リヒャルト・シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」 Op.20
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮 パリ音楽院管弦楽団 1956年5月7日~8日録音
Richard Strauss:Symphonic Poem "Don Juan", Op.20
シュトラウスの交響詩第1作
交響詩の歴史を振り返ってみると、ベルリオーズに源を発し、それをリストが引き継いで、リヒャルト・シュトラウスが完成させたといっていいでしょう。そんな、完成者シュトラウスの交響詩第1作となったのがこの「ドン・ファン」です。もっとも、作品そのものとしてはすでに「マクベス」が完成していたのですが、ビューローの忠告で改訂することとなったために、この「ドン・ファン」が最初の完成作品となったわけです。
ドン・ファン伝説はスペインで生まれたものですが、その後ヨーロッパ全体に広がっていき、ついにはあのモーツァルトでさえオペラの題材として取り上げるまでになります。もちろん、音楽の分野だけでなく、詩や戯曲にも幅広く取り上げられていくようになります。
言うまでもなく、ドン・ファンとは好色な貴族として描かれ、それは17世紀のスペイン宮廷の色と欲に満ちた権力者たちへの痛烈な皮肉・風刺として生み出されたものでした。
しかし、そのドン・ファン伝説は時代とともに次第に変容していきます。特に、19世紀に入って、ドイツの詩人レーナウが描いた「ドン・ファン」は、求めても求め得ない至高の女性を追い求める理想主義的な人物として描かれるようになります。ですから、レーナウの描くドン・ファンはモーツァルトのオペラのように地獄に落ちるのではなく、「薪は尽きたり。炉辺は暗く寒くなれり」と呟いて、一人寂しくこの世を去っていくことになります。
シュトラウスがその物語に共感して音楽化を思い立ったドン・ファンは好色な貴族としてのドン・ファンではなく、レーナウが描く寂しい理想主義者としてのドン・ファンでした。ですから、モーツァルトのように華々しい「地獄落ち」でクライマックス!!・・・と言うことはなく、静かに消え入るように音楽は閉じられます。
専門家の言によると、シュトラウスの交響詩は「客観化」の時代から「主観化」の時代、そして最後に「普遍化」の時を過ぎて、次の「オペラ」の時代へと遷移していくそうです。何だか、よく分からない話ですが、要は、交響詩を作り始めた初期の時代は、作品と私生活の間にはあまり関連性がないと言うことです。
確かに、「死と変容」にしても、彼は死の危険を感じるような重病を経験したわけでもありませんし、この「ドン・ファン」にしても理想の女性を追い求めて破滅的な人生に陥る危険に遭遇したわけでもありません。
一説によると、この作品には、将来彼の妻となるパウリーネとの関係が投影していると言われますが、二人はこの後目出度くゴールインして終生幸福な結婚生活をおくるようになるのですから、あまり深読みは禁物かもしれません。
個人的には、後の自己顕示欲の塊みたいな「英雄の生涯」なんかを書くようになるシュトラウスよりは、音楽のドラマとしてスマートに、そして客観的に描ききった初期作品の方が好みです。
「どいつもこいつもお利口さんばかりになってつまらない」と思わせられる演奏かもしれません
この録音は指揮者というものの本質を考える上で非常に興味深い録音です。
カルショーは1954年にDeccaを離れてCapitolに移っていたのですが、そのCapitolがEMIに吸収されたために1955年8月に再びDeccaに復帰します。カッチェン&マークによるモーツァルトのコンチェルトが復帰後初の録音だったようです。
そしてその翌年の5月にはパリの録音現場を担当しています。
このパリの録音現場というのはDeccaの口座が開設されていて、担当者はサイン一つでそこからお金を引き出すことが可能だったようなのです。
1951年にカルショーが始めてそのポジションを与えられたときのことを以下のように回想しています。
「Deccaは、数百万の旧フランを私のサイン一つで使えるように、小切手帳をわたしてくれた。」
彼は1956年のことに関しては詳しくは述べていませんが、事情はほぼ同じであっただろうと思われます。
そして、その「自由」を生かして、彼はパリで「トリスタンとイゾルデ」の公演を行ったクナパーツブッシュのわずかな空き時間を利用して、リヒャルト・シュトラウスの交響詩を2曲録音しているのです。
実は、クナパーツブッシュはウィーンでフラグスタートとワーグナーの録音を行う予定になっていたのですが、カルショーはその録音を担当したくて胸は張り裂けんばかりだったと回想しています。
しかしながら、ウィーンはオロフの縄張りでしたから、彼にとってはどうしようもないことだったのです。
そこで、彼は自らの「抑えがたい思い」を少しでも和らげるために、彼に許された「自由」を行使したわけです。
