レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ:ロンドン交響曲(A London Symphony、交響曲第2番)
サー・ジョン・バルビローリ指揮 ハレ管弦楽団 1957年12月28日~29日録音
Vaughan Williams:A London Symphony (Symphony No.2) [1.Lento - Allegro resoluto]
Vaughan Williams:A London Symphony (Symphony No.2) [2.Lento]
Vaughan Williams:A London Symphony (Symphony No.2) [3. Scherzo (Nocturne)]
Vaughan Williams:A London Symphony (Symphony No.2) [4.Finale: Andante con moto - Maestoso alla marcia - Lento - Epilogue]
隠れたシンフォニスト
レイフ・ヴォーン・ウィリアムズは1872年10月12日に生まれ、1958年8月26日に没したイギリスの作曲家です。何故に、こんな分かり切ったことを最初に確認したのかというと、こういう経歴だと、一般的には著作権が切れていないので、パブリック・ドメイ扱うこのサイトでは「無縁」の存在となるはずなのです。
今さらながらの再確認ですが、日本国内では著作権は創作者の死後50年が経過した翌年の1月1日をもって消滅します。しかし、第2次大戦の敗戦国である日本はペナルティとしての敗戦国条項が連合国に属する国の創作者に対しては適用されるので、そこからさらに10年あまりの保護期間が加算されます。
つまり、1958年に没したレイフ・ヴォーン・ウィリアムズは一般的には2009年の1月1日をもって著作権が切れるのですが、イギリスの作曲家なのでそこからさらに10年有余の保護快感が加算されて2020年になるまではパブリックドメインとならないのです。
ところが、どういう訳か、レイフ・ヴォーン・ウィリアムズに関してはこの敗戦国条項が適用されずに、2009年を持って彼の全著作は全てパブリックドメインとなっているのです。
どういう経緯があったのかは分かりません。そして、あれこれ調べてみてもよく分からなかったのですが、JASRCの作品データベースで確認してみても間違いなくパブリックドメインとなっています。
このような話題にはなんの興味もないというのが一般的でしょうが(^^;、詳しくは以下のページを参照にしてください。
ヴォーン・ウィリアムズの作品がパブリックドメインとなっているようです。
何故にこういう事を前書きしたのかというと、必ず鬼の首でも取ったかのように著作権違反を報告してくれる方が少なからずいるのです。そう言うメールに個別に返事をするのも面倒なので、一言書き添えた次第です。
レイフ・ヴォーン・ウィリアムズは20世紀に活動した作曲家としては珍しく、9曲も交響曲を残しています。
交響曲という形式はハイドン、モーツァルト、ベートーベンという系譜の中で「クラシック音楽の王道」となりました。そして、その王道はロマン派の時代を通過する中で多様性を持つようになり、その多様性は複雑化と巨大化の果てに砕け散ってしまいました。その砕け散る波頭の先に存在したのがマーラーであったことに異論はないと思うのですが、それでも、その先の時代においてもこの形式で音楽を書き続けた作曲家がいました。
しかし、そうやって生み出される交響曲は、既にクラシック音楽における「王道」の地位は失っていました。その事は作曲者自身も十分に意識していたのでしょうが、それでもなお、この形式で音楽を書き続ける人が存在し、その代表的な一人がレイフ・ヴォーン・ウィリアムズだったのです。
彼は事あるごとにシベリウスに対する尊敬の念を述べていますから、彼の交響曲への傾倒はシベリウスからの影響が大きかったのでしょう。
シベリウスはその生涯で7曲の交響曲を残していますが、その創作期間は1899年(交響曲第1番)から1924年(交響曲第7番)までの25年間です。
それに対して、レイフ・ヴォーン・ウィリアムズの交響曲の創作期間は1910年(海の交響曲)から1957年(交響曲第9番)までにわたっています。初期の標題付きの3つの交響曲はシベリスの活動時期と重なりますが、残りの6つの交響曲はシベリウスの空白期間の中で作曲されていて、1956年にシベリウスが長い空白期間の後にこの世を去ると、レイフ・ヴォーン・ウィリアムズもまたその後を追うように1958年にこの世を去ります。
