シューベルト:魔王 D.328 & 無限なるものに D.291
(S)キルステン・フラグスタート (P)エドウィン・マッカーサー 1956年3月21日~23日録音
Schubert:Der Erlkonig, D.328
Schubert: Dem Unendlichen, D.291
円熟期のワーグナーでさえもこれ以上に劇的な音楽を書くことはなかった
おそらく、シューベルトの歌曲の中ではもっとも有名な作品かもしれません。それは、小学校か中学校の音楽の授業では必ず聞かされるからでもあるのですが、それを抜きにしても、聞く人を惹きつけるインパクトの強い音楽だからでしょう。
歌詞はゲーテの作品です。
友人が書き残したものによると、シューベルトはゲーテの魔王を大きな声で何度も読み上げながら部屋の中を歩き回っていたそうです。やがて、何かが降りてきたのか、彼は腰を下ろすと猛烈な勢いでこの作品を紙に書き付けていったというのです。
おそらく、シューベルトといえども、これほど劇的な音楽を書くことは二度となったのであって、円熟期のワーグナーでさえもこれ以上に劇的な音楽を書くことはなかったとも言われるのです。
驚かされるのは、冒頭のピアノによって馬の疾走する場面が描かれると同時に、聞き手は一気にシューベルトゲーテの世界に引きずりこまれるのです。
そして、その響きに乗って語り手と恐怖におびえる子供、その子供をいたわる父親、そして子供を連れ去ろうとする魔王の4人が一篇のドラマであるかのように登場するのです。
その4人を一人の歌手が歌い分けるというのはとても難しいだろうことは容易に想像がつくというものです。
<語り手>
夜風をついてこんな遅く馬を走らすのは誰か?
それは子を抱えた父親だ。
彼は少年を腕にしっかり抱え、
がっちりつかみ、温かく抱えている。
<父親>
「息子よ、なぜそんなにおびえて顔を隠すんだい」
<子供>
「お父さん、魔王が見えないの、
冠かぶり、すそを垂らした魔王が?」
<父親>
「息子よ、それは霧がたなびいているんだよ」
<魔王>
「ねえ、かわいいぼうや、おいで、わしと一緒に行こうよ
とても素敵な遊びを一緒にやろう。
色とりどりのお花が沢山岸辺に咲いているし、
わしの母君は金の服をいっぱい持っておるぞ」
<子供>
「お父さん、お父さん、ねえ聞こえないの、
魔王がぼくにこっそり約束しているのが?」
<父親>
「落ち着いて、落ち着くんだ、わが子よ、
枯葉を渡る風が音を立てているんだ。」
<魔王>
「いい子よ、わしと一緒に行かないか?
娘にしっかりお前の面倒を見させるよ。
娘は夜に輪舞の先導をして、
きみを揺すって、踊らせて、歌って寝かせてくれるよ。」
<子供>
「お父さん、お父さん、あそこに見えないの、
薄暗い場所にいる魔王の娘たちが?」
<父親>
「息子よ、息子、よく見えるとも、
あれは古い柳があんなに灰色に見えるんだ」
<魔王>
「わしはお前が好きだ、お前の美しい姿に夢中なのだ。
それでもお前が嫌がるのなら、手をあげちまうぞ。」
<子供>
「お父さん、お父さん、もうあいつに捕まっちゃったよ
魔王がぼくをいじめるよ」
<語り手>
父親はぞっとして、馬を早める、
彼はうめく子供を腕に抱き
やっと屋敷にたどり着くと、
腕の中で子供は死んでいた。
無限なるものに D.291
歌詞はクロプシュトックの作です。
気品があり、時に垣間見せる劇的な表現は不世出のワーグナー歌手と言われた片鱗をうかがわせる
フラグスタートの最晩年に「Decca」が優れた音質でまとまった録音を残してくれたことには感謝したいと思います。
「歌曲」という分野はどうにも苦手なので先送りをしていたのですが、退職もして時間も出来てきたのですから、ぼちぼち本格的に取り上げていってもいいかと思い始めています。
そして、その第一歩としてはこのフラグスタートの最晩年の録音が相応しかろうかと思う次第なのです。何故ならば、どうにも「歌曲」というものに馴染めない私のようなものであっても、彼女の歌唱だけはすんなりと心に響くからです。
しかしながら、1956年の録音ですから、その時彼女は60歳を超えていました。
器楽奏者ならばどうと言うことはない年齢ですし、指揮者ならばいよいよこれからだという年かもしれませんが、体が楽器の歌手にとっては疑いもなく「最晩年」と言っていい時期でした。
