クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~

ベートーベン:交響曲第8番 ヘ長調 作品93

カール・ベーム指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1953年3月録音





Beethoven:Symphony No.8 in F major , Op.93 [1.Allegro Vivace E Con Brio]

Beethoven:Symphony No.8 in F major , Op.93 [2.Allegretto Scherzando]

Beethoven:Symphony No.8 in F major , Op.93 [3.Tempo Di Menuetto]

Beethoven:Symphony No.8 in F major , Op.93 [4.Allegro Vivace]


谷間に咲く花、なんて言わないでください。

初期の1番・2番をのぞけば、もっとも影が薄いのがこの8番の交響曲です。どうも大曲にはさまれると分が悪いようで、4番の交響曲にもにたようなことがいえます。
しかし、4番の方は、カルロス・クライバーによるすばらしい演奏によって、その真価が多くの人に知られるようになりました。それだけが原因とは思いませんが、最近ではけっこうな人気曲になっています。

たしかに、第一楽章の瞑想的な序奏部分から、第1主題が一気にはじけ出すところなど、もっと早くから人気が出ても不思議でない華やかな要素をもっています。
それに比べると、8番は地味なだけにますます影の薄さが目立ちます。

おまけに、交響曲の世界で8番という数字は、大曲、人気曲が多い数字です。

マーラーの8番は「千人の交響曲」というとんでもない大編成の曲です。
ブルックナーの8番についてはなんの説明もいりません。
シューベルトやドヴォルザークの8番は、ともに大変な人気曲です。

8番という数字は野球にたとえれば、3番、4番バッターに匹敵するようなスター選手が並んでいます。そんな中で、ベートーベンの8番はその番号通りの8番バッターです。これで守備位置がライトだったら最低です。

しかし、私の見るところ、彼は「8番、ライト」ではなく、守備の要であるショートかセカンドを守っているようです。
確かに、野球チーム「ベートーベン」を代表するスター選手ではありませんが、玄人をうならせる渋いプレーを確実にこなす「いぶし銀」の選手であることは間違いありません。

急に話がシビアになりますが、この作品の真価は、リズム動機による交響曲の構築という命題に対する、もう一つの解答だと言う点にあります。
もちろん、第1の解答は7番の交響曲ですが、この8番もそれに劣らぬすばらしい解答となっています。ただし、7番がこの上もなく華やかな解答だったのに対して、8番は分かる人にしか分からないと言う玄人好みの作品になっているところに、両者の違いがあります。

そして、「スター指揮者」と呼ばれるような人よりは、いわゆる「玄人好みの指揮者」の方が、この曲ですばらしい演奏を聞かせてくれると言うのも興味深い事実です。
そして、そう言う人の演奏でこの8番を聞くと、決してこの曲が「小粋でしゃれた交響曲」などではなく、疑いもなく後期のベートーベンを代表する堂々たるシンフォニーであることに気づかせてくれます

満開の梅の花のような潔さと剄さを持った音楽


ベームに関してはどこか奥歯に物が挟まったような物言いをしてきました。
しかし、50年代のモノラル録音からステレオ録音黎明期の彼の演奏を聴き直してみると、そう言う「留保条件」は吹き飛んでしまいます。

ベームは1894年生まれですから、50年代というのは50代後半から60代中頃までの時期をカバーします。
この時代の指揮者というのはどういう形にしろ戦争の影響を受けずにはおれませんでしたから、その影響を逃れ出て本格的に音楽に取り組めるようになった時代とも重なります。ベーム自身は1930年代のドレスデンの時代をもっとも幸福な時代だったと回顧しているのですが、ウィーンの国立歌劇場の音楽監督に再び就任した1954年は、彼のキャリアにおける頂点だったはずです。

そう言う意味でも、50年代こそは十分な経験を積み重ね、さらには精神的にも肉体的にももっとも充実した時期だったと言えるはずです。

ざっとそのようなことを、彼のリヒャルト・シュトラウスの録音を聞いたときに感じたはずなのですが、その後、なぜかそれ以外の録音を放置してしまっていました。

そして、20世紀前半の録音を掘り起こしている別のコーナーでベームの録音を聞き直しているうちに、彼が50年代に録音したベートーベンやブラームス、シューベルトというドイツ・オーストリア系のど真ん中の音楽を全く取り上げていないことに気付いたのです。
この事実には私自身もいささか驚いたのですが、それらの録音を久しぶりに聞き直してみて、なぜにリヒャルト・シュトラウスの録音を取り上げたときに同時に取り上げなかったのかの理由が思い出されました。

簡単に言えば、それらの演奏に対して、どういう言葉を呈すればいいのかがよく分からなかったのです。
もう少し分かりやすく言えば、聞き手の耳にある種のエモーショナルな感情を引き起こす事の少ない演奏なので、それを言葉に置き換えようとすると、どれもこれもがありきたりのつまらないものになってしまうのです。それならば、その演奏はそんなにもありきたりでつまらないのかと言えば、最初はそう言う感情が起こるかもしれないのですが(^^;、最後まで聞き通せば疑いもなく「立派な音楽」が鳴り響いていたことを確信させてくれるのです。

