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ワルター(Bruno Walter) |ベートーベン:交響曲第5番 ハ短調 作品67 「運命」
ベートーベン:交響曲第5番 ハ短調 作品67 「運命」
ブルーノ・ワルター指揮 コロンビア交響楽団 1958年1月27日&30日録音
Beethoven:交響曲第5番 ハ短調 作品67 「運命」 「第1楽章」
Beethoven:交響曲第5番 ハ短調 作品67 「運命」 「第2楽章」
Beethoven:交響曲第5番 ハ短調 作品67 「運命」 「第3楽章」
Beethoven:交響曲第5番 ハ短調 作品67 「運命」 「第4楽章」
極限まで無駄をそぎ落とした音楽
今更何も言う必要がないほどの有名な作品です。
クラシック音楽に何の興味がない人でも、この作品の冒頭を知らない人はないでしょう。
交響曲と言えば「運命」、クラシック音楽と言えば「運命」です。
この作品は第3番の交響曲「エロイカ」が完成したすぐあとに着手されています。スケッチにまでさかのぼるとエロイカの創作時期とも重なると言われます。(1803年にこの作品のスケッチと思われる物があるそうです。ちなみにエロイカは1803?4年にかけて創作されています。)
しかし、ベートーベンはこの作品の創作を一時的に中断をして第4番の交響曲を作曲しています。これには、とある伯爵未亡人との恋愛が関係していると言われています。
そして幸か不幸か、この恋愛が破局に向かう中でベートーベンはこの運命の創作活動に舞い戻ってきます。
そういう意味では、本格的に創作活動に着手されたのは1807年で、完成はその翌年ですが、全体を見渡してみると完成までにかなりの年月を要した作品だと言えます。そして、ベートーベンは決して筆の早い人ではなかったのですが、これほどまでに時間を要した作品は数えるほどです。
その理由は、この作品の特徴となっている緊密きわまる構成とその無駄のなさにあります。
エロイカと比べてみるとその違いは歴然としています。もっとも、その整理しきれない部分が渾然として存在しているところにエロイカの魅力があるのですが、運命の魅力は極限にまで整理され尽くしたところにあると言えます。
それだけに、創作には多大な苦労と時間を要したのでしょう。
それ以後の時代を眺めてみても、これほどまでに無駄の少ない作品は新ウィーン楽派と言われたベルクやウェーベルンが登場するまではちょっと思い当たりません。(多少方向性は異なるでしょうが、・・・だいぶ違うかな?)
それから、それまでの交響曲と比べると楽器が増やされている点も重要です。
その増やされた楽器は第4楽章で一気に登場して、音色においても音量においても今までにない幅の広がりをもたらして、絶大な効果をあげています。
これもまたこの作品が広く愛される一因ともなっています。
心優しき男の笑顔
心優しき男の笑顔
ワルターによるコロンビア交響楽団とのベートーベン交響曲全集は以下のような順番で行われています。一見すると、無味乾燥なだけの録音データも、こうして並べてみると色々なことがうかがえてきて面白いですね。
交響曲第8番 ヘ長調 作品93 1958年1月8、10,13&2月12日録音
交響曲第6番 ヘ長調 作品68 「田園」 1958年1月13,15,17日録音
交響曲第3番 変ホ長調 「エロイカ(英雄)」 作品55 1958年1月20,23、25日録音
交響曲第5番 ハ短調 作品67 「運命」 1958年1月27日&30日録音
交響曲第7番 イ長調 作品92 1958年2月1,3&12日録音
交響曲第4番 変ロ長調 作品60 1958年2月8日&10日録音
交響曲第1番 ハ長調 作品21 1959年1月5,6,8&9日録音
交響曲第2番 ニ長調 作品36 1959年1月5日&9日録音
交響曲第9番 ニ短調 作品125 「合唱」 1959年1月19,21,26,29&30日録音 (4楽章)1959年4月6日&15日録音
よく知られている話ですが、引退を表明していたワルターを録音現場に呼び戻すためにレコード会社は破格の条件を提示したといわれています。
その「破格の条件」はギャラだけでなく、録音の進め方に関しても色々な優遇措置があったようです。その中で最もよく知られているのが「一日のセッションは3時間以内」という条件です。
オケのメンバーと録音スタジオをおさえた上で、実際に稼働するのは3時間だけというのですから、いくら老齢のワルターの健康状態を慮ったとしても考えられないほどの優遇措置です。
そして、そういう優遇措置を知った上で上記の録音データを眺めてみると、この一連のセッションが実にゆったりとしたペースで進められたことがよく分かります。
録音は基本的に一日か二日の間隔を開けて行われていますし、その録音も一日に3時間を超えないのです。その「ゆったり度」は信じがたいほどです。
そして、面白いのは、第8番と第7番だけが、この年のベートーベン録音の最後になった第4番の録音が終わった後の2月12日にもう一度だけ録音されていることです。おそらくは、どうしても手直ししておきたい箇所があったための再録音なのでしょう。
何とも、のんびりした話です。
