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ブラームス:交響曲第1番 ハ短調 作品68

バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団 1960年5月2日録音

Brahms:Symphony No. 1 in C Minor, Op. 68 [1st movement]

Brahms:Symphony No. 1 in C Minor, Op. 68 [2nd movement]

Brahms:Symphony No. 1 in C Minor, Op. 68 [3rd movement]

Brahms:Symphony No. 1 in C Minor, Op. 68 [4th movement]


ベートーヴェンの影を乗り越えて

 ブラームスにとって交響曲を作曲するということは、ベートーヴェンの影を乗り越えることを意味していました。それだけに、この第1番の完成までには大変な時間を要しています。

 彼がこの作品に着手してから完成までに要した20年の歳月は、言葉を変えればベートーヴェンの影がいかに大きかったかを示しています。そうして完成したこの第1交響曲は、古典的なたたずまいをみせながら、その内容においては疑いもなく新しい時代の音楽となっています。


 この交響曲は、初演のときから第4楽章のテーマが、ベートーヴェンの第9と似通っていることが指摘されていました。それに対して、ブラームスは、「そんなことは、聞けば豚でも分かる!」と言って、きわめて不機嫌だったようです。

 確かにこの作品には色濃くベートーヴェンの姿が影を落としています。最終楽章の音楽の流れなんかも第9とそっくりです。姿・形も古典派の交響曲によく似ています。
 しかし、ここに聞ける音楽は疑いもなくロマン派の音楽そのものです。

 彼がここで問題にしているのは一人の人間です。人類や神のような大きな問題ではなく、個人に属するレベルでの人間の問題です。
 音楽はもはや神をたたるものでなく、人類の偉大さをたたえるものでもなく、一人の人間を見つめるものへと変化していった時代の交響曲です。

 しかし、この作品好き嫌いが多いようですね。
 嫌いだと言う人は、この異常に気合の入った、力みかえったような音楽が鬱陶しく感じるようです。
 好きだと言う人は、この同じ音楽に、青春と言うものがもつ、ある種思いつめたような緊張感に魅力を感じるようです。

 ユング君は、若いときは大好きでした。
 そして、もはや若いとはいえなくなった昨今は、正直言って少し鬱陶しく感じてきています。(^^;;
 かつて、吉田秀和氏が、力みかえった青春の澱のようなものを感じると書いていて、大変な反発を感じたものですが、最近はこの言葉に幾ばくかの共感を感じます。
 それだけ年をとったということでしょうか。

 なんだか、リトマス試験紙みたいな音楽です。 い人でも、この作品の冒頭を知らない人はないでしょう。


少しだけ年を重ねて責任を背負った音楽

バーンスタインは1953年に、彼のキャリアとしてははじめての交響曲のスタジオ録音を行っています。すでに、このサイトでも紹介しているのですが、まさに「満を持して」と言う言葉がぴったりの録音でした。
何しろ、6月22日から30日までのわずか1週間あまりの間にベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」(6月22日)・シューマン:交響曲第2番(24日&26日)・ブラームス:交響曲第4番(6月29日)・チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」(6月29日&30日)の4曲も収録しているのです。そして、少し間をおいて7月28日にはドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」を録音しています。

おそらく、デッカからの申し入れを受け入れたときから、この予定されていたセッションまでの間に徹底的にスコアを検討し尽くしたことでしょう。
そして、その中からつかみ取った「己の信じた音楽」を精一杯表現しようとしたことは間違いありません。此処に聞けるものは、ひたすら上を目指して駆け上がっていく若者の音楽であり、その「若さの勢い」はこの上もなく眩しいものでした。

そんなバーンスタインがニューヨークフィルを手中に収め、そして録音に関しても決定権を持つようになった60年代にはいると、当然のことかもしれませんが、雰囲気は少しばかり違ってきます。特に、ブラームスやベートーベンのような作品に顕著なのですが、53年のように自分を出し切ること、言葉をかえれば音楽の中に自分が入り込んでしまうのではなく、そこから少し間をおいて音楽を真っ当に構築しようというような素振りが感じられるようになります。

もちろん、何度も聞かれることを前提とした「録音」と言う行為は一発勝負のライブ演奏とは自ずから変わってきます。ライブならば効果抜群の「見得」も、繰り返し聞かれる録音ではあざといだけになってしまうことはよくあることです。ライブではそこまで気にならないアンサンブルの荒さも録音では耳障りです。
50年代のバーンスタインはただただ自分だけを信じて突っ走ればいいだけの若者でした。しかし、年を重ねて責任を背負えば、バーンスタインのような男でも突っ走るだけの若者ではいられないのです。

ブラームスの交響曲で言えば、最もバーンスタインの気質に合っていると思われる第1番では、作品との距離感は小さいように聞こえます。若いバーンスタインの特長である、強烈な直進性は「やるしかない!!」という思いで始まる第1楽章にぴったりと当てはまっています。最終楽章のコーダの追い込みも、年を取ったらやれないだろうなと思わせるほどの「あざとさ」に満ちています。
第1番の交響曲は2番(62年)・3番(64年)・4番(62年)とくらべるととくらべると録音時期も早いので(60年)、あまり難しいことも考えずにすんでいるような気もします。(??;
そしてふと思ったのは、のだめカンタービレの中で千秋とR☆Sオーケストラが大成功を収めたブラームスって、もしかしたらこんなかんじじゃなかったかな?などと妄想したりもするような音楽になっていますね。

それとくらべると第2番や3番は音楽とバーンスタインの間にかなりの距離感を感じます。

第4番は53年にも取り上げているので(彼の要望だったのかレーベルの要望だったのかは分かりませんが)直接比較が可能なのですが、やはり荒っぽさと勢いが綯い交ぜになった不思議な火照りは後退しています。
しかし、まあそれは普通なんでしょうね。この62年盤にしても、通常のブラ4とくらべれば驚くほどの「明るさ」が前面に出ています。同時代のワルターの舞い落ちる秋の枯れ葉のような演奏を聴いた後にこれを聴けば、ほとんど別の音楽に聞こえることは間違いありません。

ただし、どの作品でも、歌うところは実によく歌っています。それも、晩年のあのネッチリとした歌い方ではなくて、もう少し風通しの良いさわやかな歌い方です。これが、ニューヨークを去ってフリーになってからは、どれを聴いてもバーンスタインの体臭みたいなものがまとわりつくようになるので、それが嫌いな人にとっては好ましく思えるでしょう。もちろん、逆は真でもあるので、その言う体臭が好きな人にとってはあっさりしすぎていて物足りなく思えるでしょう。

ただし、アンサンブルに関して言えば・・・、やはり荒いですね。(^^;
オケのアンサンブルを鍛え上げるには「悪人」にならないといけないのですが、最後までそう言うことができないのがバーンスタインでした。彼は出来上がったオケを使って「自分の音楽」を表現するのは得意でしたが、一から物事を築き上げていくのは苦手な人でした。

ただし、ニューヨークのオケは五月蠅いことを言わないカリスマ型指揮者は好きでも、アンサンブルを鍛え上げるようなトレーナー型の指揮者はあまりお好きではなかったようですので、この組み合わせは彼らにとっては幸せなものだったでしょう。そして、オケのたがが緩んでどうにもならなくなった時点で彼はニューヨークを去り、その後、二度と音楽監督などと言う面倒な仕事を引き受けなかったのは賢明な選択でした。(彼の後を次いだブーレーズの苦労は一方ならないものだったようです)

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