エルガー:交響曲第2番 変ホ長調, Op.63
エドワード・エルガー指揮 ロンドン交響楽団 1927年4月1日&7月12日録音
Elgar:Symphony No.2 in E-flat major, Op.63 [1.Allegro vivace e nobilmente]
Elgar:Symphony No.2 in E-flat major, Op.63 [2.Larghetto]
Elgar:Symphony No.2 in E-flat major, Op.63 [3.Rondo]
Elgar:Symphony No.2 in E-flat major, Op.63 [4.Moderato e maestoso]
エドワード7世の業績を偲ぶ叙事詩
エルガーの交響曲といえば一般的には第1番の方が有名なようです。それは、この交響曲がいろいろと紆余曲折の末に完成した事による影響があるのかもしれません。
この交響曲は最初はエルガーの好き理解者でありパトロンでもあったイギリス国王エドワード7世に献呈されることになっていました。エドワード7世は昔からの敵国であったフランスやロシアとの関係改善に努めて「ピースメーカー」とよばれた国王でした。
しかし、その国王が1910年5月6日に亡くなったため、今度はエドワード7世の追悼のために捧げられることになります。
しかし、出来上がった作品は追悼と言うよりはエドワード7世の業績を偲ぶ叙事詩のような作品となっています。
確かに、ベートーヴェンの「エロイカ」と同じ変ホ長調で書かれていて、第2楽章が葬送行進曲であることからこの曲はエルガーの「英雄交響曲」とも呼ばれます。そして、初演の時の聴衆もそう言う音楽を期待したのでしょう。
しかし、実際の音楽はそう言う聴衆が期待するものとは大きく異なっていたのです。
それ故に、この作品もまた数ある初演の大失敗を語るエピソードに新しいページを加えることになりました。
初演の指揮はエルガー自身が行ったのですが、演奏が終わった時は第1番の時のような拍手喝采はなく、それどころか呆気にとられたかのような静かさが会場を支配する中、ごくまばらで拍手が鳴り響いただけだったようです。
そのあまりの状況にエルガーは「一体どうしたのだ。皆詰め物をした豚の置物みたいだ。」とぼやいたそうです。
しかし、その初演から9年後の1920年にエードリアン・ボールトの指揮によって演奏される事によって大成功を収め、漸くにしてこの作品が正当に評価されることにありました。しかしながら、初演から大成功をおさめた第1番と較べると、今もポピュラリティと言う面では一歩譲るようです。
そして、その演奏会の数週間後にエルガーを生涯にわたって支え続けた妻のアリスが亡くなります。アリスにとっては、そのボールトの指揮による演奏会が彼女が最後に聞いた演奏会になってしまいました。
そして、アリスの死はエルガーに致命的な打撃を与え、そのは哀しみか彼の中から創作意欲を失ってしまい、その後は目立った作品を残していません。
- 第1楽章
彼を支えてくれたエドワード7世へのオマージュとも言うべき明るく輝かしい音楽です。そこで、エルガーはエドワード朝の栄華を回顧するのですが、それは明確な主題を持たない叙事的な音楽であり、その事が聴衆にとって戸惑いを覚えさせる第1歩となったのかもしれません。
- 第2楽章
ラルゲットで、まさにエドワード7世への葬送の音楽となっています。どこかブルクナーを思わせる音楽は嘆き多き現世を離れて永遠なるものを求めようとするかのような音楽であり、この交響曲全体の中ではもっとも共感しやすい音楽でしょう。
- 第3楽章
一転して歯切れのよいスケルツォで、最後は華やかなコーダで終わります。
- 第4楽章
荘厳な主題で始まり、それが華やかに盛り上がっていくのもまたエドワード7世へのオマージュでしょうか。そして、最後は第1楽章や第4楽章のテーマが静かに回想されるコーダで締めくくられます。
余計なことは不必要
調べてみるとエルガーは意外とたくさんの自作品の録音を残しています。「生誕150周年記念 エルガー自作自演集」なるものが2007年に発売されていて、それはCD11枚セットなのですから驚いてしまいます。
残念ながらすでに廃盤となっているようで中古盤を探すしかないようですが、さすがに2007年の頃は今ほどヒストリカル音源には注目していなかったので、そこまでは手が回っていませんでした。ただし、どういう風の吹きまわしだったのか、コロナ禍で暇が出来たこともあってアナログのレコードやCDを整理していると、一枚だけエルガーの自作自演のCDが出てきました。
収録されているのは以下の2曲なので、悪くありません。
- エルガー:交響曲第2番 変ホ長調, Op.63:エルガー指揮 ロンドン交響楽団 1927年4月1日&7月12日録音
