クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~

ブルックナー:交響曲第4番 変ホ長調「ロマンティック」

ウィレム・ヴァン・オッテルロー指揮 ハーグ・レジデンティ管弦楽団 1953年5月6日~7日録音





Bruckner:Symphony No.4 in E-flat major, WAB 104 "Romantic" [1.Bewegt, nicht zu schnell]

Bruckner:Symphony No.4 in E-flat major, WAB 104 "Romantic" [2.Andante quasi Allegretto]

Bruckner:Symphony No.4 in E-flat major, WAB 104 "Romantic" [3.Scherzo. Bewegt; Trio. Nicht zu schnell. Keinesfalls schleppend]

Bruckner:Symphony No.4 in E-flat major, WAB 104 "Romantic" [4.Finale. Bewegt, doch nicht zu schnell]


わかりやすさがなにより・・・でしょうか

短調の作品ばかり書いてきたブルックナーがはじめて作曲した長調(変ホ長調)の作品がこの第4番です。
この後、第5番(変ロ長調)、第6番(イ長調)、第7番(ホ長調)と長調の作品が続きます。

その中にあっても、この第4番は長調の作品らしい明るい響きと分かりやすい構成のためか、ブルックナー作品の中では早くから親しまれてきました。
「ロマンティック」という表題もそのような人気を後押ししてくれています。

この表題はブルックナー自身がつけたものでありません。
弟子たちが作品の解説をブルックナーに求めたときに、ブルックナー自身が語ったことをもとに彼らがつけたものだと言われています。

世間にはこのような表題にむきになって反論する人がいます。
曰く、絶対音楽である交響曲にこのような表題は有害無益、曰く、純粋な音楽の美を語るには無用の長物、などなど。

しかしながら、私はけっこう楽しんでいます。
それに、この作品の雰囲気に「ロマンティック」と言う表題はなかなか捨てたもんではありません。

それから、ブルックナーというと必ず版と稿に関わる問題がでてきます。
この4番についても1874年に作曲されてから、81年に初演されるまでに数え切れないほどの改訂を繰り返しています。

私にはその詳細を詳述する能力はないのですが、そういう詳細にこだわるブルックナーファンは多いので簡潔に記しておきます。

ブルックナーがこの作品に取りかかったのは第2番の交響曲が完成した2日後の1874年1月2日であった事は分かっています。
習作を含む過去の5作品は全て短調で書かれていたのに対して、この4番では「変ホ長調」という、長調の調性が初めて採用されています。

ブルックナーの交響曲に於いては前期とか中期というような「進化論的」な区分は意味はないと言われるのですが、それでも2番から4番にかけての飛躍は大きいように思われます。そして、そう言う大きな飛躍とも思える新しい一歩をわずか2日間という短い時間で踏み出したと言うことは、第2番の創作の過程において既にこの作品に対するイメージが固まっていたことを示しているのかもしれません。

その証拠と言うほどでもないのですが、この第4番の交響曲の創作は実にスムーズに進んだようなのです。
残された資料によると全楽章のスケッチは8月中旬に終了し、オーケストレーションを終えて作品が完成したのは11月22日の夜8時30分だと彼は記しているのです。

こうして完成されたのが「1874年稿」、もしくは「第1稿」と呼ばれるものです。

ところが、この作品は出版の見込みがないどころか初演の見通しさえもなかったのです。
それが原因かどうかは分かりませんが、1878年から全面的な改訂作業にとりかかります。

この改訂は作品全体にわたるものだったのですが、特にフィナーレと第3楽章のスケルツォには大幅な改訂が加えられ、とりわけスケルツォ楽章は「狩りのスケルツォ」とも呼ばれるようになる全く新しい音楽に生まれ変わってしまうのです。
ところが、1880年になるとブルックナーは再び気になる部分の改訂作業に取り組み始め、特にフィナーレ楽章に加えられた大幅な改訂は殆ど「改作」と言っていいほどのレベルになってしまいました。

この2回にわたる改訂を一つにまとめたものが「1878/1880年稿」」とよばれるもので、この稿に従ってハースが校訂して出版(1936年)されたのが「1878/1880年稿 ハース版」です。
こんにちでは、これが「第2稿」とか「決定稿」とか呼ばれたりします。

と言うことで、ここまででも随分と複雑なのですがブルックナー作品ならばよくある話ではあります。

ところが、アメリカでブルックナー作品を積極的に紹介していたアントン・ザイドルからの依頼によって、1886年にブルックナーはスコアを送っているのですが、そのスコアにもまた小さな改訂が加えられていたのです。
この背景にはザイドルが出版の労を執ってくれそうだという期待があったからであり、そのためにスコアを送ろうとしてもう一度目を通したときに気になる点が出てきたので手直しをしたようなのです。

まさに改訂魔です。(^^;