こういう音楽を言葉で表現するのは難しいですね。

ですから、リヒャルト・シュトラウスの録音に対しても「こうしてベームの録音をまとめて聞いてみると、一つの特徴が浮かび上がってきます。それは、どの録音を聞いても、オケの響きが透明で、なおかつしなやかな剄さを持っていることです。「つよさ」というのは「強さ」ではなくて「剄さ」という漢字を当てたくなるような「つよさ」です。」と書くのが精一杯だったわけです。

そして、それがベートーベンやブラームス、シューベルトみたいな音楽だとそこに積み重なってきている演奏と録音の数は膨大な量になりますから、その中でベームならではの特徴を適切な言葉で見つけ出すのはとんでもなく困難なのです。

確かに、こういうベームのような演奏を聞いていると、これに変わりうるものはいくらでもあるような気がします。
もちろん、だからといってそれは凡庸な演奏だというわけではなくて、それは疑いもなくベートーベンやブラームスを強く感じさせてくれる立派な音楽になっているのですが、それでも膨大に積み重なった落ち葉の中から自己を主張することの少ない音楽であることも事実です。
しかし、もう少し注意深く聞いてみると、「しなやかな剄さ」と書いたものの正体が少しずつ見えてきます。

口幅ったい言い方になるのですが、この世界には聞けばすぐに了解できる強い個性と、ある程度経験を積んだ耳でなければ気付きにくい個性とが存在します。ベームは典型的な後者の立場にある指揮者です。そして、この国でフルトヴェングラーやカラヤン、バーンスタインなどの人気が高いのは、彼らが典型的な前者の立場にある指揮者だからでしょう。

ベームという指揮者は徹底的に実務的な指揮者です。
それを「職人」という言葉に置き換えてもいいのかも知れませんが、個人的には「実務的な指揮者」の方がしっくりと来ます。

吉田大明神もベームの「ザ・グレイト」の録音でふれていたと思うのですが、ベームという人はオーケストラの前に立つ前から確固とした音楽のイメージが頭の中に存在している人だったようです。そして、そのイメージというのは実に細かい部分までクリアだったようで、ホンのちょっとしたアクセントやデュナーミク、そしてテンポの揺れのようなものまでが一切の曖昧さもなしに存在していたようです。

ですから、ベームのリハーサルは実にねちっこいものでした。
ベームという人は、目の前で鳴り響いているオケの音楽と、頭の中の音楽とを正確に比較検証できる並外れて優れた耳を持っていました。モネが「目」であり、ドビュッシーが「耳」だとするならば、ベームもまた「耳」だったのです。
彼は些細な部分の齟齬も見逃さず、執拗に指示を出し続けます。
その指示は一切の精神的な言葉は含まれず、ひたすら実務に徹したものだったようです。

ですから、練習嫌いで有名なウィーンフィルのなかにはそう言うリハーサルに反発するものもいたようですが、しかし、その指示は常に明確でありクリアであり、さらに言えばその結果として仕上がる音楽は立派なものだったのですから、その事を高く評価するものも少なくなかったのです。

おそらく、ベームの音楽の魅力として真っ先に数え上げられるのは、ドイツ古典派の真髄とも言うべき強固な構築性を土台としていることです。それがそれがもっとも効果を発揮するのはフィナーレの作り方で、その頂点に向けた歩みに内包された強い説得力は見事としか言いようがありません。
しかし、ベームが本当に素晴らしいのは、そこにしなやかな歌心をさりげなく、しかしこの上もなく効果的に忍び込ませたことでしょう。それは一見すれば何もしていないように見えながら、音楽にしなやかな生命力を与えています。

最晩年のベームがつまらなくなってしまったのは、おそらくは脳卒中によって身体の自由がきかなくなったためだと思うのですが、そう言う細部のしなやかさをオケに伝えることが出来なくなってしまったからでしょう。
それは、ほんの些細なことのように思えます。
しかし、そのちょっとしたテンポの上げ下げのようなものが実現できなくなった途端に音楽は明らかに硬直していくのが残酷なまでによく分かります。

大袈裟な身振りや強いエモーショナルというものは、年を重ねて衰えてきても、それがまた別の個性のように感じてもらえる「強み」があります。
しかし、ベームのような徹底的な「実務」によって成り立っている音楽は、その「実務」の些細な欠落は「音楽」そのものを大きく損なってしまうのです。

桜という花は満開を過ぎて散り始めた頃がもっとも美しいのに対して、梅の花は散り始めると痛々しいまでの欠落を感じさせます。
ベームという指揮者もまた、そう言う「梅の花」のような音楽家だったのでしょう。

そう考えれば、この50年代の録音こそは満開の梅の花のような潔さと剄さを持った音楽だっと言えます。

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