彼が残した9つの交響曲とは以下の通りです。
- 1903年~1910年:海の交響曲(A Sea Symphony、交響曲第1番) 管弦楽、ソプラノ、バリトン、合唱
- 1912年~1913年:ロンドン交響曲(A London Symphony、交響曲第2番)
- 1918年~1921年:田園交響曲(A Pastral Symphony、交響曲第3番) 管弦楽、ソプラノ
- 1931年~1934年:交響曲第4番ヘ短調(Symphony No.4 in F minor)
- 1938年~1943年:交響曲第5番ニ長調(Symphony No.5 in D major)
- 1944年~1947年:交響曲第6番ホ短調(Symphony No.6 in E minor)
- 1949年~1951年(?):南極交響曲(Sinfonia Antartica、交響曲第7番) 管弦楽、ソプラノ、合唱
- 1953年~1955年:交響曲第8番ニ短調(Symphony No.8 in D minor)
- 1956年~1957年:交響曲第9番ホ短調(Symphony No.9 in E minor)
彼が作曲家としての成功を勝ち取ったのは「トマス・タリスの主題による幻想曲」と「海の交響曲」によってでした。そして、その成功は「ロンドン交響曲」によってより確かなものとなります。ですから、彼の作曲家としての全ての活動時期を通じて交響曲を書き続けていたことが分かります。そして、その創作活動も十分に時間をとって、様々な新しい試みが為されていました。
レイフ・ヴォーン・ウィリアムズと言えば、20世紀の作曲家としては珍しく穏やかで美しい旋律ラインを持った音楽を書いた人というイメージがあります。初期の標題付きの3つの交響曲はその様なイメージにピッタリの音楽です。
しかし、そう言う世界とは全く違う、暴力的なまでの不協和音に彩られた音楽も書いていたことは、演奏機会が少ないこともあって、あまり広くは知られていません。その典型が第4番と第6番の交響曲なのですが、とりわけ第4番の交響曲の初演の時には、予想を全く裏切られた聴衆はどのように反応すればいいのか大いに戸惑ったと伝えられています。
また、第2次大戦後に発表された第6番の暗鬱にして不気味な音楽は「核戦争後の世界」をえがいたと評されました。(作曲家自身はその様な見方は否定しています。)
しかし、その様な不協和音が炸裂する作品の間で作曲された第5番では、その様な暴力手な世界は影を潜めて彼らしい穏やかな世界が展開したりするのです。
そして、戦後の最晩年の時代に入っても彼の創作力は衰えることなく次々と交響曲を生み出していきます。
イギリス映画「南極のスコット」のために依頼された音楽をベースにして再構成された「難曲交響曲」では、フタタに「海の交響曲」の時のように交響曲という形式から離れて自由に南極の情景とそれに立ち向かう人間の姿を描き出していきます。
ところが、続く第8番では一転して古典的な佇まいを見せる作風に回帰し、最後の第9番では、どこか暗鬱でありながらも神秘的な雰囲気が漂う音楽になっていて、その初演の半年後に彼はこの世を去ります。
第9番の初演の半年後にこの世を去ったとなると、これもまた「第9の呪いか!」となるのですが、その時レイフ・ヴォーン・ウィリアムズは御年86歳なので、それまで「呪い」にするのはさすがに無理はあるでしょう。
ただ、残念なのは、このように多様性のある世界を「交響曲」という形式で次々と生み出していったのにも関わらず、その認知度はこの国では非常に低いと言うことです。同時代のイギリスの作曲家としてはホルストが日本では有名なのですが(あの、木星の度演歌が日本人の感性にピッタリ)、本国ではその二人は較べようもなく、その評価はエルガーとも肩を並べるとのことです。
おそらくは、作曲家自身の意向だったのか、遺族の意向だったのかは分かりませんが、彼は日本に対して敗戦国条項を適用することを拒否してくれました。ならば、その好意に酬いるためにも、彼の作品を紹介するのがこのようなサイトの責務だと言えるでしょう。
ロンドン交響曲(A London Symphony、交響曲第2番)
この作品についてヴォーン=ウィリアムスは次のように述べているそうです。