それから、このコンプリートの最後を飾る第9番は最初の3楽章の録音と最終楽章の録音がかなり日程が開いています。不思議だなと思って調べてみると、どうやらこの最終楽章はクレジットは「コロンビア交響楽団」となっているものの、ぞの実体はニューヨークフィルだったことが関係しているようなのです。
おそらくは、ワルターの強い要望で、「この楽章だけはニューヨークフィルを使いたい!」ということになったのでしょう。ただし、突然そんなことを言われてもオケにはオケのスケジュールがあります。結果として、ニューヨークフィルの都合がつくまでに3ヶ月ほど開いてしまった・・・という話らしいのです。
何とも、贅沢な話です。
しかしながら、そう言う「ゆったり感」と相反するのが、全体の録音の進捗ペースです。
ワルターは一つの録音が仕上がるとほとんど日をおかずして、ほいほい・・・という感じで次の録音へと移っています。そのペースは一つの録音を仕上げていたときと全く同ペースであり、何の躊躇いもなく次の作品の録音へと移行しています。
率直に言って、安直と言えばこれほど安直な録音の進め方はありません。
しかし、そう言う安直さの原因は、この一連の録音を聞いてみればその理由はすぐに了解できます。
この録音におけるワルターは、明らかに、今まで自分が演奏してきたベートーベンの交響曲を、もう一度恵まれた環境の中で、そしておそらくは自分の楽しみということも否定しない心構えのもとで演奏しています。結果として、言葉の正確性が欠けるかもしれませんが、ワルターの持っている「モーツァルト的本能」が「素」のままに発揮された音楽になっています。音楽は基本的に気持ちよく、そして実に大らかに横へ横へと流れていきます。
その大らかさが、作品によってはあまりにも緩いと思わざるを得ないことも事実です。
しかしながら、それがツボにはまるような音楽だと、他では聞けないような魅力にふれることができるのも事実です。
その一番良い例が、おそらくは第2番の第2楽章でしょう。この音楽をこんな風に歌わせる事ができる指揮者は悲しいかな、今や絶滅してしまいました。
同じように、第9の「Adagio molto e cantabile」、4番の「Adagio 」そして、「田園」!!のように、ベートーベンの「歌」が前面に出た部分ではワルター以外では聞くことのできない世界が堪能できます。
しかしながら、これは私の偏見かもしれませんが、音楽を煉瓦を積み上げるように構築するのと、聞き心地がいいように横へと流していくのでは、おそらく手間がかかるのは前者の方でしょう。前者のやり方で聞き手を納得させるには、それこそ見事な建築物を作り上げないといけません。
そして、そのような立派な構築物を仕上げようとすれば、地味でしんどい作業が連続します。そして、そう言うしんどい仕事を積み上げていったとしても、途中でヘボがいれば一瞬にして建物が崩壊することだってあります。
そう言う意味では、指揮者にとってもオケにとっても骨の折れる仕事です。
そして、ヨーロッパからアメリカに亡命したワルターも、そう言う骨の折れる仕事を通してアメリカでも巨匠と呼ばれるようになったのです。
しかしながら、このコロンビア響との仕事では、そう言う骨の折れるしんどい仕事は一切していないようです。
話は少しばかり横道にそれますが、そう言う骨の折れる仕事を最後の最後までやり遂げた男がクレンペラーでした。こういうワルターの緩めの演奏を聴かされると、あらためてクレンペラーという男は異形の天才であったことを思いしらされます。
と言うことで、トータルとして見れば、ベートーベンの交響曲を聞きたいと思ったときに、おそらくはファーストチョイスにはならいでしょうし、もしかしたらセカンドチョイスにもならないかもしれません。
そのことは否定しません。
しかし、色々なベートーベンの録音を聞きあさった後にここに帰ってくれば、戦争の世紀であった20世紀を必死の思いで生き抜いた心優しき男の笑顔にふれることができて、しばし心癒され、そしてほんのちょっぴりの勇気をもらえるような音楽あることも事実です。
やはり今もって、忘れ去ってしまうにはあまりにも惜しいと言わざるを得ない録音です。
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よせられたコメント 2014-07-27:原 響平 よりよい演奏を求めてCDを買いあさるが、自分が納得する演奏には、なかなか出会えない。これは、幸せを求めて青い鳥を探すようなもの。探しても探しても、自分の納得する演奏に出会えない。ないものねだりの悲しい性が、クラシック音楽愛好家の根底に流れている悪い癖なのか。さて、このワルターの運命を久々に聴いてみた。
音色の構成は、弦楽器の低音をベースに木管、金管、打楽器がリアルに再現され、当時の録音の技術の高さと相まって、これは名演の誉れ高い演奏というのも十分にうなずける。特に第一楽章のコーダ部分は圧倒的な迫力で、聴くものを圧倒する。この演奏以降の録音で注目できるのは、セルとライナーの演奏ぐらいで、1960年台以降に録音された、運命の録音は、どれも感動とはかけ離れたところに位置し、聴くものに気持ちよさは与えるが感動を与えない。とても芸樹とは言い難い演奏ばかりで、まるで、時間が止まったかのようだ。