クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~

J.S.バッハ:管弦楽組曲 第3番 ニ長調 BWV1068

ルドルフ・ケンペ指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1956年11月27日録音





Bach:Orchestral Suite No.3 in D major, BWV 1068[1.Ouverture]

Bach:Orchestral Suite No.3 in D major, BWV 1068[2.Air]

Bach:Orchestral Suite No.3 in D major, BWV 1068[3.Gavotte I-II]

Bach:Orchestral Suite No.3 in D major, BWV 1068[4.Bourre]

Bach:Orchestral Suite No.3 in D major, BWV 1068[5.Gigue]


機会音楽

ブランデンブルグ協奏曲はヴィヴァルディに代表されるイタリア風の協奏曲に影響されながらも、そこにドイツ的なポリフォニーの技術が巧みに融合された作品であるとするならば、管弦楽組曲は、フランスの宮廷作曲家リュリを始祖とする「フランス風序曲」に、ドイツの伝統的な舞踏音楽を融合させたものです。

そのことは、ともすれば虚飾に陥りがちな宮廷音楽に民衆の中で発展してきた舞踏音楽を取り入れることで新たな生命力をそそぎ込み、同時に民衆レベルの舞踏音楽にも芸術的洗練をもたらしました。
同様に、ブランデンブルグ協奏曲においても、ともすればワンパターンに陥りがちなイタリア風の協奏曲に、様々な楽器編成と精緻きわまるポリフォニーの技術を駆使することで驚くべき多様性をもたらしています。

ヨーロッパにおける様々な音楽潮流がバッハという一人の人間のもとに流れ込み、そこで新たな生命力と形式を付加されて再び外へ流れ出していく様を、この二つのオーケストラ作品は私たちにハッキリと見せてくれます。

ただし、自筆のスコアが残っているブランデンブルグ協奏曲に対して、この管弦楽組曲の方は全て失われているため、どういう目的で作曲されたのかも、いつ頃作曲されたのかも明確なことは分かっていません。
それどころか、本当にバッハの作品なのか?という疑問が提出されたりもしてバッハ全集においてもいささか混乱が見られます。

疑問が提出されているのは、第1番と第5番ですが、新バッハ全集では、1番は疑いもなくバッハの作品、5番は他人の作品と断定し、今日ではバッハの管弦楽組曲といえば1番から4番までの4曲ということになっています。


  1. 管弦楽組曲第1番 ハ長調 BWV1066
    荘厳で華麗な典型的なフランス風序曲に続いて、この上もなく躍動的な舞曲が続きます。

  2. 管弦楽組曲第2番 ロ短調 BWV1067
    パセティックな雰囲気が支配する序曲と、フルート協奏曲といっていいような後半部分から成り立ちます。終曲は「冗談」という標題が示すように民衆のバカ騒ぎを思わせる底抜けの明るさで作品を閉じます。

  3. 管弦楽組曲第3番 ニ長調 BWV1068
    この序曲に「着飾った人々の行列が広い階段を下りてくる姿が目に浮かぶようだ」と語ったのがゲーテです。また、第2曲の「エア」はバッハの全作品の中でも最も有名なものの一つでしょう。

  4. 管弦楽組曲第4番 ニ長調 BWV1069
    序曲はトランペットのファンファーレで開始されます。後半部分は弦楽合奏をバックに木管群が自由に掛け合いをするような、コンチェルト・グロッソのような形式を持っています。



些細なことにはこだわらない「劇場の人」としての側面が前面に出た演奏


ルドルフ・ケンペと言う指揮者の立ち位置というのはかなり微妙かもしれません。
今となっては堅実で手堅い演奏を行った中堅の指揮者と言うことになるのでしょうが、それでもその記憶はかなり薄れています。しかし、薄れながらもその記憶が消えてしまわないのは、70年代に「ドイツ本流の偉大なマエストロ」として大いに持て囃された過去を持っているからです。

ただし、そうやって持て囃されたのは日本だけだったと言うあたりがいかにも怪しい存在なのです。(^^;
この極東の島国では、ある演奏家に突如注目が集まるきっかけというのは「来日公演」というのが通り相場です。どれほどレコードで親しんでいようと実演に勝るものはなく、その実演がレコードで聞いていたときとは別次元の凄さだった日には一気に評価が上がるというものなのです。

