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リヒテル(Sviatoslav Richter)|プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第5番 ト長調 Op.55
プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第5番 ト長調 Op.55
(P)スヴャトスラフ・リヒテル:ヴィトールド・ロヴィツキ指揮 ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団 1958年9月録音
Prokofiev:Piano Concerto No.5, Op.55 [1.Allegro con brio]
Prokofiev:Piano Concerto No.5, Op.55 [2.Moderato ben accentuato]
Prokofiev:Piano Concerto No.5, Op.55 [3.Toccata. Allegro con fuoco]
Prokofiev:Piano Concerto No.5, Op.55 [4.Larghetto]
Prokofiev:Piano Concerto No.5, Op.55 [5.Vivo]
プロコフィエフにとっては最後のプロコフィエフらしい音楽
1918年にロシア革命の混乱を逃れてアメリカに渡ったプロコフィエフは、1923年にはアメリカでの悪意に満ちた批評に限界を感じて活動の本拠をフランスに移します。そして、それ以後の彼の活動のメインは作曲よりはピアニストとしての演奏活動に移行していったように思えます。
おそらくは、その背景には結婚と子供の誕生という出来事があったのかかもしれません。つまりは、稼がなくてはならなかったのです。
そして、彼には聴衆を唸らせるだけの腕前がありましたし、そこで披露する自作のピアノ曲も数多く作曲していました。
この5楽章構成という得意なスタイルを持つ協奏曲第5番も、その様な演奏活動のために作曲されたようです。その意味では、彼の作曲スタイルは何処かモーツァルトと似通っている部分があったのかもしれません。
実は、この作品の前に、第1次世界大戦で右手を失ったピアニスト、ヴィトゲンシュタインからの委嘱で左手のための協奏曲を書いています。しかし、その作品は委嘱したヴィトゲンシュタインから「私にはどの音符も分かりません」と言って演奏を拒否され、突き返されています。しかし、そんなヴィトゲンシュタインに対してプロコフィエフは不快感を持った様子はなく、また改訂も行わずにそのまま机の中にしまい込んでしまいます。
最近では、ヴィトゲンシュタインが突き返した本当の理由は自分では弾きこなせないと感じたからではないかと言われています。つまりは、プロコフィエフにとってピアノ曲というのは全て自分が演奏することを前提として書かれるのであって、その前提が一般的なピアニストにとっては途轍もなく高い壁になっているのです。
この協奏良く第5番でも5楽章構成という古典派以来の基本的なスタイルを覆すような形式を持っているのですが、それ以上に注目すべきは最初から最後まで独奏ピアノが鳴り続けると言うことです。
一般的にはピアノ協奏曲というのはピアノとオケの対話であったり掛け合いであったりするのですが、ここでは徹頭徹尾ピアノが主導していくのです。とは言っても、オケが添え物でオケが伴奏にしか過ぎないというロマン派時代に大流行した名人芸披露のスタイルとは異なります。ここでは、ピアノが主導しながらもオーケストラは充分すぎるほどに鳴り響いて独奏ピアノに覆い被さってきます。
そして、この作品と第3番の協奏曲を聞くことで、私はプロコフィエフという作曲家を誤解していたことに気づきました。
こんな事を書けばお叱りを受けるかもしれないのですが、彼の作品は結局は「興行」用の音楽だと考えた方がいいのです。ただし、その「興行」のために「古くて何処が悪い!」と開き直ったラフマニノフとは違って、「古さ」と「新しさ」を実に上手い具合にバランスをとった音楽に仕上げたのです。
古すぎれば進歩的な聴衆には退屈ですし、新しすぎれば保守的な聴衆にそっぽを向かれます。ですから、時代の流れを読み取って、「新しい」要素を盛り込みながら、それが決して過激にならない範囲で上手くとどめるのです。例えば、この第5番の協奏曲でもピアノを打楽器的に扱う場面は出てくるのですが、プロコフィエフはバルトークのように尖ることはなくて、そこに保守的な聴衆にも受け入れ可能な「軽さ」を残しています。
