Home|
アンケートのアーカイブ|お好きな交響曲は?(番外編)
アンケートの結果と考察(--;のようなもの・・・
お好きな交響曲は?(番外編)
|
132 |
|
131 |
|
86 |
|
58 |
|
50 |
|
38 |
|
30 |
|
27 |
|
27 |
|
19 |
|
18 |
|
17 |
|
17 |
|
13 |
|
11 |
|
10 |
|
9 |
|
8 |
|
|
|
投票総数: 701
最後の最後で、まさに鼻の差でト短調シンフォニーがジュピターをかわしてしまいました。ジュピターにしてみれば、最初から順調にトップを走り、その差を詰められることもなく最後の直線まで走ってきただけに、まさに信じられないような逆転劇だったことでしょう。
実は、31日に最後のダブリ票チェックしようと思ってサイトにアクセスしてみるとこの両者が同数で並んでいました。さらに、ダブリ票のチェックをしてみると両者ともに新たなダブリが2票ずつだったので、その時点で掛け値なしに両者が同数で並んでいることが分かりました。
そうなのです、この時点で、交響曲対決史上(f^^) ボリボリ、最大のデッドヒートになっていたのです。
そこで、管理人の私情が入らないように、公平を期するために投票を開始してからきっかり一ヶ月が経過した時点で締め切ることにしました。投票を実際に開始したのは大晦日の10頃でしたから、その時点で残る時間はちょうど1時間ということになりました。もし、その1時間で票数に変動がなければ、両方を同着一位ということで決勝戦にエントリーするしかないな・・・などと思っていました。(なにしろ、投票を締め切ると同時に決勝戦の投票を始めなければいけませんから)
そして、時計を気にしつつ、きっかり1時間後に確認するとなんとト短調シンフォニーに1票が投じられていたのです。そして、最後にダブリのチェックして、それが正当な1票であることを確認して投票を締め切り、ト短調シンフォニーの奇跡の逆転劇が確定しました。
まさに、管理人のユング君にだけ分かるスリリングな幕切れでした。最後の最後にどなたがト短調シンフォニーに投票されたのかは存じませんが実に大きな意味を持った1票でした。
しかし、落ち着いて考えてみれば、小林秀雄の「モーツァルト」が書かれてからは、40番のト短調シンフォニーはモーツァルトの「テーマソング」みたいなものでした。ジュピターの清明さよりはト短調の憂愁の方がモーツァルトを代表するには相応しいということなのでしょう。
さて、モーツァルトの作品はこれ以外にもミニト短調の25番と38番「プラハ」がともに50票を超える票を獲得して4位、5位に入りました。結果として、マーラーの大地の歌だけが80票をこえる票を獲得して気を吐きましたが、全体としてみればモーツァルトの圧勝という結果になりました。
個人的には、この対決を通してショスタコーヴィチの作品をじっくり聞き直すということが「いい経験」となりました。もちろん、今までも一通りは聞いてはいたのですが、今回このような企画を始めたことで日頃それほど聞き込んでいるわけではない作品をじっくり聞き直すきっかけを自分に与えることができました。そして、そのおかげで、自分の中で「ショスタコーヴィッチ」を再発見することができました。
今回の番外編でも、また1番から9番までの対決においても熱烈なオマージュは寄せられましたが、大衆的な支持は得られませんでした。そして、その事は彼の作品を改めて聞き直してみて実に納得のいく結果でもありました。
思い切った発言を許してもらえるならば、もしもベートーベンが20世紀に生きていたならば、あのような作品を書くしかなかっただろうと思います。この二人に共通するのは、時代の抱える課題に真正面から挑んだということです。そして、二人の違いはそのまま時代の違いとしてあらわれているように思えます。市民革命が時代を近世から近代へと切り開き、そこで掲げられた理想が未だにリアリティを持って感じ取れた18世紀から19世紀にかけての時代を生きたベートーベンと、戦争と革命、いや、もっと有り体に言えば大量虐殺と「正義」の名による不正義が横行する中で、「理想」という言葉が詐欺師の甘言と同レベルのものにまで落ちてしまった時代に生きなければいけなかったショスタコーヴィッチの違いです。
そのような時代においてショスタコーヴィッチが人間的良心を失わずに作品を書き続けようとすれば、その作品は苦く、苦く、苦くなるしかないのは理の当然です。
しかし、そこで展開される音楽の何という密度の濃さ!!
