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フルトヴェングラー(Wilhelm Furtwangler)|ブラームス:交響曲第1番 ハ短調 作品68
ブラームス:交響曲第1番 ハ短調 作品68
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽 1952年2月10日録音
Brahms:Symphony No 1 in C Minor, Op. 68 [1.Un poco sostenuto - Allegro]
Brahms:Symphony No 1 in C Minor, Op. 68 [2.Andante sostenuto]
Brahms:Symphony No 1 in C Minor, Op. 68 [3.Un poco allegretto e grazioso]
Brahms:Symphony No 1 in C Minor, Op. 68 [4.Piu andante - Allegro non troppo, ma con brio - Piu allegro]
ベートーヴェンの影を乗り越えて
ブラームスにとって交響曲を作曲するということは、ベートーヴェンの影を乗り越えることを意味していました。それだけに、この第1番の完成までには大変な時間を要しています。
彼がこの作品に着手してから完成までに要した20年の歳月は、言葉を変えればベートーヴェンの影がいかに大きかったかを示しています。そうして完成したこの第1交響曲は、古典的なたたずまいをみせながら、その内容においては疑いもなく新しい時代の音楽となっています。
この交響曲は、初演のときから第4楽章のテーマが、ベートーヴェンの第9と似通っていることが指摘されていました。それに対して、ブラームスは、「そんなことは、聞けば豚でも分かる!」と言って、きわめて不機嫌だったようです。
確かにこの作品には色濃くベートーヴェンの姿が影を落としています。最終楽章の音楽の流れなんかも第9とそっくりです。姿・形も古典派の交響曲によく似ています。
しかし、ここに聞ける音楽は疑いもなくロマン派の音楽そのものです。
彼がここで問題にしているのは一人の人間です。人類や神のような大きな問題ではなく、個人に属するレベルでの人間の問題です。
音楽はもはや神をたたるものでなく、人類の偉大さをたたえるものでもなく、一人の人間を見つめるものへと変化していった時代の交響曲です。
しかし、この作品好き嫌いが多いようですね。
嫌いだと言う人は、この異常に気合の入った、力みかえったような音楽が鬱陶しく感じるようです。
好きだと言う人は、この同じ音楽に、青春と言うものがもつ、ある種思いつめたような緊張感に魅力を感じるようです。
ユング君は、若いときは大好きでした。
そして、もはや若いとはいえなくなった昨今は、正直言って少し鬱陶しく感じてきています。(^^;;
かつて、吉田秀和氏が、力みかえった青春の澱のようなものを感じると書いていて、大変な反発を感じたものですが、最近はこの言葉に幾ばくかの共感を感じます。
それだけ年をとったということでしょうか。
なんだか、リトマス試験紙みたいな音楽です。 い人でも、この作品の冒頭を知らない人はないでしょう。
じっくり考えてみたい
聞くところによると、ブラームスはフルトヴェングラーにとってベートーベン、ワーグナーに次いで取り上げる回数の多かった作曲家らしいです。
フルトヴェングラーに代表される「昔の巨匠」達はレパートリーが狭かったというのはよく語られる話です。しかしながら、最近になってネット上でコンサートの詳細な記録が窮されるようになったことを通して、その様な認識は残された録音だけで彼らを評論してきた不勉強が故の「誤った常識」だと言われるようになってきました。調べてみれば、フルトヴェングラーだってシェーンベルクを取り上げていたりマーラーのシンフォニーなどもコンサートでは取り上げてたことが知られるようになってきたのです。
とは言え、フルトヴェングラーのレパートリーの主流がドイツ・オーストリア系の王道にあったことも事実なのです。
また、戦後のフルトヴェングラーはレパートリーという点では大幅に縮小した事は事実で、その面を見る限りでは「レパートリーが狭かった」という主張はあながち間違いとも言えません。
実際、戦後のフルトヴェングラーは多くの人から称賛され、多くの信奉者を勝ち取ったのですが、その反面、専門家の間では「古い演奏様式」や「狭いレパートリー」、とりわけ同時代の音楽に対する冷淡な態度が批判の対象になっていました。
確かに、彼の才能が最も光り輝いていた戦前のベルリンフィルの時代と比べてみれば、その変わりよう非常に大きいのです。その変化の背景には1933年のナチスによる政権掌と、その事がもたらした戦争の惨禍を指摘するのは容易い事なのですが、それを指摘したところで、それではその事を契機として彼の内面にどのように変化が引き起こされたのかについては何の答えにもなっていません。
結局は、彼が音楽家だった以上、彼が残した音楽を聞くしかないのでしょう。
例えば、このブラームスの1番を戦後のフルトヴェングラーがこのように演奏したことを、私たちはどのように受け取ればいいのかと言うことなのででしょう。その音楽を聞くことを通してでしか、彼の内面に起こった変化をうかがい知ることはできないのです。
ちなみに、私が確認した範囲では、戦後に演奏されたブラームスの1番で、音として残されているのは以下の通りです。
ちなみに、これ以外で残されている音源は、ベルリンフィルの戦時中最後の演奏会となった1945年1月23日のものがあるようですが、残念ながら全曲ではなくて第4楽章だけしか残っていないようです。
- Wiener Philharmoniker:1947年8月13日 [live]
- Lucerne Festival Orchestra:1947年8月27日 [live]
- Wiener Philharmoniker:1947年11月17日~20日
- Concertgebouw Orchestra:1950年7月13日 [live]
