだと言われます。それは、アダージョで始まる序曲が、その緩やかな序奏の後に4本のホルンが悠然とテーマを奏じる時に、舞台が一瞬にして深いゲルマンの森へと変容していくのを聞けば誰もがその事を納得するはずです。
確かに、モーツァルトは「魔笛」においてドイツ語によるオペラ創作の先鞭をつけました。そして、ベートーベンもまたドイツ語によって「フィデリオ」を作曲しています。
しかし、モーツァルトの本質はコスモポリタンであり、ベートーベンにとってオペラはどうにも相性のいいとはいえないジャンルでした。それ故にそれらの作品はオペラの世界において「ドイツ語のオペラ」という居場所は作ったものの、それが「ドイツ的なオペラ」かと問われれば疑問が残らざるを得ないのです。
「魔笛」の舞台は国籍不明であり、「フィデリオ」の舞台はスペインでした。
それに対して、ウェーバーはドイツ語によるオペラと言うだけでなく、舞台をボヘミヤ(当時はドイツの一部だった)の森に設定し、登場人物もそこに暮らす「森の民」である狩人たちとしたのでした。ウェーバーはそう言う深い森と谷を舞台に設定をして、そこで繰り広げられるドイツの民衆の素朴な活力と神秘的なゲルマンの世界を共存させたのでした。
そして、それをより効果的なものにしたのは、古典派の時代から新しい時代を切り開く一つの契機ともなったオーケストレーションの革命でした。
その最大の貢献は画期的な管楽器の使用であり、それまでは弦楽器を主体としてオーケストラに彩りをそえるだけの存在だった管楽器に主役の座を与えたことでした。その典型的な例が序曲における4本のホルンが奏でるテーマでした。おそらく、あの響きをなくしてこのオペは成功しなかったはずです。
さらに、弦楽器群にも今までにない響きが探求され、それが例えば狼谷の不気味な雰囲気を作りあげる上で大きな効果を発揮しているのです。
このウェーバーが作りあげた色彩豊かなオーケストレーションが、彼に続くメンデルスゾーンやワーグナーに引き継がれていったことは言うまでもありません。
さらに、もう一つ指摘しておく必要があるのは、このオペラにおいてウェーバーが合唱に大きな役割を与えたことです。それはプロテスタントの伝統が背後にあるのでしょうが、時にはアリアに匹敵するだけの存在感を示すようになったのです。
それ故に、「魔弾の射手」に対してワーグナーが次のように讃辞を多くっています。
「ウェーバーはイギリスにおいてもフランスにおいても尊敬を受けるのであろうが、ドイツにおいてのみ愛されるのである。」
まさに「魔弾の射手」こそはドイツ的オペラの嚆矢となったのでした。
主な登場人物
マックス(T):若い猟師で射撃の名手だが何故か調子を落としている。アガーテのことを恋い慕っていて彼女のためなら何をも犠牲にする一途さを持っている。
アガーテ(S):森林保護官クーノーの娘でマックスの恋人。
カスパール(Bass):若い猟師でかつてはマックスの同僚でありライバルだった。しかし、今は悪魔ザミエルに魂を売っている。
クーノー(Bass):森林保護官でアガーテの父。
エンヒェン(S):アガーテの従姉妹である若い娘。
オットカール侯爵(Br):昔気質のいささか頭の硬いボヘミアの領主。
隠者(Bass):多くの人々から尊敬を受けている修行者
キリアン(Br):裕福な農民。
ザミエル:狩猟の悪魔。
「魔弾の射手」序曲
緩やかなアダージョの序奏の後に4本のホルンが深いゲルマンの森を思わせるテーマを奏します。この美しいテーマに続いて悪魔ザミエルのテーマが響きます。やがて悪魔の力を暗示するテーマと、アガーテの喜びの歌からとられたテーマが呈示され、その二つのテーマが絡み合いながら最後はアガーテの喜びの歌が優位となってクライマックスを築きます。
基本的には歌劇のダイジェスト版的な役割を果たすのですが、それ以上に古典派の枠を打ち破って新しい時代を切り開いたウェーバーのオーケストレーションの妙がここには詰まっています。
第1場
射撃大会を控えた予備競技で、名手マックスは裕福な農民キリアンに思わぬ敗北を喫してしまいます。
1.Introduction. Viktoria! Der Meister soll leben[導入ー勝利だ!勝利だ!勝利者万歳!(合唱曲)]
農民たちはキリアンの思わぬ勝利に歓喜し「万歳!万歳!勝利者万歳、」と歌い上げます。
2.Peasant's March[農民たちの行進曲]
農民たちはキリアンを先頭に行進を始めます。
3.Schau' der Herr mich an als Konig![旦那、射撃王の俺を見てごろうじろ]
さらに、マックスを馬鹿にする合唱が続きます。
