クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~

ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品61

(Vn)フリッツ・クライスラー:レオ・ブレッヒ指揮、ベルリン国立歌劇場管弦楽団 1926年12月14日&16日録音





Beethoven:Violin Concerto in D major, Op.61 [1.Allegro ma non troppo]

Beethoven:Violin Concerto in D major, Op.61 [2.Larghetto]

Beethoven:Violin Concerto in D major, Op.61 [3.Rondo]


忘却の淵からすくい上げられた作品

ベートーベンはこのジャンルの作品をこれ一つしか残しませんでした。しかし、そのたった一つの作品が、中期の傑作の森を代表するする堂々たるコンチェルトであることに感謝したいと思います。

このバイオリン協奏曲は初演当時、かなり冷たい反応と評価を受けています。
「若干の美しさはあるものの時には前後のつながりが全く断ち切られてしまったり、いくつかの平凡な個所を果てしなく繰り返すだけですぐ飽きてしまう。」
「ベートーベンがこのような曲を書き続けるならば、聴衆は音楽会に来て疲れて帰るだけである。」

全く持って糞味噌なけなされかたです。
こう言うのを読むと、「評論家」というものの本質は何百年たっても変わらないものだと感心させられます。

しかし、もう少し詳しく調べてみると、そう言う評価の理由も何となく分かってきます。
この協奏曲の初演は1806年に、ベートーベン自身の指揮、ヴァイオリンはフランツ・クレメントというヴァイオリニストによって行われました。

作品の完成が遅れたために(出来上がったのが初演の前日だったそうな)クレメントはほとんど初見で演奏しなければいけなかったようなのですが、それでも演奏会は大成功をおさめたと伝えられています。
しかし、この「大成功」には「裏」がありました。

実は、この演奏会では、ヴァイオリン協奏曲の第1楽章が終わった後に、クレメントの自作による「ソナタ」が演奏されたのです。
今から見れば無茶苦茶なプログラム構成ですが、その無茶草の背景に問題の本質があります。

そのクレメントの「ソナタ」はヴァイオリンの一本の弦だけを使って「主題」が演奏されるという趣向の作品で、その華麗な名人芸に観客は沸いたのでした。
そして、それと引き替えに、当日の目玉であった協奏曲の方には上で述べたような酷評が投げつけられたのです。

当時の聴衆が求めたものは、この協奏曲のような「ヴァイオリン独奏付きの交響曲」のような音楽ではなくて、クレメントのソナタのような名人芸を堪能することだったのです。彼らの多くは「深い精神性を宿した芸術」ではなくて、文句なしに楽しめる「エンターテイメント」を求めたいたのです。
そして、「協奏曲」というジャンルはまさにその様な楽しみを求めて足を運ぶ場だったのですから、そう言う不満が出ても当然でしたし、いわゆる評論家達もその様な一般の人たちの素直な心情を少しばかり難しい言い回しで代弁したのでしょう。

それはそうでしょう、例えば今ならば誰かのドームコンサートに出かけて、そこでいきなり弦楽四重奏をバックにお経のような歌が延々と流れれば、それがいかに有り難いお経であってもウンザリするはずです。
そして、そういう批評のためか、その後この作品はほとんど忘却されてしまい、演奏会で演奏されることもほとんどありませんでした。
この曲は初演以来、40年ほどの間に数回しか演奏されなかったと言われています。

その様な忘却の淵からこの作品をすくい上げたのが、当時13才であった天才ヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒムでした。
1844年のイギリスへの演奏旅行でこの作品を取り上げて大成功をおさめ、それがきっかけとなって多くの人にも認められるようになったわけです。



  1. 第一楽章 アレグロ・マ・ノン・トロッポ
    冒頭にティンパニが静かにリズムを刻むのですが、これがこの楽章の形を決めるのは「構築の鬼ベートーベン」としては当然のことでしょう。ただし、当時の聴衆は協奏曲というジャンルにその様なものを求めていなかったことが不幸の始まりでした。

  2. 第二楽章 ラルゲット
    この自由な変奏曲形式による美しい音楽は当時の聴衆にも受け入れられたと思われます。

  3. 第三楽章 ロンド アレグロ
    力強いリズムに乗って独奏ヴァイオリンと管弦楽が会話を繰り返すのですが、当時の聴衆は「平凡な個所を果てしなく繰り返す」と感じたのかもしれません。



