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ドヴォルザーク:交響曲第9番 ホ短調 Op.95 「新世界より」

バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団 1962年4月16日録音

Dvorak:Symphony No. 9 in E Minor, Op. 95, "From the New World" [1st movement]

Dvorak:Symphony No. 9 in E Minor, Op. 95, "From the New World" [2nd movement]

Dvorak:Symphony No. 9 in E Minor, Op. 95, "From the New World" [3rd movement]

Dvorak:Symphony No. 9 in E Minor, Op. 95, "From the New World" [4th movement]


望郷の歌

ドヴォルザークが、ニューヨーク国民音楽院院長としてアメリカ滞在中に作曲した作品で、「新世界より」の副題がドヴォルザーク自身によって添えられています。

ドヴォルザークがニューヨークに招かれる経緯についてはどこかで書いたつもりになっていたのですが、どうやら一度もふれていなかったようです。ただし、あまりにも有名な話なので今さら繰り返す必要はないでしょう。
しかし、次のように書いた部分に関しては、もう少し補足しておいた方が親切かもしれません。

この作品はその副題が示すように、新世界、つまりアメリカから彼のふるさとであるボヘミアにあてて書かれた「望郷の歌」です。

この作品についてドヴォルザークは次のように語っています。
「もしアメリカを訪ねなかったとしたら、こうした作品は書けなかっただろう。」
「この曲はボヘミアの郷愁を歌った音楽であると同時にアメリカの息吹に触れることによってのみ生まれた作品である」


この「新世界より」はアメリカ時代のドヴォルザークの最初の大作です。それ故に、そこにはカルチャー・ショックとも言うべき彼のアメリカ体験が様々な形で盛り込まれているが故に「もしアメリカを訪ねなかったとしたら、こうした作品は書けなかっただろう」という言葉につながっているのです。

それでは、その「アメリカ体験」とはどのようなものだったでしょうか。
まず最初に指摘されるのは、人種差別のない音楽院であったが故に自然と接することが出来た黒人やアメリカ・インディオたちの音楽との出会いです。

とりわけ、若い黒人作曲家であったハリー・サンカー・バーリとの出会いは彼に黒人音楽の本質を伝えるものでした。
ですから、そう言う新しい音楽に出会うことで、そう言う「新しい要素」を盛り込んだ音楽を書いてみようと思い立つのは自然なことだったのです。

しかし、そう言う「新しい要素」をそのまま引用という形で音楽の中に取り込むという「安易」な選択はしなかったことは当然のことでした。それは、彼の後に続くバルトークやコダーイが民謡の採取に力を注ぎながら、その採取した「民謡」を生の形では使わなかったののと同じ事です。

ドヴォルザークもまた新しく接した黒人やアメリカ・インディオの音楽から学び取ったのは、彼ら独特の「音楽語法」でした。
その「音楽語法」の一番分かりやすい例が、「家路」と題されることもある第2楽章の5音(ペンタトニック)音階です。

もっとも、この音階は日本人にとってはきわめて自然な音階なので「新しさ」よりは「懐かしさ」を感じてしまい、それ故にこの作品が日本人に受け入れられる要因にもなっているのですが、ヨーロッパの人であるドヴォルザークにとってはまさに新鮮な「アメリカ的語法」だったのです。
とは言え、調べてみると、スコットランドやボヘミアの民謡にはこの音階を使用しているものもあるので、全く「非ヨーロッパ的」なものではなかったようです。

しかし、それ以上にドヴォルザークを驚かしたのは大都市ニューヨークの巨大なエネルギーと近代文明の激しさでした。そして、それは驚きが戸惑いとなり、ボヘミアへの強い郷愁へとつながっていくのでした。
どれほど新しい「音楽的語法」であってもそれは何処まで行っても「手段」にしか過ぎません。
おそらく、この作品が多くの人に受け容れられる背景には、そう言うアメリカ体験の中でわき上がってきた驚きや戸惑い、そして故郷ボヘミアへの郷愁のようなものが、そう言う新しい音楽語法によって語られているからです。

「この曲はボヘミアの郷愁を歌った音楽であると同時にアメリカの息吹に触れることによってのみ生まれた作品である」という言葉に通りに、ボヘミア国民楽派としてのドヴォルザークとアメリカ的な語法が結びついて一体化したところにこの作品の一番の魅力があるのです。
ですから、この作品は全てがアメリカ的なもので固められているのではなくて、まるで遠い新世界から故郷ボヘミアを懐かしむような場面あるのです。

