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モーツァルト:交響曲第40番 ト短調 K.550

フリッチャイ指揮 ウィーン交響楽団 1959年11月26日&29日録音

Mozart:Symphony No.40 in G minor, K.550 [1.Molto Allegro]

Mozart:Symphony No.40 in G minor, K.550 [2.Andante]

Mozart:Symphony No.40 in G minor, K.550 [3.Menuetto]

Mozart:Symphony No.40 in G minor, K.550 [4.Allegro assai]


「哀切なるモーツァルトの音楽」の中でも、もっとも哀切なものだといえます。

おそらく、日頃クラシック音楽なんかを聞かない人でも、冒頭のメロディはどこかで聞いたことがあるはずです。

 モーツァルトの交響曲は番号付きの物は41番までありますが、ベートーベン以降のようにガッチリとした形式があったわけではないので、広く解釈すれば数はもっと多くなります。逆に言えば、強固な形式観がなかっただけに、この時代の作曲家は実に多くの交響曲を残しています。

 ブラームスがベートーベンの影に怯えて(?)、第1番を作り出すのに20年以上かかったのは有名な話ですが、モーツァルトやハイドンは実に気楽にたくさんの作品を生みだしています。(ちなみにハイドンの場合は番号付きの作品だけでなんと104番まであります)
 そんなわけで、モーツァルトの交響曲は、いかに彼が天才だったとはいえ、ほんの子供時代の作品もふくまれていますから、すべてが傑作とは言いかねます。
 たとえば、交響曲1番(E?Flat Major K.16)なんかは、わずか8歳の時の作品です。
 とはいえ、父親のレオポルドは、「8歳というのに、40歳の男に要求される物をみな知っている」と言わせた天才を感じ取ることができます。そして、この作品で聞くことのできる哀切な響きは、すでにモーツァルトの音楽の「哀しさ」を刻み込んでいます。こんな「哀しさ」がすでに8歳の子供にも宿っていたのかと驚かされます。

 ちなみに若書きの作品として有名なものに、ロッシーニの「弦楽のためのソナタ」があります。ロッシーニ12歳の作品です。
 しかし、この4歳の差は大きく、両者を比べるとロッシーニの作品は完全に大人の作品です。幼さを全く感じさせません。
 そして、この作品に聞こえる哀切な響きには「甘いあこがれ」が感じ取れ、決してモーツァルトの模倣にはなっていないのはさすがです。(閑話休題)

 それから、モーツァルトの交響曲の中で短調の曲はたったの2曲だけで、ともにGマイナーというのもよく指摘されてきたことです。
一曲は今お聞きの40番、そしてもう一曲は映画「アマデウス」で有名になった25番です。通常、40番を「大ト短調」、25番を「小ト短調」と言います。
 ともに「哀切なるモーツァルトの音楽」の中でも、もっとも哀切なものだといえます。


もっとゆっくり成熟する時間があれば

フリッチャイの音楽を「病」を分岐点として云々するのはいささか一面的にすぎる気もするのですが、それでも大きな要因になっていることは間違いありません。
ですから、取りあえず、モーツァルトの録音もそのラインで仕分けると以下のようになります。フリッチャイにとってモーツァルトは、バルトークと並んで大切にしていた存在です。

<病以前>

  1. モーツァルト:交響曲第35番 ニ長調 "ハフナー" K.385:RIAS交響楽団 1952年9月12日録音

  2. モーツァルト:交響曲第41番 ハ長調 "Jupiter" K.551:RIAS交響楽団 1953年9月9日~12日録音

  3. モーツァルト:交響曲第29番 イ長調 K.201 (186a):RIAS交響楽団 1955年9月30日&10月1日録音


<病以後>

  1. モーツァルト:交響曲第39番 変ホ長調 K.543:ウィーン交響楽団 1959年11月26日&29日録音

  2. モーツァルト:交響曲第40番 ト短調 K.550:ウィーン交響楽団 1959年11月26日&29日録音

  3. モーツァルト:交響曲第29番 イ長調 K.201 (186a):ウィーン交響楽団 1961年3月12日~25日録音

  4. モーツァルト:交響曲第41番 ハ長調 "Jupiter" K.551:ウィーン交響楽団 1961年3月21日~25日録音



彼はバルトークとモーツァルトの親近性について語っています。バルトークの音楽が数学的な精緻さで構成されていることは今さら指摘するまでもないことですが、それと同じ事がモーツァルトにも言えるようなのです。
モーツァルトの音楽はスコアを見る限りはきわめてシンプルです。ですから、それを「現実の音」に変化するだけならいとも容易いことですが、怖ろしいことに、それだけでは全く「音楽」にはならないことは誰もが知りすぎるほどに知り尽くしています。言葉をかえれば、スコアを音にするだけなら実に簡単なのですが、それが音楽になるためのストライクゾーンが驚くほどに狭いのがモーツァルトなのです。

そして、そのアプローチは必ずしも一通りでないのですが、その数少ない有効なアプローチとして、バルトークの音楽のような数学的精緻さで音楽を構築するというやり方があります。
このやり方の雄は言うまでもなくセルです。そしてライナーもその一人かもしれません。

ワルターなどとは全く異なるアプローチなのですが、何故かモーツァルトには精緻がよく似合います。
そして、フリッチャイもまたその様な精緻派の一人でした。そして、そのアプローチの仕方は白血病という病によっても全くぶれることはありませんでした。