そして、その事が私にプロコフィエフにある種の中途半端さを感じさせる要因となっていたのですが、それらを時代の流れを上手く読み取った「興行」用の音楽と思えばこれほど見事なものはありません。残念ながら、彼の協奏曲を実演で聞いたことはないのですが、ピアニストがプロコフィエフが要求するものを全てクリアしたならば鳥肌が立つほどの感動を覚えるでしょう。
ただし、その「感動」はコンサートホールを出て、一つめの角を曲がったあたりでは消えていくような類のものかもしれません。
しかし、何度も繰り返しますが、「芸」のない「芸術」よりは何十倍もましです。
そして、プロコフィエフはこの作品を「さようなら」がわりに、西洋を去って故郷の新生ソ連に戻るのです。
そして、それ以後の彼の作曲活動をどのように評価するのかは人それぞれですが、そこでは「古くて何が悪い!」という開き直りみたいなものがより強く感じられるようになっていくのは事実です。その意味では、この作品はプロコフィエフにとっては最後のプロコフィエフらしい音楽だったのかもしれません。
スケールが大きくダイナミックな演奏
ヴァイオリン協奏曲第1番を取り上げたときにも少しふれたのですが、リヒテルは1927年にその作品に触れて深く感動し、それ以後プロコフィエフの作品への関心を深めました。1927年と言えば、リヒテルは未だ12歳の少年だったのですから、彼もまた随分と早熟の天才だったようです。
そして。プロフィエフがソ連に復帰するとこの二人は親密な関係を築いていくのです。
そんな親密な関係の橋渡しをしたのがリヒテルの師匠だったネイガウスでした。
そして、1943年1月18日にはプロコフィエフのピアノソナタ第7番を初演を託されるようになっていきます。
その後もプロコフィエフの3曲の戦争ソナタによるリサイタルを行ったり、1948年にプロコフィエフがジダーノフ批判の対象となってもリヒテルは依然と変わらずにプロコフィエフと活動を行い続けました。
つまりは、リヒテルにとってプロコフィエフというのは特別な存在の作曲家だったのです。
そして、その「特別な思い」はこのピアノ協奏曲第5番を聞けば、どんなに「鈍な耳」でも納得するはずです。
率直に言って、この作品は、私がプロコフィエフという作曲家に対して常に感じてきたある種の「中途半端」さを色濃く持った作品のように思えます。ピアニストにとってはテクニック的にはかなりの苦労を強いられるのですが、その苦労に見合うだけの効果が十分に得られないような感じがするのです。さらにいえば、何か深刻なことを言い出しそうに見えながら、結局それは最後まで語られることがないような物足りなさみたいなものも感じてしまいます。
そう言う作品を、例えばフランソワなどは彼にしかできないような「情」を滲ませることで聴き応えのある音楽に仕上げていました。しかし、その様なことはフランソワにしかできない「芸」でした。
ところが、ここに、そう言う方向性とは真逆のやり方でこの作品を弾ききったピアニストがいたのです。
それは、言うまでもなくこのリヒテルでした。
彼のピアノにかかると、この作品に感じていた「中途半端」さなどははるか彼方へ吹っ飛んでしまいます。そのスケールが大きくてダイナミックな演奏を聞かされると、この第5番の協奏曲ってこんなにも雄大な音楽だったのかと自分の頬を抓りたくなるほどです。
そして、そう言うマジックのようなことが可能なのは、作曲者のプロコフィエフでさえ「覚え込むのが困難」と言わしめたピアノのパートを、リヒテルは余裕を持って鮮やかに弾ききる逞しいテクニックを持っているからです。
それは、ただ単に指が良くまわるなどというレベルをはるかに超えた、パワーと魂がこもったテクニックです。
話が全く横道にそれて恐縮なのですが、小説家の阿川弘之を父に持つ阿河佐和子は、その父のことをよくネタにしてるのですが、その中に「絶対」というネタとがあります。それは、阿川弘之が物書き稼業もはじめた娘の佐和子に「絶対と言うことは絶対にないのだから、絶対という言葉は絶対に使ってはならない」と諭したというのです。
しかしながら、こういう演奏を聞かされると、この方向性でこの作品をこれ以上のレベルで再現するのは「絶対」に不可能なような気がします。
もちろん、「絶対と言うことは絶対にない」のですが・・・(^^;
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