その典型的な例が、第3楽章のスケルツォのトリオの部分でしょう。それは明らかにボヘミアの冒頭音楽(レントラー)を思い出させます。
そして、そこまで明確なものではなくても、いわゆるボヘミア的な情念が作品全体に散りばめられているのを感じとることは容易です。

初演は1893年、ドヴォルザークのアメリカでの第一作として広範な注目を集め、アントン・ザイドル指揮のニューヨーク・フィルの演奏で空前の大成功を収めました。
多くのアメリカ人は、ヨーロッパの高名な作曲家であるドヴォルザークがどのような作品を発表してくれるのか多大なる興味を持って待ちかまえていました。そして、演奏された音楽は彼の期待を大きく上回るものだったのです。

それは、アメリカが期待していたアメリカの国民主義的な音楽であるだけでなく、彼らにとっては新鮮で耳新しく感じられたボヘミア的な要素がさらに大きな喜びを与えたのです。
そして、この成功は彼を音楽院の院長として招いたサーバー夫人の面目をも施すものとなり、2年契約だったアメリカ生活をさらに延長させる事につながっていくのでした。


好き勝手に料理した録音

ある意味では、バーンスタインという指揮者の本質的な部分があらわになった演奏家もしれません。
ただし、「外連味」という言葉でくくってしまうと異論があるかもしれません。
好意的に解釈すれば、その場その場における自分の感性にどこまでも正直で、たとえそれが「常識」とかけ離れていても、その感性を信じることに躊躇いを見せないという姿勢があらわになった演奏だと言えます。

あまり細かいことを書いても煩わしいだけなのですが、それでも第1楽章のとんでもない直進性には、若きバーンスタインの覇気が満ちあふれていて「これはいいぞ!!」と思わせられます。
ところが、それをうけた第2楽章のとんでもなく遅いテンポと、そのテンポで描き上げられていく曲線美を見せつけられると、それが前の楽章とどのように結びつくのか戸惑いを覚えてしまいます。
さらにはそれをうけた第3楽章の吃驚仰天の疾走を聞かされると、これはいったいどうなっているんだ?と「?」がいくつも頭の回りに明滅してしまうはずです。
そして、最終楽章に入って、漸く常識的なラインに落ち着いたかと思ったとたんに中間部で突然の急ブレーキがかかり、さらには、最後の最後で長ーーーいフェルマータがとどめを刺します。

つまりは、最初から最後まで、この作品の常識に沿うような場面は一つもなく、まさに一期一会のライブ演奏にであったような錯覚に陥るような演奏なのです。

ただし、その急激なギアチェンジからはフルトヴェングラーのように音楽の内部からわき出してくるような必然性は感じられません。有り体に言えば「恣意性」という言葉で切って捨てられそうなのですが、しかし、その「恣意性」とも思える作りの中からバーンスタインが指向する音楽が聞き取れ、そして、その音楽が十分に魅力的であることも否定できないのです。
そこからは、フルトヴェングラーでもなければトスカニーニでもなく、そしてカラヤンでもないバーンスタインの音楽があふれているのです。そして、その美質はヨーロッパの伝統から距離を置いたフリーハンドがなせる美質であったことに気づかされます。

一般的には、バーンスタインの録音は、活動の軸足をヨーロッパに置くようになった後年のものを評価するのが「常識」なのですが、私はこのような恐れを知らないニューヨークフィル時代の録音が大好きです。
そして、そう言う美質と同じ美しさを若き時代の小沢からも感じたものでした。

バーンスタインという人は、確かに20世紀を代表する指揮者であったことは事実です。
しかし、彼が残したスタジオ録音は正直言ってあまり面白くないものが多いです。その面白くない理由の最たるものは、どれもこれもお行事が良すぎるのです。
それは、巨匠となった後年の録音だけでなく、たとえば、60年代に手兵のニューヨークフィルと録音したブラームスやベートーベンなどにも当てはまります。確かに、それらはドイツ古典派とそれを継承した正統派の音楽ふさわしい立派な作りにはなっているのですが、どこか彼の本当の持ち味が発揮し切れていないもどかしさを感じてしまうのです。

その意味で言えば、この「新世界より」という「超」がつくほどの有名曲をかくも好き勝手に料理をして見せたこの録音は、若き時代のバーンスタインという指揮者の魅力を存分に味あわせてくれます。
ただし、この録音がスタンダードになることは金輪際ないことは確かです。

この演奏を評価してください。

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