- エルガー:チェロ協奏曲 ホ短調, Op.85:(Cello)ベアトリス・ハリソン:エルガー指揮 ロンドン交響楽団 1928年3月23日録音
録音は当然の事ながらかなり古いのですが、音質は驚くほどいい状態です。歴史的価値がある故に無理をしてでも聞き通すというレベルではなくて、エルガーという作曲家自身の演奏を純粋に楽しめるクオリティを持っています。
ベアトリス・ハリソンというチェリストについても全く知るところのない演奏家だったのですが、イギリスではディーリアス作品のスペシャリストとしてよく知られていて、彼の作品の初演を数多く手がけているチェリストだったようです。また、ベアトリス・ハリソンと言えば、彼女がオクステッドの自宅の庭に腰かけてチェロを演奏すると、集まったナイチンゲールが彼女の演奏と同時に歌うというラジオ放送でも有名です。
The cello and the nightingale
そんなハリソンとエルガーの結びつきを作る切っ掛けとなったのが、1919年の初演の大失敗です。それはかなり酷かったようで、「オーケストラは惨めな姿を大衆にさらした」と酷評されました。しかし、その大失敗の中で奮闘したのがソリストのフェリックス・サルモンドで、後にエルガーは「もしサモンドが精力的に準備してきていなかったならば、自分はこの曲を2度と演奏会に出さなかっただろう」と述べています。
ただし、初演を担当したロンドン響の名誉のために付け加えておくと、同じ日に初演されたアルバート・コーツが自作演奏のために大部分のリハーサル時間を費やしてしまい、エルガーの作品はほとんど練習できなかったことは付け加えておきましょう。
さらに、どうでもいいことですが、この初演の時にオーケストラのチェロ・パートにバルビローリもいたようです。
と言うわけで、実にイギリスの音楽史を考える上ではいろいろな意味で興味深い初演だったようです。
そして、そう言う失敗の中でエルガーが目をつけたのがディーリアス作品のスペシャリストとして知られていたベアトリス・ハリソンだったのです。
実際この1928年の録音はこの作品の世界初録音なのですが、それに先立つ1919年の短縮版による初録音でもエルガーはハリソンを起用しています。そして、エルガーは彼女以外のチェリストとは共演しなかったようです。
1920年の世界初録音の風景
しかしながら、この録音の直線的な造形を聞いていると、もしもエルガーが後のデュ・プレの演奏を聞けば(そう言えば、指揮者はバルビローリでした。なんたる因縁!!)なんと思ったことかと妄想してしまいます。
「オレの作品って、こんなにも深い情念に溢れた情熱的な作品だったのか」と惚れ直すのか、それとも、「えーい、余計な表情づけばかりしやがって、いらんことをすんじゃねえ!」とぼやいたでしょうか。もっとも、「サー」の称号をもらった人物がそんな下品な物言いはしないと思うのですが(^^;、どうも作曲家の自作自演というのはリヒャルト・シュトラウスにしてもストラヴィンスキーにしても、必要なことは全て楽譜に書いてあるんだから余計なことはしないというスタンスを取ることが多いようです。
それは、エルガーの場合も同様で交響曲第2番でも実にザッハリヒカイトな演奏になっています。
もちろん、1927年にザッハリヒカイト等という演奏様式は存在しなかったのですから、そう言う言い方は正確性に欠けますね。しかしながら、作曲家が自作を演奏すれば、基本的にはそう言う演奏スタイルになると言うことです。
そして、それは結果的にザッハリヒカイトになるのと、意識してザッハリヒカイトになるのとでは似ては非なるものであって、前者のような演奏は聞き手にとってはどこか不満が残るものです。
しかしながら、協奏曲の場合はソリストの言い分もありますから、チェロ協奏曲の方はそれが上手く組み合わさって実にいい感じに仕上がっています。ナイチンゲールと共演するなどと言う無茶なことをやらされるあたりは昨今の芸人を思わせる部分もあるのですが、ベアトリス・ハリソンなるチェリスト、なかなかただ者ではなかったようです。
偶然かもしれませんが、エルガーのチェロ協奏曲は女性との相性がいいのかもしれません。
よせられたコメント
2022-07-07:コタロー
- エルガーの作品といえば、まず思いつくのが「威風堂々第1番」、「エニグマ変奏曲」でしょうか(「威風堂々」は「第5番」までありますが、「第2番」以降はまさに「二番煎じ」扱いというのが現実ですね)。
彼の交響曲は初耳です。ましてエルガーの自作自演ということになると真剣に向き合う必要があると思い、聴いてみたのです。しかし、彼独特の「粘着質」な音楽に、どうにもたまらなくなって、エルガーには大変失礼ながら、再生を断念してしまいました。
ここは長い目でみて、「宿題」という形で残していくのが、賢い選択かと思っております。
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