ただし、至急に送れと言うことだったので、その手直しは冒頭のホルンとトランペットに留まったので、過去2度の改訂とは全く性質を異にするものでした。
そして、このザイドルに送られたスコアが発見されたのは1940年代に入ってからのことだったので、1936年に出版された「1878/1880年稿 ハース版」には反映されていません。

この改訂を出版譜で始めて反映させたのがノヴァークなのですが、彼はこの改訂は作品全体から見て本質的なものではないと言うことで「1878/1880/1886年稿」とはせずに「1878/1880年稿」と記したのです。
しかし、「1878/1880年稿 ノヴァーク版」には1886年の小改訂は反映していますが、「1878/1880年稿 ハース版」にはその改訂は反映していません。ですから、その相違を分かりやすくするために「1886年稿ノヴァーク版」 と記されることも多いようです。

なお、レーヴェによる改訂版を「1887/1888年稿」もしくは「第3稿」と呼んでいる書物もあったりしたのですが、そちらの方は今日では「改鼠版」という扱いになっていることは今さら断るまでもありません。

<追記>
オイゲン・ヨッフム指揮によるベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 の録音を紹介したときに以下のような内容のメールをいただきました。
こういう版と稿の問題に触れると必ずこういうメールをもらうのでいやなんですよね。

この解説がいつ書かれたものなのかは知りませんが、第3稿は、もう14年も前の2004年に、国際ブルックナー協会からコーストヴェット校訂版として、正式に出版され、国際的に認められています。
未だに「改竄版」などと書く人がいて驚きました。

この版を愛用していた、フルトヴェングラー、クナッパーツブッシュ、クラウス、クリップス、マタチッチ、シューリヒト、スタインバーグ、ワルター等の演奏をどう聞いているのでしょうか。
未だに「演奏は良いが版は悪い」なのでしょうか。


まず、断っておきたいのは「演奏は良いが版は悪い」なんてな事は何処にも書いていないので、こういう書き方はいかがなものかと思われます。(^^;

この4番の改訂についてもっとも詳しいのは金子健志氏の「4番・ロマンティックの改訂とフルトヴェングラーの解釈を中心に」でしょう。(1990年代の著作でいささか古いですが)
『ブルックナーの交響曲(音楽之友社)』に所収されていますので興味ある方はご一読ください。

詳しいことはそちらに譲りますが、この第3稿はブルックナー自身の手になる物ではなくて、あくまでもレーヴェによって成された改訂だと言うことです。
ただし、金子氏も指摘されているように、その改訂にはブルックナー自身の手によって訂正の筆が入っていますから、5番や9番のような極端な「改鼠」でないことは事実です。
しかし、それでもなおレーヴェの改訂にはブルックナー自身も不本意な点が多かったようで、とりわけ第3楽章と4楽章に施されたカットは容認できなかったのでそれは強く拒否したようです。

それでもレーヴェはブルックナーの要求を受け容れなかったので、自らの承認の印となる日付とイニシャルは記入しなかったのです。
ハースやノヴァークはそれを「行きすぎた改訂に対する暗黙の拒否」と見なして全集版を編纂するときにそれはとらなかったのです。

ちなみに、この第3稿はブルックナー存命時には大きな成功をおさめたので、ハース版があらわれるまでの半世紀近くはこの形でロマンティックが演奏されるのが常識だったのです。ですから、この稿が長く省みられることはなかったとのウィキペディアの記述は正確さに欠けます。
例えば、フルトヴェングラーはブルックナーの9番(レーヴェによる改訂版)という大曲で指揮者デビューを飾っているのですが、その事は同時に弟子達による改訂版でブルックナー解釈の基本を築き上げていた事を意味します。

ですから、フルトヴェングラーのように「ブルックナーは原典版を使うべき」といいながら、実際は「改訂版」を使っていたりもしますから、そのあたりはかなり複雑な問題を内包した人もいます。
もっと興味ある方は(そんなにいないとは思いますが)金子氏の一文を参照してください。
ちなみに、金子氏によるとフルトヴェングラーは改訂版を使用しながら、この肝心のカットは事実上回避しているとのことです。ですから、それは第2稿と第3稿のいいところ取りだったようですから、「この版を愛用していた、フルトヴェングラーの演奏をどう聞いているのでしょうか」といういいかたはは正確さに欠けるようです。

さらに言えば、演奏者にとってどの版と稿を選ぶのかと言うことに関しては、それほど原理主義的な話としてではなくて、もっと現実的な問題、例えばオケのライブラリーにどのようなスコアが収められているのかという問題で判断する人も多かったようです。
とくに古い時代の人にとっては手もとにある楽譜で演奏することに疑問を感じない人が多かったようです。
つまりは、一部のブルックナーマニアがこだわるようには、そう言うことにはこだわらなかったのです。