クナパーツブッシュのリヒャルト・シュトラウスの交響詩のスタジオ録音というのは非常に珍しくて、さらにはオケがパリ音楽院管弦楽団と言うことで、この時期にその様な録音が行われたことの意味が分からないと首をかしげるクナパーツブッシュのファンも多いのですが、おそらくは上で述べたような事情だったのではないかと想像されます。
前振りが長くなってしまいました。(^^;
しかし、その録音はカルショーにとっては満足のいくものではなかったようです。
それは、パリのコンセルヴァトワールのオケに原因があります。
この音楽院のオケはフランスを代表するオケではあったのですが、規律のなさに関しては疑いもなく世界一でした。おそらく、「労働とは神が人間に与えた罰である」というカソリックの伝統が染み込んでいるのでしょう。
そして、そう言うオケに対して、クナパーツブッシュという人は決して無理強いはしないのです。オケにやる気がなければ、それを何とかしようという気持ちは決して持たず、無理のない範囲でまとめてしまうのです。
ですから、この時に録音された「ドン・ファン」と「死と変容」には、そう言うクナパーツブッシュの指揮者としてのあり方みたいなものが刻み込まれています。クナパーツブッシュという指揮者はよく「気ままな指揮者」と言われるのですが、実際気ままなのはオーケストラの方であって、クナパーツブッシュはそれにあわせてそれなりの音楽に仕上げていた面もあったのかもしれないのです。そして、「ドン・ファン」のようにゆるゆるになってしまった演奏に対してクナパーツブッシュらしさを感じて愛でる人もいるのです。
しかし、コンセルヴァトワールのオケにとって不幸だったのは、その後にショルティが乗り込んできたことでした。
おそらく、この録音を行うためにカルショーはパリにやってきていたのだと思われます。
そして、クナパーツブッシュのような偉大な指揮者であっても適当な演奏でお茶を濁すことが出来たオケは、若造の指揮者が相手となればさらに舐めた態度で録音に臨んだのでした。
ここから、両者の壮絶なバトルが始まります。
ショルティは最初のリハーサルが始まるとすぐにだらけきったオケに鞭を入れ始めます。
闘いのゴングは鳴ったのです。
翌日ショルティが録音会場に行くと、各パートの首席奏者の席には違うプレーヤーが座っているのでした。
前日行ったリハーサルは全て無駄になってしまったショルティは激怒して、この録音から降板することを主張したのです。
慌てたカルショーは首席奏者が交代しないこと条件に4回のセッションを追加することでショルティをなだめます。
オケのマネージャーもセッションの追加を喜んで、病気による欠席だけは例外と言うことでその申し出を受け入れます。
そして、1回目のセッションは何とか終えることが出来たのですが、2回目のセッションでは何人かの首席奏者(オーボエ、ホルン、トランペット、チェロ)の姿がなかったのです。
それを見て帰り支度を始めたショルティに対してオケのマネージャーは必死の言い訳を始めるのです。
「恐ろしい悲劇が起こりました。」
「食中毒なのか、それなら医師の診断書を見せろ。」
「いや、もっと恐ろしい悲劇のためです。彼らは、アルジェリアでの軍務につくために、家族から引き離されて軍服を着せられたのです。」
そして、そのマネージャーは同じような徴兵の恐怖にさらされている楽員達のためにも、どうか録音を続けてほしいと懇願したのでした。
ショルティはその言い訳に仕方なく同意して録音を継続したのですが、驚くことに次のセッションでは彼らは軍務から解放されたようで、何事もなかったかのように姿を現したのでした。
しかし、オケのマネージャーはそのまま姿をくらまして二度と録音会場に現れることはなかったのです。
そうして出来上がったのがこのチャイコフスキーの交響曲なのです。
ショルティという一切の妥協を許さない男が、全くやる気のないコンセルヴァトワールのオケの首根っこをつかんで引きずり回しているのです。
そこには、良いとか悪いとか言うレベルを超越して、ショルティという男の本質がさらけ出されているのです。
それにしても、わずか2週間ほどを隔てただけなのに、クナパーツブッシュとショルティの録音を聞き比べると、全く同じオケが演奏したものだとは信じがたいほどの違いです。
もちろん、それはどちらが優れているとか言うような問題ではなくて、指揮者の資質というものがどれほどオケの姿を変えるかの見本のような例がここに提示されているのです。
しかし、時代は明らかにショルティのような指揮者を求めていました。
そして、そう言う時の流れに最後まで抵抗し続けたコンセルヴァトワールのオケはこの10年後には解体されてしまうことになるのです。
それを「進歩」と見るのか、それとも、「どいつもこいつもお利口さんばかりになってつまらない」と思うかは、人それぞれでしょうが、そう言う流れはもはや誰にも止めることは出来なかったことだけは確かです。
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