「この交響曲の題名は描写的な作品と受け取られるkもしれないが、それは作曲者の意図するところではない。むしろ『ロンドンっ子による交響曲』とした方がより適切であろう。ロンドンの生活が作曲者に音楽的な表現を試みさせるに至ったとしても、曲は絶対音楽として自立すべきである。喩え聞き手がビッグ・ベンのウェストミンスター・チャイムとかラヴェンダー売りの呼び声に気づいたとしても、それらは偶発的なものにすぎず、音楽の本質ではない」
色々突っ込みたくなる人も多いでしょうね。(--;
- Lento - allegro risoluto
- Lento
- Scherzo (Nocturne) Allegro vivace
- Finale: Andante con moto - maestoso alla marcia (quasi lento) - allegro - maestoso alla marcia - Epilogue: Andante sostenuto
イギリス訛りがバルビローリの一つの本性となっている
イギリスという国には不思議な愛国心があるようです。
思い出すのは、イギリスのグラモフォン誌が世紀末に20世紀を代表する指揮者を読者対象のアンケート調査で決めたところ、フルトヴェングラーをおさえて第1位になったのはバルビローリでした。おそらく、こんな結果が出るのはイギリスだけでしょう。
しかし、もう一つこの時思い出したのは、イギリスの指揮者はイギリスの作曲家を大いに支援すると言うことです。その典型はビーチャムとディーリアス、ボールトとヴォーン・ウィリアムズでしょうか。
そう考えてみると、バルビローリも当然の事ながらイギリスの作曲家の作品を多く録音していますが、特定の誰かを強く推すという態度は取っていません。
しかし、彼の演奏するヴォーン・ウィリアムスを聞いていてふと気づいたことがあります。
それは、彼のヴォーン・ウィリアムスにはボールトのようなスコットランドの原野を吹きすさぶ風のような厳しさはありませんし、スタインバーグのようなスコアに託された響きを完璧なバランスで再現する事も目指していません。当然の事ながらオーマンディのような甘さとも少し違います。そして、これってなんだろうと考えて思いついたのは、イングランドが持っているローカリティです。
そう言えば、ヴォーン・ウィリアムズは熱心にイギリスの各地方に根付いていた民謡やキャロルを集めてまわった人でした。もちろん、彼の作品にはそのような民謡が剥き出しのままで登場することはないのですが、バルビローリの演奏で彼の作品を聞くと、その作品が持っているイングランド訛りのようなものが感じられるのです。
そして、それは「グリーンスリーヴスによる幻想曲」のような小品だとより強く感じられるのですが、彼が残した幾つかの交響曲の録音でもそう言う特徴が根底に横たわっているように思えます。ヴォーン・ウィリアムズの交響曲と言えばボールトが定番なのですが、例えば南極交響曲の初演はバルビローリ&ハレ管がつとめています。結構濃密なサウンドなのですが、その根っこにはイギリス人には分かりやすい民族的な旋律が横たわっていることがよく分かる演奏です。
そして、もう少し調べてみれば交響曲第8番の初演もまたバルビローリ&ハレ管でした。
ですから、ともすれば美しく旋律線を歌い上げるバルビローリのことを「ミニ・カラヤン」のように言う人もいるのですが、それは大きな間違いであることの証左の一つがそこにあるように思われました。
おそらく、バルビローリの体の中にはそう言うイギリスの風土が持つローカリティが染み込んでいるのでしょう。そして、そのローカリティは日本人が共感しやすい親しみやすさと美しさを持っていることは間違いありません。蛍の光や庭の千草などはほとんど日本の歌曲かと思えるほどに私たちの生活に溶け込んでいます。
また、ホルストの「木星」などを聞くと「ああ、これってイギリス版ド演歌だな」と思ったりするのですが、そう言うイギリス訛りがバルビローリの一つの本性となっているのでしょう。
もちろん、厳しい気候風土のイギリスにはボールト的な厳しさもあるのですが、おそらくイギリス人にとってもバルビローリ的な優しさと美しさ、そして親しみやすさの方がより身に添うのでしょう。
そう考えれば、グラモフォン誌でバルビローリこそが20世紀を代表する最高の指揮者だと選び取ったイギリスの人々の判断は、身贔屓と言うだけでなく、それだけ彼らの心に深く共感させる音楽を彼が提供していたと言うことなのでしょう。
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