徹底的にクライスラーのヴァイオリンを聞くべき演奏と録音


カヤヌスの録音を紹介したときに「こんな古い録音はやめてくれ」という声が聞こえてきそうだと書いたのですが、これはそれよりも古い1927年の録音なのですから、さらに呆れられそうです。
しかし、実は、この録音はとっくの昔にすでに紹介しているものだと思っていました。
ですから、「flacファイル」でもアップしておこうと思ってチェックしていて、音源そのものを紹介していないことに気づいたのでした。

信じがたい話かもしれませんが、今でもこのクライスラーの録音をもってベートーベンのヴァイオリン協奏曲のベストだと主張する人がいます。ですから、これを今までアップし忘れていたというのは大きな欠落だと言わざるを得ないのです。
何故ならば、「録音」として刻み込まれたベートーベンのヴァイオリン協奏曲の演奏史を振り返ってみれば、これはカヤヌスによるシベリウス録音を同じように「原点(origin)」であるのは言うまでもないのですが、同時にそれはベートーベンのヴァイオリン協奏曲という巨大な峰の一つの「山頂(summit)」でもあるからです。

いや、この雑音にまみれた古い録音を聞けば、それをもって一つの「山頂(summit)」だと言えば、「あなたは正気ですか?」と言われそうです。
そして、その疑問はもっともなことなのですから、少しばかり補足しておく必要があります。

若い人の恋愛というのは、その対象に完璧さを求めるものです。
それが、誤解や思いこみに基づくものであっても、彼らは自らの恋愛対象に対して完璧さを求めるものです。そして、その様な誤解や思いこみが美しいがゆえにロミオとジュリエットのような悲劇はおこるのです。もしもあの二人があそこまで切羽詰まった状況に追い込まれることなく、もう少し時間を重ねてお互いをもう少し知り合うことが出来ていれば、あのような悲劇はおこらなかったのです。
つまりは、あのようなことは人生の経験を重ねた男女の間では絶対におこらない事であり、もしも似たようなことがおこったとしてもその理由はもっと現実的な欲得絡みであるのが一般的です。

自らが理想と思えるような要素をすべて完璧にそなえた人などは何処にもいないことは、ある程度の経験を重ねればすぐに分かることです。しかし、そうであったらといって、それで二人の関係が終わりを告げるわけでもありません。何故ならば、相手が多くの欠陥や短所を山ほど抱え込んだ存在であると分かっていても、その対象が時に示すちょっとした仕草や雰囲気だけで十分に愛していけるものだからです。
長年連れ添った仲の良い夫婦というのがまわりの人にも幸福な感情を与える事が多いのは、それはまさにそう言う生き方が根底にあるからです。
そして、余談ながら、その逆もまた「真」であるのです。
まわりから見れば申し分のない連れ合いであるように見えながら、そいつが示すちょっとした仕草や雰囲気が許されなくてお互いに道を分かつこともあるのです。

そして、この理屈は音楽にもあてはまります。
クラシック音楽等というものを聞き始めた頃は、ありもしない名盤探しに無駄な労力と時間を費やし、不満や不平ばかりを並べ立てたものです。しかし、自分が理想とするような条件をすべて兼ね備えた名演などというものはこの世の中には存在しないのです。
しかし、恋愛と同じように、ある時気づくのです。
どんな演奏や録音であっても、ああいいな!と思えるような場面や一瞬はどこかに存在するのであって、その場面を持ってその作品や演奏を愛することが出来るのです。

このクライスラーによる古い録音は徹底的にクライスラーのヴァイオリンを聞くべき演奏と録音です。

確かに、ベートーベンのバイオリン協奏曲というものは、オーケストラがヴァイオリン独奏の伴奏だけをつとめているわけではありません。ですから、そこに目を向ければ、この録音の貧弱きわまるオーケストラの響きに対してありとあらゆる不満と不平を並べ立てることはいとも容易いことです。
しかし、例えば、オーケストラの長い伴奏に導かれてクライスラーのヴァイオリンソロが登場してきたときに、いったいクライスラー以外の誰がこのようなヴァイオリンを聞かせてくれるのだろうかと思うはずです。
そして、まさにその一点だけを持ってこの録音を愛することが出来るときが来るのです。
そして、その自然にしてこの上もなく繊細にして美しいクライスラーのヴァイオリンの響きに身を浸していけば、これこそがこの作品の「山頂(summit)」の一つであるという言葉に少しずつ同意もできるようになるのです。

もちろん、演奏の欠点をあげつらうことが己の偉さを示すことだと考えている人からすれば、愚かしいという言葉ですらも追いつかないほどの戯言だとおもわれるでしょうが。

よせられたコメント

2019-05-21:塚本 和彦


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