ユング君はもう一人の20世紀の偉大なシンフォニスト、シベリウスも大好きなのですが、彼の晩年の作品でさえ、ショスタコーヴィッチの作品と比べれば隙間だらけに思えてしまうほどです。
しかし、そのような作品を多くの人は「楽しみ」や「慰め」のために日常的に聴く音楽として好まないのもまた当然のことでしょう。
もしかしたら、20世紀を代表する音楽家は二人だけなのかもしれません。
ショスタコーヴィッチとバルトーク。
<いただいたコメントから>
「ジュピター、特に2楽章が好きです。天国へ昇るときこの曲が流れそうな気がします。」
「選択肢の作品をすべて知っているわけではありませんが、モーツァルトのジュピターはモーツァルトの最高傑作であるばかりか、古今の交響曲の中で屈指の名曲であると思っています。ジュピターという名称は誰がつけたかわかりませんが、この規模の大きさにふさわしいと思います。チェロとコントラバスが完全に分離した最後のフーガに突入すると、自然に涙が出てきます。」
「ここに出てるモーツァルトの交響曲は全て好きです。39番が無いのが少し悔やまれますがここは41番ジュピターに入れさせてもらいました。第1楽章の繰り返しの壮大さや第4楽章の圧倒的な大きさには感動しました。」
「モーツァルトの38番には、シューリヒト指揮の素晴らしい演奏があって、それが頭から離れません。ワルターの40番(ウィーンフィル)も素晴らしいのですが、それを上回る、天上を駆け抜けるような演奏、そして曲。」
「このリストの中からたった1曲を選ぶのは難しいののですが、天翔ける終楽章を持つということで「ジュピター」にしました。」
「この一連の交響曲アンケートはすべてに投票したわけではないのですが、モーツァルトが大好きな私は「やっとモーツァルトに投票できる!!!」との思いで、モーツァルトはすべて投票してしまいました。それと、チャイコフスキーのマンフレッド交響曲と大地の歌。前者はオーマンディの録音を聞き好きになった曲です。」
やはり、モーツァルト強し!!
「途中経過を見て、モーツァルトの独走ぶりに、ああ、やっぱり、と思わざるを得ません。
ハイドン好きの私としては、いささか悲しいのですが、秀才は奇才にはかなわないのかと、どこかで納得してしまうのも事実です。
それでも、ハイドンの交響曲は素晴らしいと私は思います。
「ロンドン」の成熟した輝き、「驚愕」のユーモアさ。どれも、ハイドンの人格者としての深みを感じさせます。
あえて、悲しみを、絶望を、表現しない。快活で、親しみやすい。そんなハイドンに、私は票をいれたいと思います。」
「ハイドンの太鼓連打がないので、ロンドンに一票。ハイドンは、曲数が多いので、一度、ハイドン特集などやって頂きたいです。
狩り、うすばか、告別、雌鳥、熊……etc.とたくさんいい曲があるので。」
「ベルリオーズのハロルドに投票させてもらいました。ベルリオーズというと幻想交響曲や序曲「ローマの謝肉祭」などが人気で有名ですが、ハロルドは隠れた名曲だとおもいます。なんといってもヴィオラのソロがとてもきれいで、とてもベルリオーズが何の楽器も演奏できないとはおもえないぐらいです。協奏曲としてもおかしくないと思います。ベルリオーズの他の交響曲もきいてみたいです。例えばやたら編成がでかい曲とか・・・。」
「「マンフレッド交響曲」に投票しました。やたらマイナーで交響曲全集などの類にも仲間はずれされることのある不遇な曲ですが、ただ何も考えずにスペクタクルな気分を味わいたかったらこれ以上の曲はないと思います。多分。」
「さすが番外編、そうそうたるメンバーのナンバーが並んでいますね。モーツァルトとマーラーが人気なのはいかにもといった感じです。
しかし声楽入りが「大地の歌」を除いて見事に不人気なのが残念。というわけで今回はバービ・ヤールを推しましょう。「大地の歌」から甘さと色気を取り除いたような曲想。暗く重い中にも一種のユーモアと鋭い皮肉が光る名曲だと思います。
大地の歌も大好きです。全楽章が素晴らしいのでついつい最後まで聴き入ってしまいます。」
最後に・・・。
「今回は皆大好きモーツァルト!といった感じですね。彼に続く作曲家二名がモーツァルト愛好家というのも面白いと思います。
とりあえず王道としてマーラーの「大地の歌」を挙げましょう。声楽曲が劣勢な状況でこの健闘ぶり。しみじみとした悲哀が心の琴線に触れるのでしょうか。
今年が記念年のショスタコーヴィチにも頑張って欲しいところ。ガリーナ自伝でヴィシネフスカヤが愛情込めて言及しているバビ・ヤールと死者の歌がいいです。そう頻繁に聴ける曲ではありませんが…」
そう、「頻繁に聴ける曲ではありませんが…」、本当に素晴らしい・・・。