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アンケートのアーカイブ|誰の指揮でききたいですか?(ブラームス:交響曲第4番)
アンケートの結果と考察(--;のようなもの・・・
ブラームス:交響曲第4番(第5位)
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投票総数: 609
正直言ってこの結果には驚かされました。まさかフルトヴェングラーがトップになろうとは!!
そして、ワルターの地盤沈下にも大きな驚きを感じさせられました。一昔前ならば、ブラ4と田園に関してはワルターは決定的存在でした。時の流れとともに「神通力」も薄れてきたということなのでしょうか。
もちろん、熱いコメントは寄せられていますが・・・。
「一押しはワルターです。コロンビア交響楽団で録音されたブラームスのシンフォニーでは、4番が一番しっくりきます。2番など、他の録音では気になる薄いオケの響きさえ、4番の録音では利点と聴こえてしまう程です。次点はバルビローリ。古色蒼然としたあの響きを初めて聴いたとき、薄ら寒い四畳半の下宿で、後輩と2人、思わず居住いを正してしまったことを昨日のように思い出します。あれから、20年以上経ってしまいました・・・」
その事を思うとフルトヴェングラーの「不滅性」は「化け物」です。正直に言って、フルトヴェングラーのブラ4は必ずしも成功しているとは思いません。おそらく、その事はフルトヴェングラーに投票された方も十分に承知していると思います。それでもなお、彼の演奏には人の魂を惹きつける「何か」が存在するということなのでしょう。
「大学の時代に、フルトヴェングラー、ベルリン・フィルによるBrahms:交響曲第4番 (1943)を聞いたときの共感と驚きは今でも忘れられません。第2次大戦末期のドイツ民衆の魂の「悲哀」の叫びがそのまま聞こえてくるような演奏だったからです。本当の音楽とは、そのまま人の生活につながるという自分なりの音楽観を十分に味あわせてくれた類まれな演奏でした。今のところ、自分にとってこれを上回る演奏はありません。」
「怨念のような何かがこもったフルトヴェングラーの演奏に強く惹かれます。45年ブラ2と同様圧倒されますね。」
この二つのコメントはそのあたりの心情がもっとも適切に語られたものだといえるでしょう。
専門家の間ではこのような聴き方は「文学的」にすぎるとして批判的な立場をとる人が多いようです。しかし、クラシック音楽を心の底から愛し、人生の長きにわたって聞き続けてきた「専門家ではない人々」の中では疑いもなく多数派です。
専門家が音楽を文学的に受容することに否定的であったが故に、演奏家もまた音楽を文学的に再現することを躊躇いがちであったように見えます。もちろん、その事を全面的に否定する気はないのですが、その結果として聞き手と演奏家の間に深刻な亀裂が生まれてしまったようです。そして、その亀裂はピリオド演奏というムーブメントの中で回復不可能なまでに拡大したように私には見えます。
この亀裂を埋めてくれる存在として、言葉をかえれば、現在のクラシック音楽演奏では満たされない不満を満たしてくれる存在としてフルトヴェングラーが評価されているのかもしれません。
クライバーに対する高い評価も、この亀裂を埋めてくれる数少ない「現在の演奏家」だったからでしょう。フルトヴェングラーだと、時には恣意的だと思えるような造形上の歪みもありませんから、その意味では彼をベストに推す人が多いことは納得できます。
しかし、私が最初に「フルトヴェングラーのブラ4は必ずしも成功しているとは思いません」と述べたように、そのような演奏スタイルに違和感を覚える人が多いことも事実です。
「第4の演奏としてはフルトヴェングラーもクライバーもいいのですが、わたしが晩年のブラームスに期待する「枯れた感じ」が足りないのです。あんまり立派に鳴らされても、なんだかしっくり来ないのです。粘りに粘ったテンポで、しかし遅すぎることなく演奏して欲しいわけです。その「渋さ」を表現できているのは、わたしの知る限りザンデルリングしかいません。」
このコメントはそのあたりの「違和感」をもっとも適切に表現したものだと思います。
実はセルに64票も入ったのももう一つの驚きだったのですが(ブラ4はセルのブラームス演奏の中ではあまり目立たない存在です)、ここにも「端正な造形」を求める声が反映しているのかもしれません。
「恐らく、誰も入れないと思いますが、ショルティです。シカゴ響との演奏には力みもケレン味も感じられません。ですから、聞いたときの衝撃もなければ、生涯のターニングポイントになるようなことも起こりませんけれど、数十年聞き続けています。クライバーやフルトヴェングラー、ワルター、様々な演奏との出会いの中においても、いつも心を落ちつかせてくれる、私にとってたった一つの演奏であり、なによりの秘密でもありました。ショルティとブラームス、しかも4番って、評論家の批評だったら、聞く前にまずミスマッチだと言い切るでしょうから。だから、秘密にしてください。」
「その他でオイゲン・ヨッフムに一票。彼のブラームスも端正で非常に良かった!!」
これらのコメントも同一線上にあるものだと思います。
<その他の主なコメント>
「クライバーの凄さやワルターのロマンティシズムを評価しながらも、儚いガラス細工を思わせるようなチェリの造形が心に残ります。」
「現在持っているCD は、ベーム&ウィーンフィルを選びましたが、ほとんど聴くことはありません。10代の頃に繰り返し聴いたカラヤン&ベルリンフィルに完全に洗脳されていて、今も頭の中で自然に再生されてしまいます。ブラームスのドイツ的な完全主義、抑圧される感じはカラヤンがピッタリだと思います。」
「Brahmsは自らにアプローチせんとする指揮者を容易には寄せ付けない鬼門を多々仕掛けているのか、四つの交響曲中白眉の名演はベイヌムのNO.1のみと確信を以って断言します。NO.4についてはフルトヴェングラーを敢えて推薦しますが終楽章に難点があるのでは?」
「おそらく誰も入れないと思うので、ストコフスキィ。最晩年の録音を聴いたときの衝撃は忘れません(特に1楽章の最後)。そして知りました「・・・この人は本気だったんだ・・・」と」
「この曲はフルトヴェングラーしかないでしょう。特にあの峻厳たるパッサカーリアに敵うものなどどこにもいません!!」
「イシュトヴァン・ケルテスに一票です。初めて四番を聴いたのがこの人で、それ以来数々の指揮者のブラームス全集を聴いてきましたが、これほどの感動はいまだ得られていません(純青春期に聴いたからかも知れませんが)ウィーン・フィルとの相性もすばらしいと思います」
「1943年のフルトヴェングラー、千円盤で始めて聴いた時、最初の音が舞台で鳴る「析」のように聞こえ、それに続く音楽の目くるめく展開に引き込まれ、最後まで聴いたことが今も蘇ります。ただ、後に買ったCDからはリマスターで音が良くなっているにもかかわらず、それ故にかこの「析」の音を聞く事は出来ませんでした。」
「曲そのものが大好きなので「絶対にこの人でなければ」というのはないのですが、聴き終わった後、もう一度はじめから聴き直したいなと思えるという点でクライバー盤を。なかなかこう思えるのは少なくて、個人的には他にシノーポリがVPOを振ったシューマンの2番くらいかなぁ?」
さて次回はブラームスの1番です。
今回の結果をふまえると次回もフルトヴェングラーで決まりでしょうか?これに迫るとなると、ミンシュかベームあたりなのでしょうが、両人ともに最近は地盤沈下が激しいので苦しい闘いは避けられませんね。
それとセル!!どこまで食い込んでくれるのかちょっと楽しみです。