モーツァルト:ピアノソナタ第16番 ロ長調 K 570
(P)ペルルミュテール 1956年録音
Mozart:ピアノソナタ第16番 ロ長調 K 570 「第1楽章」
Mozart:ピアノソナタ第16番 ロ長調 K 570 「第2楽章」
Mozart:ピアノソナタ第16番 ロ長調 K 570 「第3楽章」
最後の4つのソナタ
モーツァルトが残した最後の4曲はそれぞれが独自の世界を形作っていて、何らかのグループにまとめることは不可能なようです。
ウィーンでの成功ははかなく消え去ろうとしていました。
生活の困窮によって家賃の高い家に住むことが難しくなったモーツァルト夫妻は頻繁に転居を繰り返すようになります。そして、フリーメーソンの友人であった裕福な商人、ミヒャエル・ブラベルグに泣きたくなるような借金の手紙を何通もしたためるようになります。
この時期にモーツァルトは3つのピアノ曲を書いています。
一つはピアノのためのアレグロとアンダンテK533で、これに旧作のロンドヘ長調K494をくっつけてピアノソナタに仕立て上げ、ホフマイスターから出版しています。言うまでもなく生活のために売り飛ばすのが目的でしたが、晩年のモーツァルトを代表するすぐれたピアノ曲に仕上がっています。
第1楽章は将来のジュピターシンフォニーにつながっていくような対位法の世界です。しかし、注目すべきは第2楽章に現れる強烈な不協和音です。まるで一瞬地獄の底をのぞき込むような音楽は、隣り合って作曲されたK540アダージョにも共通する特徴です。
このアダージョの方はどのような経緯で作曲されたのかは全く分かっていませんが、これこそは救いがたい悲劇性に貫かれた音楽となっています。アインシュタインはこのピアノのためのソロ音楽を「モーツァルトがかつて作曲したものうちでもっとも完璧で、感覚的で、もっとも慰めのないものの一つである。」と述べています。
そしてもう一つのピアノソナタ、K545はそれほど技量の優れない弟子たちのために書かれた音楽で、ピアノの前に縛り付けられた子どもたちがおそらくは200年以上にもわたって嫌々演奏してきた作品です。
しかし、この音楽にはモーツァルトのもっとも最上のものが詰め込まれています。極限にまでそぎ落とされながらもその音楽はモーツァルトらしいふくよかさを失なわず、光が飛び跳ねるような第1楽章から深い情感の込められた第2楽章、そして後期ロマン派のピアノ音楽を予想させるような第3楽章まで、いっさいの無駄をそぎ落として組み上げられたその音楽は一つの奇跡とも言えます。
そして、最後の二つのソナタです。
内田光子は1789年に作曲されたこの二つのソナタのことを「K457/K475のピアノの可能性を駆使しきった曲を忘れたかのごとくチェンバロの世界に戻る」と語っています。
モーツァルトはこの年に自らの苦境を脱するためにプロイセン王家を訪ねて就職の可能性を探ります。その旅の途中にライプティッヒを訪れてバッハの音楽に改めて大きな影響を受けています。
K570のソナタは「初心者のための小ソナタ」と題されているように技量に優れない弟子のために書かれたソナタと思われますが、対位法の産物とも言えるこの作品は左手で軽やかに伴奏をつけながら右手で歌わせるというのは決して易しくはありません。
これに続く、プロイセン王女のために書かれた最後のピアノソナタK576は易しいピアノソナタという注文にも関わらず、全く易しくない、それどころか彼のピアノソナタの中ではもっとも難しいだろうと思われる作品に仕上がっています。
アインシュタインは「フィナーレではプロイセンの王女のことは全く考えていない。・・・アダージョの深い憧れと慰めの中でも王女は考えていない」と述べ、この作品を「偉大な先駆者大バッハへの感謝としての創造物である」と断じています。
今の私には荷が重過ぎる