「あっさり、シャッポを脱いだらどんなもんですかい、ムッシュー!ぐずぐずなさらんでさ、へ、へ、へ、お前さんに聞いとるんですよ?」と嘲笑の言葉が次々とマックスに投げかけられます。
第2場
騒ぎを知って駆けつけた森林保護管のクーノーはマックスから的に一発も当たらなかったことを告白され驚き呆れます。そして、アガーテと結婚して森林保護管になるためには次の御前試合で優勝しなければいけないことを念押しします。
4.Dialogue[ダイアローグ]
5.Trio with Chorus. O diese Sonne, furchtbar steigt sie empor![おおこの太陽、明日の日の出が恐ろしい(三重唱と合唱)]
明日の試合のことを考えると絶望的な思いに沈んでいくマックスをクーノーと農民たちが励まします。
「希望を抱いて元気を出し、天運を信じるのだ」
そこに、ガスパールの邪悪な誘いが交錯します。「ちょっとばかり、大胆にやっちまえばいいのさ。幸運を手に入れるために!」
第3場
マックスを励ます農民たちのワルツからマックスのアリアへと移行していきます。このテノールのアリアはこのオペラの中でも聞きどころの一つです。
6.Dialogue[ダイアローグ]
7.Bohemian Waltz[ボヘミア風のワルツ]
キリアンは森林保護管クーノーの態度を褒め讃え、マックスにもいい友達でいようと言いボヘミア風のワルツを取り始めます。
8.Scene and Aria. Nein, langer trag' ich nicht die Qualen... Durch die Walder, durch die Auen[嫌だ、こんな苦しみにはもう耐えられない・・・森をぬけ、草地を越えて (ワルツとアリア)]
活気に満ちたワルツは一転してマックスの心の内をあらわすような序奏へと変わって「嫌だ、こんな苦しみにはもう耐えられない」というマックスのレチタティーヴォに変化します。
やがて、「森をぬけ、草地を越えて」というアリア部分では美しいカンタービレになるのですが、それもまた弦のトレモロとともに再び「神が俺を見放してしまったのか」と不安な胸の内に吐露します。
これはテノールにとってはリリックなカンタービレとドラマティックな威力が同時に求められる聞かせどころだといえます。
第4場
絶望感におちいるマックスに対してガスパールが誘惑を始めます。
9.Dialogue[ダイアローグ]
10.Song. Hier im ird'schen Jammertal![こんな浮世の、涙の谷にゃ(歌)]
悪魔に魂を打ってしまっているガスパールの虚無的な性格が表れた歌です。
「こんな浮世の、涙の谷にゃ 苦労と苦しみだけしかない。葡萄のつるにも実が生えぬなら、今際の際の息をつくまでも、バッカス神の太っ腹に俺の信心かけるのさ!おい、お前もいっしょに歌え!」
11.Dialogue[ダイアローグ]
ガスパールは伝説の魔弾を手に入れれば明日の試合に勝てると誘いかけ、その様子を悪魔のザミエルはじっとうかがっています。
第5場
邪悪な復讐への期待を歌い上げるガスパールのアリア
12.Finale 1. Schweig, schweig, damit dich niemand warnt![黙ってろ!黙ってろ!誰も、お前に警告せぬように!(アリア)]
邪悪な復讐への期待を高らかに歌い上げて第1幕のクライマックスを形づくります。
「奈落への墜落からお前を救う法は全く無い、奈落への墜落からお前を救う法は全く無い! 」
この圧倒的な悪の魅力はやがてワーグナーのドラマティックなバスの魅力へとつながっていきます。
骨太の音楽だけでなく、ゲルマンの深い森の中で繰り広げられる幻想的な味わいもしっかりと前面に押し出している
「ドイツ的」という言葉は便利な言葉で、取りあえずは独襖系の音楽家の作品や演奏に対してその言葉を奉っておけば何となく分かったような気になります。しかしながら、そこからもう一歩突っ込んでその「ドイツ的」なるものの正体を言語化してみようとすると、実は何も分かっていなかったことに気づかされたりします。
しかしながら、そこでもう一踏ん張りして考えをめぐらせてみるならば、そこには二つの側面があるように思われます。
一つは極めて勤勉で論理的だという側面です。
おそらく、この「ドイツ的資質」こそが二つの世界大戦で徹底的な敗北を喫しながら、それでも奇蹟の復興を遂げて、今やEUの盟主とも言うべき地位を築き上げた要因でしょう。
そして、もう一つ、これとは相反するように見えながら、夢や理想を追いかけるロマンチストであり、ファンタジー豊かで豪放磊落だと言うのもまた「ドイツ的」なるもののもう一つの側面です。