その典型例がジョージ・セルでしょう。
私の中の典型はクラウス・テンシュテットでした。

もちろんその逆もあるのであって、来日公演のあまりの酷さゆえに一気に評価を下げるというパターンもあって、その典型はエルネスト・アンセルメでしょうか。
私の中での典型はリッカルド・シャイーです。

ところが、このルドルフ・ケンペの場合は病弱だったこともあったのか、結局は一度も来日していないのです。
にも関わらず不思議な形で評価が上がっていき、さらには、その上がっていく最中の60代半ばにしてこの世を去ってしまい、それが切っ掛けとなってさらに評価が加熱していったのです。

こういう日本だけの不思議な現象が起こると、「だから日本人は駄目なんだよ」という論調になって終わることが多いのですが、私は日本のクラシック音楽ファンの目利きはそれほど馬鹿にしたものではないと思っています。
レコード会社の仕掛けがあったとしても、その音楽を熱心に受け容れたという背景には、彼の音楽のどこかに日本人の琴線に触れる「何か」があったと見た方がいいのです。

そして、気づくのが、若い頃のケンペが大きな歌劇場でのポジションを歴任していたという経歴です。
1950年にはドレスデン国立歌劇場の音楽監督、1952年からはショルティの後任としてバイエルン国立歌劇場の音楽監督をつとめています。そして、1954年からはメトロポリタン歌劇場を主要な活動場所としているのです。

常々思うのは、このように劇場での経験が長い人というのは語り口が上手いと言うことです。そして、音楽を聞いての「楽しさ」というものを大切にすると言うことです。
それとは逆に、いわゆるコンサート指揮者というのは「つまらなく演奏」した方が偉く見えるという雰囲気があります。言い過ぎかな?(^^;
しかし、そう言う「つまらなくて」「難しげ」な音楽をウンウン言いながら聞いている方が偉く思えてくると言う「自虐」的な人が多いことも事実なのです。

しかし、演奏会であれ、レコードであれ、どうせお金を払って音楽を聞くのならば「楽しい」方がいいに決まっているのです。
そう言う意味で言えば、このケンペと言う指揮者はそう言う楽しく音楽を聞かせる術には長けていると言えそうなのです。そして、日本人というのは、聞く人の情にストレートに語りかけてくる音楽には機敏に反応するところがあるように思われるのです。

例えば、ここで紹介しているヘンデルやバッハというのは彼のレパートリーの中では周辺部にあるものなのでしょうが、実に楽しく聞かせてくれます。

面白いと思うのは、バッハの管弦楽組曲の冒頭部分などは金管が突出していて、どう考えてもバランスが悪いのです。
普通ならば録りなおすところなのでしょうが、ケンペは音楽の流れの中でその不都合を少しずつ修正して、序曲が終わる頃にはバランスを整えているのです。
そして、劇場的に言えばそれで事は足りているのであって、そう言う「些細」な不都合ゆえに音楽全体の流れを損なってまで切り貼りする必要は感じなかったのでしょう。

バッハの管弦楽組曲は1950年代のモノラル録音ですから牧歌的と言えば牧歌的な時代だったのです。
さすがに1962年に録音したヘンデルの「王宮の花火の音楽」ではそんな不都合はありません。しかし、音楽全体の勢いとそれによってもたらされる面白さを優先して、細部の明晰さに関してはそれほど重要視していないことは似たような雰囲気です。

そして、そう言う細部の明晰さとは響きの透明感にも留意を払うようになったのは、いわゆるコンサート・オーケストラの音楽監督に就任したことが契機となったように思えるのです。
例えば、晩年にドレスデンのオケと録音したリヒャルト・シュトラウスの管弦楽曲などでは、そのあたりのバランスが非常によくなっているように思えてるのです。
そして、そう言う変化を機敏に感じとったがゆえに日本のリスナーは彼への評価を高めたのかもしれません。

しかしながら、その様にして、まさにもう一つ高い次元へと移り変わっていく最中にケンペはこの世を去ってしまったわけです。
残念と言えば残念な話ではあったのですが、それでもこういう些細なことにはあまりこだわっていなかった「劇場の人」としての側面が前面に出た演奏も悪いものではありません。

何でもかんでも年のせいにしてはいけないのですが、それでも年を重ねると、こういうザックリとした音楽が好ましく思えてしまうのです。

よせられたコメント

2018-09-21:joshua


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