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モーツァルト:交響曲第38番 ニ長調 K.504 「プラハ」

マルケヴィッチ指揮 ベルリンフィル 1954年2月22日~26日録音

Mozart:Symphony No.38 in D major K.504 "Prague" [1. Adagio - Allegro]

Mozart:Symphony No.38 in D major K.504 "Prague" [2. Andante]

Mozart:Symphony No.38 in D major K.504 "Prague" [3. Finale: Presto]


複雑さの極みに成立している音楽

1783年にわずか4日で「リンツ・シンフォニー」を仕上げたモーツァルトはその後3年にもわたってこのジャンルに取り組むことはありませんでした。40年にも満たないモーツァルトの人生において3年というのは決して短い時間ではありません。その様な長いブランクの後に生み出されたのが38番のシンフォニーで、通称「プラハ」と呼ばれる作品です。

前作のリンツが単純さのなかの清明さが特徴だとすれば、このプラハはそれとは全く正反対の性格を持っています。
冒頭部分はともに長大な序奏ではじまるところは同じですが、こちらの序奏部はまるで「ドン・ジョバンニ」を連想させるような緊張感に満ちています。そして、その様な暗い緊張感を突き抜けてアレグロの主部がはじまる部分はリンツと相似形ですが、その対照はより見事であり次元の違いを感じさせます。そして、それに続くしなやかな歌に満ちたメロディが胸を打ち、それに続いていくつもの声部が複雑に絡み合いながら展開されていく様はジュピターのフィナーレを思わせるものがあります。
つまり、こちらは複雑さの極みに成り立っている作品でありながら、モーツァルトの天才がその様な複雑さを聞き手に全く感じさせないと言う希有の作品だと言うことです。

第2楽章の素晴らしい歌に満ちた音楽も、最終楽章の胸のすくような音楽も、じっくりと聴いてみると全てこの上もない複雑さの上に成り立っていながら、全くその様な複雑さを感じさせません。プラハでの初演で聴衆が熱狂的にこの作品を受け入れたというのは宜なるかなです。
伝えられた話では、熱狂的な拍手の中から「フィガロから何か一曲を!」の声が挙がったそうです。それにこたえてモーツァルトはピアノに向かい「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」を即興で12の変奏曲に仕立てて見せたそうです。もちろん、音楽はその場限りのものとして消えてしまって楽譜は残っていません。チェリが聞けば泣いて喜びそうなエピソードです。


こぼれ落ちてしまうものの大きさ

聞けば分かるようにと言うべきか、マルケヴィッチなんだから想像したとおりと言うべきか、この上もなくシャープなモーツァルトがここにあります。
今から半世紀以上も前に、既にこのようなモーツァルト像を提示していたと事に驚かされます。
音楽の根っこが古い時代にあったカザルスのモーツァルトはこれと較べれば「冗談」かと思うほどに鈍重です。そして、この時代の「平均値?^^;」とも言うべきベームのモーツァルトも、これと較べてしまえばはるかに大柄であり重いことは否定できません。

しかし、ここで一つの疑問が浮かび上がります。
果たしてモーツァルトって、こんなにも鋭利なまでのシャープさで造形すべき音楽なんだろうか、と言う疑問です。

オーケストラの源流を辿れば、水源は2カ所存在します。
一つは、コレッリの合奏協奏曲やヴィヴァルディの独奏曲、さらにはコンサートの開始を告げる序曲などの、人の声や歌からの制約を逃れた純粋器楽の合奏です。
ハイドンの交響曲は、こういう純粋器楽の合奏を源流とするオーケストラを前提として作曲されましたし、その正当な継承者がベートーベンであったことに異論を唱える人はいないでしょう。そして、そう言うオーケストラを前提として生み出された交響曲ならば、マルケヴィッチのようなアプローチは極めて有効でした。

ハイドン 交響曲第104番 ニ長調「ロンドン」:イーゴル・マルケヴィッチ指揮 ラムルー管弦楽団 1959年10月録音」などは、その典型です。

純粋器楽の合奏体たるオーケストラが一つの音符も蔑ろにすることなくきりりと造形していけば、そこに自ずからなる美が生まれます。

しかし、モーツァルトが親しんでいたオーケストラはその様な純粋器楽の合奏体としての源流を持ったオーケストラではなくて、オペラにおける歌の伴奏を行う器楽合奏を源流としたものでした。それがオーケストラのもう一つの源流であり、それは人の声と密接に結びついた器楽合奏であり、ドラマの進行に合わせて時には鳥の囁きであり、時には雷となって天を震わすことも求められた器楽合奏でした。

つまりはその2つは見かけは非常に似通っていたとしても内包する世界観は全く異なるものだったのです。

そして、この2つの二つの流れは時代とともに密やかに歩み寄って合流していく事で、より高い表現力を持った魔法の楽器へと成長していくのですが、モーツァルトの時代にあっては、これらはそこまで密接には融合はしていませんでした。そして、モーツァルトにとって親しかったのは、明らかに後者の人の声や歌と密接不可分に結びついたオペラの合奏体としてのオーケストラでした。

そして、その様なオーケストラを前提として書かれたモーツァルトの交響曲は、ただ端に一つの音符を蔑ろにすることもなく精緻に造形するだけでは、こぼれ落ちてしまうものがあるのです。
いや、もう少し婉曲に表現すれば、失うもの、こぼれ落ちてしまうものがあるように思うのです。

では、そのこぼれ落ちてしまうものが何かと言えば、あまりにも文学的解釈と誹られるかもしれないのですが、それは音楽の中に塗り込められたドラマだと思うのです。
マルケヴィッチのモーツァルトからは、その様なドラマ性は見事なでに、そして疑いもなく意図的にはぎ取られています。指揮者以前に作曲家であったマルケヴィッチにしてみれば、音楽とは音符に書かれたものが全てであり、そこに何らかの解釈によって物語性を付与するなどと言うことは許されざる事だったでしょう。
マルケヴィッチという人を知れば知るほどに、モーツァルトであってもそのように表現するしかなかったことはよく分かるのです。
それでも、こぼれ落ちてしまうものの大きさを目の当たりにすると、モーツァルトを演奏することの難しさを感ずるのです。

おそらくは、モーツァルト自身もしかと自覚すること無しに音楽の中に塗り込めた泣き笑いを、本能的と言っていいほどの感覚ですくい取って音楽を形作れる人がいます。
そんな幸運な人間がごく僅かですがこの世に存在します。
もしも、その様な人が存在しなければ、誰もマルケヴィッチのシャープなモーツァルト像に不満を持つこともなかったのかもしれません。

しかし、そう言う幸運な音楽を聞いてしまえば、贅沢な聞き手の耳は不満を申し立てるのです。

困ったものです。
それとも、私の頭と耳が古いのか?

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