さらに言えば、この録音の数年前に彼女は引退を表明していたのですから、これはカムバック録音と言うことになります。
カラスを例に出すまでもなく、、一度引退した歌手のカムバックなどと言うものはろくでもない結果になるのが常でした。
しかしながら、彼女にとっては「引退」は力尽きての選択と決断ではありませんでした
彼女の引退のきっかけとなったのは、「トリスタンとイゾルデ」の録音における「ハイC」差し替え事件でした。
この話はあまりにも有名なので簡単に記しますが、フルトヴェングラーの指揮で録音した「トリスタンとイゾルデ」の録音(1952年)で、どうしても出なかった「ハイC」の一音をだけシュヴァツルコップに出してもらったのです。そして、それは録音スタジオだけの秘密だったのですが、それをEMIの社員が不用意に外部に漏らしてしまったのです。
それを知ったフラグスタートは激怒をして、EMIとの関係を断ち切るだけでなく、歌手活動そのものからも引退することを表明してしまったのです。
しかし、引退を表明したものの母国ノルウェーでの活動は続けていたようで、さらには一時の感情の勢いで引退を表明したもの録音活動だけならば復帰してもいいかと考え始めるようになるのです。
そして、そう言う彼女の意向をいち早く察知した「Decca」が彼女に働きかけて録音活動に復帰をさせたのです。
その復帰に当たって彼女は幾つかの歌曲とワーグナーからの抜粋による録音を選択したのですが、カルショーはそれをフラグスタートの賢明さのあらわれだと記していました。
それは、己の余力を見切った上での賢い選択だったのです。
この1956年の3月に行われた一連の録音が彼女の復帰第1作であり、その中にはシューベルトやシューマン、グリーグ、そしてワーグナーなどの歌曲が含まれていました。
そして、フラグスタートも、そして「Decca」も、依然として彼女に未だに第一線で活躍できる力が残っていることを確認した上で、次のステップへと移っていくのです
フラグスタートと言えば不世出の「ワーグナー歌手」でした。
「神のごとき」とたたえられたその歌声はこの上もなく豊かであり、オーケストラの響きを突き抜けていく強靱さをもちながらも透明感を失いませんでした。
そんな彼女の全盛期が1930年代のメトロポリタン時代であったことは否定しようはないのですが、それでも晩年になってもその豊かな美しさは衰えてはいません。
そして、何より気品があり、時に垣間見せる劇的な表現は、さすがは不世出のワーグナー歌手と言われた片鱗をうかがわせます。
そして、何よりも録音が素晴らしくいいことが嬉しいのです。
メトロポリタン歌劇場の録音こそがフラグスタートのベストと言われても、あれを最後まで聞き通せる人はそれほど多くはないでしょうから、この「Decca」録音の持つ意義は小さくないのです。
それから、伴奏ピアニストのエドウィン・マッカーサーは1930年代から一貫してフラグスタートのパートナーを務めてきた人物であり、フラグスタートからも全幅の信頼をおかれていました。全く知らない名前だったのですが深々としたよい響きを出すピアニストなので驚かされたのですが、さすがにフラグスタートが見込んだだけのことはあります。
よせられたコメント
2023-10-26:クライバーファン
- フラグスタートは、最近EMI時代のCD5枚組を買ったり、フルトヴェングラーのスカラ・リングのLPやトリスタン、ブリュンヒルデの自己犠牲の英EMI初期盤を買ったりして演奏を集めています。
また、メト時代のボダンツキーやラインスドルフとのライブも聞きました。トリスタンは1935,37,38年の三種は聞きました。いずれも見事でした。
そのころの全盛期と比べて、この演奏はどうかというと、ニルソン自伝で「彼女の声は年を経るにつれ暗いトーンになり威厳を帯びてきた。」と書かれている通りだと思います。
声が太くなり、陰影が増し、より神々しくなったと思います。高音が出にくくなるなどの衰えはあると思いますが、素晴らしい声をここでのシューベルトの歌曲でも聞かせていると思います。
フラグスタートは私が聞いた女声のなかで一番きれいな声だと思っていますが、ここでも声から発せられる香りのようなものは健在ですね。全盛期と比べても聞き劣りしません。
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