この二つの側面をクラシック音楽という世界においてみるならば、極めて強固な論理に裏打ちされた基盤を持ちながら、その基盤の上で伸びやかに夢や理想を追いかけて、思う存分にファンタジーを羽ばたかせているような音楽こそが「ドイツ的」だと言うことになるのでしょうか。そして、そう言う存在として真っ先に思い浮かぶのがフルトヴェングラーです。
おそらく、彼ほどにこの二つの側面がバランス良く高いレベルで共存していた音楽家はいなかったのではないかと思われます。
そして、そう言うフルトヴェングラーによる「魔弾の射手(54年ライブ録音)」は明らかにそのロマン主義的側面が色濃くあふれ出した演奏だったように思うのですが、それが必ずしも恣意的にならないのはもう一つの盤石の基盤がフレームとなっているからでしょう。
振り返ってみれば、こういうフルトヴェングラー流の重厚であると同時に幻想的な「魔弾の射手」というのは他ではほとんど聞くことができないことに気づくのです。そして、その数少ない例外の一つがこのカイルベルト盤かもしれないのです。
そこでは、「勤勉で論理的だという側面」が生み出す骨太の音楽だけでなく、ゲルマンの深い森の中で繰り広げられる幻想的な味わいもしっかりと前面に押し出されているのです。
そして、何よりも嬉しいのは、どういう経緯があったのかは分からないのですが、オーケストラがベルリンフィルだと言うことです。当時はレーベルと演奏家の専属契約は絶対ですから、よほどの裏技を駆使しないとこの組み合わせは実現しなかったと思うのですが、結果としてはこの演奏がフルトヴェングラーの香りを漂わせる重要な要因となっていることは確かです。
調べてみると、1959年にEMIからリリースされ、翌60年には東ドイツのレーベルであるETERNAからりリースされています。おそらくは、この二つのレーベルのバーターだったのかもしれません。
また、ここに起用されている歌手陣もなかなかに豪華です。
主な配役は以下の通りです。
マックス:(T)ルドルフ・ショック(Rudolf Schock)
アガーテ:(S)エリーザベト・グリュンマー(Elisabeth Grummer)
カスパール:(Bass)カール・クリスティアン・ケーン(Karl Christian Kohn)
クーノー:(Bass)エルンスト・ヴィーマン(Ernst Wiemann)
エンヒェン:(S)リサ・オットー(Lisa Otto)
オットカール侯爵:(Br)ヘルマン・プライ(Hermann Prey)
隠者:(Bass)ゴットロープ・フリック(Gottlob Frick)
キリアン:(Br)ヴィルヘルム・ヴァルター・ディックス(Wilhelm Walter Dicks)
ザミエル:(ナレーター)フィリッツ・ホッペ(Fritz Hoppe)
これ以外に4人の乙女として、(S)レオノーレ・キルシュシュタイン(Leonore Kirschstein)、(S)ヘルガ・ヒルデブラント(Helga Hildebrand)、(A)マリア・フリーデルン(Maria Friederun)、(A)ヘルタ・マリア・シュミット(Herta Maria Schmidt)が起用され、それ以外に台詞を担当する役者としてヴォルフガング・アイフベルガー(Wolfgang Eichberger)とハインツ・ギーゼ(Heinz Giese)が起用されています。
ここで注目すべきはアガーテ役の「エリーザベト・グリュンマー」です。その存在はある種の歴史的遺産としての価値を持っているともいえるのでしょうが、裏返せばいささか古いスタイルだと言うことにもなります。それは、クライバー盤によってヤノヴィッツが築き上げたお人形さんのようなアガーテとは随分と隔たっています。
それは、もう一人のソプラノ役である「リサ・オットー」にもあてはまります。
この「エンヒェン」という役はいわゆる「愛想がよいものの抜け目のない少女」を意味する「スプレット(Soubrette)」系の役なのですが、アガーテ役のグリュンマーと同じように、いささか立派で堂々としすぎているかもしれません。
それからマックス役の「ルドルフ・ショック」はリリックからスタートしてドラマティックなスタイルに変化していったテノールなので、その両方の性格が求められるこの役にはピッタリだったかもしれません。彼もまた、グリュンマー、オットーらと並んで一時代を築いた名歌手です。
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最高、これぞ歴史的名演(ξ^∇^ξ) ホホホホホホホホホ>>>9~10
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