なお、コーストヴェット校訂版については未だに評価は確定していないと思われます。
おそらく聞きやすくするために後半2楽章の再現部をカットしていることに違和感を感じる人は多いようです。
ブルックナー自身もその事を最後まで拒否していました。

個人的にはこれを「改鼠版」と呼ぶことには一定の根拠はあると思われます。何故ならば、どう考えてもブルックナーの意志とは相容れない部分があるからです。
ただし、それがロマン派の交響曲としては演奏効果も上がり聞きやすくなるのであれば、原理主義的にはならずにそれを採用することは指揮者の自由に属する問題であり、その事だけを持って演奏の価値を否定するのは一部の原理主義者だけでしょう。


いやはや、このブルックナーには驚かされました。


冒頭の弦のトレモロによる原子霧の彼方から味わいたっぷりのホルンが響いてきたときは、そう言う味わい深さで全体を貫いていくのかなと思わされました。それにしても、このハーグ・レジデンティ管弦楽団のホルンはいいですね。ベートーベンの交響曲でもいい味を出していたのですが、テクニック的に上手いとかどうとか言う前に、こういう味のある響き出せる人は今となっては少ないのではないでしょうか。

しかし、オッテルローはそう言う「味わい」の世界とは真逆の、極めて古典的で引き締まったスタイルでブルックナーの世界を構築していきます。
そのやり方は、いわゆる「ブルックナー指揮者」と言いわれたマエストロ達ののやり方とは全く異なります。
クナッパーツブッシュのように蟒蛇がのたうち回るような人間離れした巨大さを誇示する演奏とは真逆です。もちろん、アルプスのゴツゴツとした岩山を思わせるような表現とも異なります。当然のことながらシューリヒトの淡彩でありながら何処か凄みを秘めた表現とも異なります。

そうではなくて、ここにあるのはある種の古典的な引き締まった造形によって、ブルックナーの世界を再構築しようという強い意志です。
しかしながら、ブルックナーファンの方には叱られるかもしれませんが、そもそもブルックナーの音楽というのはそう言う古典的な緻密な構造に支えられて成り立っている音楽ではありません。ですから、その内部構造をどれだけ緻密に描き出してみても、このような古典的に引き締まった世界を実現することは出来ません。

そのあたりが、ベートーベンのようにその内部構造をそれなりに緻密に描き出していけば、それがそのまま一つの世界を形づくることが出来る世界とは随分と隔たっています。
そして、それこそがブルックナーの音楽の難しさであり、それが結果としてブルックナー演奏を得意とする「ブルックナー指揮者」と言われる存在を生み出す要因なのかもしれません。

と、そこまで思い当たって、このオッテルローのブルックナーと似通った演奏をする指揮者が思い当たりました。
ジョージ・セルです。

彼らには共通するのは、引き締まるはずのない音楽を、言葉をかえれば、見通しの悪い曖昧さも含めて愛さないといけないブルックナーの音楽を、そんな曖昧さを徹底的に整理しきることによって、常に目の前を覆っている霧を追い払ってしまおうとすることです。
ただし、この二人の間には決定的な違いがあります。(^^;
それは、片方が屈指のアンサンブル能力を誇るクリーブランド管であるのに対して、もう片方は健闘はしているもののヨーロッパの田舎オケの域を出ないハーグ・レジデンティ管弦楽団だということです。

ブルックナーの音楽というのは色々な楽器がユニゾンで響かせる部分が多いのですが(それが彼の音楽を単色にしている一因でもあるのですが)、クリーブランド管はその様なユニゾンで演奏する部分は一分の隙もなくユニゾンで演奏されています。それは、ユニゾンがまるで誰かがソロで演奏してるがごとくで、そこからは一切の曖昧さは除去されています。
そして、言うまでもないことですが、そこまでのクオリティをハーグ・レジデンティ管弦楽団に求めるのは酷というものです。もちろん、それはその他大勢のオケにとっても同様です。

しかし、ハーグ・レジデンティ管弦楽団は、そう言う靄を徹底的に追い払おうとするオッテルローの要求に全身全霊を傾けて応えようとしています。正直言って、同じ頃に録音されたベートーベンの演奏とは随分と雰囲気が異なります。
なるほど、いつも言っていることですが、一つ二つ聞いたくらいで全て分かったような気になるのは常に危険だと言うことです。

いわゆるブルックナー指揮者によるブルックナーを聞いてきた人にとっては違和感があるかもしれませんが、逆に、そような人にとっては逆に新鮮で面白く感じられるかもしれません。
また、録音も1953年のモノラルえ録音なのですが、その様な演奏に応えるかのように、非常に内部の見通しの良い優れものの録音になっています。そして、録音において1年の差というのは結構大きいようで、翌年に録音された7番の方が、そう言うオッテルローの強い意志をより分かりやすく伝えてくれます。

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