1956年はモーツァルトの生誕200年に湧いた年で、この年に向けて多くのレコード会社が意欲的な録音を企画し実行に移していきました。例えば、デッカは総力を挙げてこの年に照準を合わせて4大オペラの録音に取り組みました。EMIは1953年にはギーゼキングが世界初のピアノソナタのコンプリートを完成させています。そんな中の一つにこのペルルミュテールによるピアノソナタのコンプリートがありました。
ペルルミュテールはラヴェルの高弟と言うことで、基本的には「ラヴェル弾き」と思われているのですが、このコンプリートの依頼を受けてから積極的にモーツァルトを取り上げるようになっています。もちろん、モーツァルトの録音はこれが最初だと思うのですが、それまでもコンサートではよく取り上げていたようです。しかし、録音という形でモーツァルトと正対するようになってからは、次のように語っています。
「これまでモーツァルトは数多く弾いてきた。だけど今の私には荷が重過ぎる。」
いささか出来すぎた言葉だとは思うのですが、しかし、このコンプリートの録音を聞くと、なるほどな!と思わせられる部分があることも事実です。
とにかくこの演奏は「謙虚」です。
これほどまでも、演奏者の「我」が前面に出ない演奏は珍しいのではないでしょうか。とにかく、つまらないルパートや装飾というものが一切ないので、モーツァルトの音楽が実にクリアに、明晰に浮かび上がってきます。演奏者が「まあ、こんなモンだろう!」という感じで適当に弾きとばしている部分が全くない演奏で、細部の細かい音の動きの一つ一つまでもが確信を持って再現されていきます。その事が結果として、モーツァルト作品の持つ光と影の微妙な交錯が鮮やかなまでに浮かび上がらせてくれます。
なるほど、こういうごまかしのきかない音楽作りでモーツァルトと向き合えば、荷が重すぎると感じるのは当然のことだと納得させられた次第です。
パッと聞いただけでは何の変哲もないありきたりのモーツァルトに聞こえるかもしれませんが、この「変哲もないモーツァルト」を成り立たせるためには、その下部構造においてどれだけの労力がつぎ込まれている事かと呆然とさせられます。
そういう意味では、この演奏は基本的には50年代を席巻した新即物主義の流れの中にあるギーゼキングの業績と同じベクトルを持っています。
しかし、同じベクトルとはいってもギーゼキングにはないものをペルルミュテールは持っています。それが、音色のヨロコビであり、それこそがこの演奏の最大の魅力となっているように思えます。
ユング君はかつてギーゼキングの演奏の歴史的価値を認めながらも「今日の贅沢な耳からすればもう少し愛想というか、ふくよかな華やぎというか、そういう感覚的な楽しみが少しはあってもいいのではないかと思う側面があることも事実です。」と書いたことがあります。この二人、ギーゼキングとペルルミュテールは、モーツァルトに真摯に仕えるというスタンスは同じですが、ペルルミューテルにあってギーゼキングにないのはこの「ふくよかな華やぎ」です。
確かに、ギーゼキングの透明感に満ちた音色も素晴らしいものですが、それがモーツァルトに最適なものか?と聞かれれば疑問なしとは言えません。それに対して、このペルルミュテールの音色にはモーツァルトに相応しい何とも言えないふくよかな華やぎがあります。おそらく、そのかなりの部分がプレイエルのピアノが貢献しているでしょうし、残りの部分をラヴェルが絶賛した繊細に音色を紡ぎ出す彼のタッチが貢献しているのでしょう。
誰かが、この演奏のことを、ピアノ好きにとっては「マタタビ」のような魅力があると語っていました。一度はまってしまえば、これ以外は受け入れられないと思わせるような「魔力」を持った演奏です。
そのためか、この録音は中古市場では天文学的な価格で取引されていました。(聞くところによると、6枚セットのLP全集が100万円!!)
まさに、「マタタビ」のなせる技です。
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