ただ、59年に録音されたト短調シンフォニーだけは異常です。
彼は、この美しい音楽を前にして明らかに前に進むことを拒んでいます。しかし、全く同じ時期に録音された39番のホ短調シンフォニーではその様な「停滞」は起こっていませんから、おそらくは音楽そのものが内包している悲劇性の違いなのでしょう。

面白いのは、異なる時期に録音された29番と41番の相貌の違いです。
61年に録音された方は、59年に感じられたような「停滞感」は全く姿を消してしまい、その精緻にして透明感のある世界はセル&クリーブランド管と十分に肩を並べます。

それに対して、50年代の前半に録音された29番と41番の弾むような勢いに満ちた活きの良さは、10年と隔たっていない同一人物の手になるものとはにわかには信じがたいほどです。
さらに、それよりも前の52年に録音されたハフナーに至っては、これが同一人物による音楽とはにわかに信じがたいほどの強烈な推進力に貫かれています。

しかし、その様な勢いが前面に飛び出てくる音楽ではあるのですが、よく聞いてみればその底に精緻さへの執念が貫かれていることに気づかされて、なるほど、これもまたフリッチャイの音楽だと納得するのです。
そして、この二つの音楽を聞き比べていると、もしも彼にもっとゆっくり成熟する時間があれば、どれほど大きな音楽を聴かせてくれただろうなどと、詮無きことを考えてしまうのです。

<追記:オーケストラの名称について>


オケとしての実態は全く変わらないのに、経営母体が変わったりすることで名称だけが変更になることがよくあります。普通はそう言う変更は滅多に起こらず、あったとしても一回くらい変わるだけなのでそれほど混乱は起こりません。
ところが、フリッチャイが初代の首席指揮者を務めた「RIAS交響楽団(RIAS-Symphonie-Orchester Berlin)」はその後とんでもない有為転変を経験して、名前をみるだけではわけが分からなくなってしまっていますので、少しばかり補足しておきます。

まず、このオケは1946年に、連合軍の占領下にあった西ベルリンで、アメリカ軍占領地区放送局(Radio In the American Sector)のオーケストラとして創設されました。初代の首席指揮者がフリッチャイで、彼は白血病から復活した1959年から死の直前まで、もう一度このオケを率いて言います。
しかし、1952年に西側諸国が「対ドイツ一般条約」を締結することで西ドイツの主権が回復されるとRIAS放送協会はRIAS交響楽団との契約を打ち切ります。そして、1954年に自由ベルリン放送協会(SFB)が設立されるとRIAS交響楽団はこの放送局と演奏録音契約を結びます。
しかし、RIAS放送協会との契約が切れた後もしばらくは「RIAS交響楽団」の名前を使っていたようです。
そして、正式に名称を変更したのは1956年のことのようで、それ以後の録音のクレジットを調べてみると「Radio-Symphonie-Orchester Berlin」となっています。

この「Radio-Symphonie-Orchester Berlin」を日本語訳すると「ベルリン放送交響楽団」となるのですが、ここで一つ困った問題が発生しました。それは、東ドイツには1923年に創設された伝統あるオーケストラ「Berlin Radio Symphony Orchestra」が存在したことで、こちらも日本語訳すると「ベルリン放送交響楽団」となってしまうのです。
もちろん、こういう混同が起こるのは日本だけなのですが、それでもまさかレコードのクレジット欄に「Radio-Symphonie-Orchester Berlin」とか「Berlin Radio Symphony Orchestra」と記すわけにもいかないので、結局は全く異なるオーケストラであるにもかかわらず名前は同じという奇妙な状態がこの後長く続くことになったのです。

そして、話がここまででも十分にややこしいのに、さらにややこしくなったのは1990年のドイツの再統一で、それをきっかけに契約先である自由ベルリン放送協会やRIAS放送協会が統廃合されてしまったことです。
西側の「ベルリン放送交響楽団」は、名前は「「放送交響楽団」であっても専属契約ではなかったので、これを契機として1993年に「Deutsches Symphonie-Orchester Berlin(ベルリン・ドイツ交響楽団)」と名前を変更することになったのです。

さらに、この翌年の1994年にはベルリン市やドイツ政府、ドイツラジオなどが共同出資して会社を作り、RIAS室内合唱団、ベルリン放送合唱団、ベルリン放送交響楽団、ベルリン・ドイツ交響楽団を管轄するようになります。
つまりは、東西の「ベルリン放送交響楽団」は同じ経営母体の中に吸収されることになるのです。
そして、こういう流れの中で、2009年には「ベルリン放送交響楽団」に「ベルリン・ドイツ交響楽団」を吸収合併するという案が出されることになるのですが、さすがにこの統廃合案は強い反対にあって頓挫してしまいました。

ですから、整理すると以下のようになります。

西側の「ベルリン放送交響楽団」


  1. 1946年~1955年:RIAS交響楽団(RIAS-Symphonie-Orchester Berlin)

  2. 1956年~1992年:ベルリン放送交響楽団(Radio-Symphonie-Orchester Berlin)

  3. 1993年~:ベルリン・ドイツ交響楽団(Deutsches Symphonie-Orchester Berlin)



東側の「ベルリン放送交響楽団」


  1. 戦前:ベルリン帝国放送管弦楽団(Rundfunk-Sinfonieorchester Berlin)

  2. 戦後:ベルリン放送交響楽団(Radio-Symphonie-Orchester Berlin)

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