- Sinfoniorchester des NDR Hamburg:1951年10月27日 [live]
- Wiener Philharmoniker:1952年1月27日 [live]
- Berliner Philharmoniker:1952年2月10日 [live]
- RAI Turin Orchestra:1952年3月7日 [live]
- Berliner Philharmoniker:1953年5月18日 [live]
- Venezuela Symphony:1954年3月20日 [live]
1954年にヴェネズエラのカラカスで地元のオケを指揮した録音が残っているとは驚きですが、フルトヴェングラーという人はあまりオケのクオリティには五月蠅いことは言わない人だったようです。
とは言え、その演奏活動の中心は当然の事ながらベルリンフィルとウィーンフィルであることは事実です。
しかしながら、47年の11月にEMIが行ったスタジオ録音は出来があまりよくないというのが通り相場なので、音質面も加味すれば52年のウィーンフィルとベルリンフィルとの録音、そして名演の誉れが高い51年の北ドイツ放送交響楽団(NDR)との録音が、最も戦後のフルトヴェングラーらしい演奏と言うことになるでしょう。
とりわけ、52年のベルリンフィルとの演奏が、このオケを完全に手中にし緩急自在に操った演奏という評価が高いのですが、これを「古い様式」と切って捨てる人は昔から少なくありません。つまりは、聞きようによってはあまりにも「あざとい」と思ってしまう面もあるのです。
そして、心しなければいけないことは、このような緩急自在のスタイルこそがフルトヴェングラーらしい演奏と評価されるのですが、その様なスタイルは戦前のベルリンフィルの時代(1922年~1933年)の演奏スタイルとは随分違っていると言うことです。
残念ながら、フルトヴェングラーが戦前にブラームスの1番を演奏した録音は残っていません。ですから、戦前と前後を直接比較することはできないのですが、ナチス政権以前に録音として残されているのは序曲などの小品を戦後の録音と較べてみると随分と雰囲気が違っています。それらは、概ねかなり速めのテンポで直線的なスタイルで音楽を形作っているのです。
この変化を私は単純に円熟とか深化などと言う「小綺麗」な言葉で分かったような気にはなりたくないのです。とはいえ、あまり安易に分かったようなことも書けませんから、丹念に彼が残した音源をアップしながらじっくり考えてみたいと思っています。
この演奏を評価してください。
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- 最高、これぞ歴史的名演(ξ^∇^ξ) ホホホホホホホホホ>>>9~10
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よせられたコメント
2017-01-10:m
- ユングさんがこの録音をアップされたので、以前からずっと思っていたことを書きます。
ベルリンフィルはたしかこの後ルドルフケンペそしてカラヤンとこの曲の録音をしていたかと思います。フルトヴェングラーとのこの録音を聞き返してみてちょっと思ったのですが、もし録音がとても良ければその音の響きはカラヤンの60年代の録音の音色に近いものではなかったかと思われました。
私は楽譜が読めない人間なのでこう思いますが、細かい解釈の違いを見つける事が出来る方々にとっては勿論異論があろうかと思っております。 ただ私のような素人にはこの演奏、ケンペそしてカラヤンに大きな違いは無くベルリンフィルの音の厚みを楽しむ演奏の様に思います。多くの指揮者と共に作り上げられたベルリンフィルの音色のすばらしさを楽しむ事が出来る演奏であればどれでも良いように思うのです。一定の水準?の演奏であればこの曲は自ら語ってくれている様に思います。 そんな意味でステレオ録音技術完成後のカラヤンの録音の音色は魅力的でした。
異論は覚悟で申し上げました。
以下余談です。亡くなった大叔母がフルトヴェングラーの実演を聴いた際の、その音色の独特の魅力(他界の音)を話してくれうらやましく思ったものです。そういった神秘的な響きが捉えられている録音はトリスタンや大戦中のいくつかの録音から聞えるようにも思えます。楽曲の解釈以外の何かのプラスアルファが漂っている録音を聴くことができるのがフルトヴェングラーを聴く喜びでしょうかね。
51年のグレートは今にも生成しつつある音楽のすばらしさを伝えておりそれはそれで素晴らしいと思いますが、そのやり方は他界の音とは違うニュアンスかもしれません。
2017-01-11:Joshua
- この演奏は、高校時代(1975)にLPで買ったものです。
その後、オリジナルス・シリーズでCD化され、録音レベルが小さめながらも、
思い出を復活させてくれました。音量を上げても、LP時代から、生々しさに欠ける録音だったと記憶しています。皆さん、どういった装置で再生してるんでしょうね?
宇野功芳氏が、「フルトヴェングラーの全名演名盤」(講談社α文庫)で、CD化して価値がなくなったとまで書いてあります。(個人としてはそう思いませんが)
さて、この2月10日ライブのベルリンフィル録音は、私が上記で聞いてきた録音といささか印象が異なります。テンポの伸び縮み、クレッシェンド、アチェレランドの具合、弦楽器の弾き方などは概して変わりないのですが、ホルンが違うのです。(すいません、へたくそながらアマチュアで2回、セカンドと4thで吹いたもので)
元に私が聴いた音で記憶に残っているのは、簡単に言うと、「もっと音の芯がはっきりしていて、聴いていて吹きにくそうに聴こえた」音でした。むしろそれが大戦直後のベルリンの音、と認識しています。それが、今回、聴き易くなり、聴き栄えとしては良くなってるのですが、音がまろやかさを加え、私が思うベルリンらしさが後退しました。第4楽章の1、2番の掛け合い、3番ホルンが同じ音型をH音から降りるソロも、同様の印象を受けました。
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