ブラームス:交響曲第3番 ヘ長調 作品90
カラヤン指揮 ベルリンフィル 1963年9月録音
Brahms:Symphony No 3 in F Major, Op. 90 [1st movement]
Brahms:Symphony No 3 in F Major, Op. 90 [2nd movement]
Brahms:Symphony No 3 in F Major, Op. 90 [3rd movement]
Brahms:Symphony No 3 in F Major, Op. 90 [4th movement]
秋のシンフォニー
ユング君は長らくブラームスの音楽が苦手だったのですが、その中でもこの第3番のシンフォニーはとりわけ苦手でした。
理由は簡単で、最終楽章になると眠ってしまうのです(^^;
今でこそ曲の最後がピアニシモで消えるように終わるというのは珍しくはないですが、ブラームスの時代にあってはかなり勇気のいることだったのではないでしょうか。某有名指揮者が日本の聴衆のことを「最初と最後だけドカーンとぶちかませばブラボーがとんでくる」と言い放っていましたが、確かに最後で華々しく盛り上がると聞き手にとってはそれなりの満足感が得られることは事実です。
そういうあざとい演奏効果をねらうことが不可能なだけに、演奏する側にとっても難しい作品だといえます。
第1楽章の勇壮な音楽ゆえにか、「ブラームスの英雄交響曲」と言われたりもするのに、また、第3楽章の「男の哀愁」が滲み出すような音楽も素敵なのに、「どうして最終楽章がこうなのよ?」と、いつも疑問に思っていました。
そんなユング君がふと気がついたのが、これは「秋のシンフォニー」だという思いです。(あー、またユング君の文学的解釈が始まったとあきれている人もいるでしょうが、まあおつきあいください)
この作品、実に明るく、そして華々しく開始されます。しかし、その明るさや華々しさが音楽が進むにつれてどんどん暗くなっていきます。明から暗へ、そして内へ内へと音楽は沈潜していきます。
そういう意味で、これは春でもなく夏でもなく、また枯れ果てた冬でもなく、盛りを過ぎて滅びへと向かっていく秋の音楽だと気づかされます。
そして、最終楽章で消えゆくように奏されるのは第一楽章の第1主題です。もちろん夏の盛りの華やかさではなく、静かに回想するように全曲を締めくくります。
そう思うと、最後が華々しいフィナーレで終わったんではすべてがぶち壊しになることは容易に納得ができます。人生の苦さをいっぱいに詰め込んだシンフォニーです。
カラヤン美学へのターニングポイント
カラヤンという男は実に慎重な男だったようです。
1954年にフルトヴェングラーが急死すると、その後を受けて1955年にはベルリンフィルの終身指揮者に就任します。普通ならば、そこでフルトヴェングラー時代とは全く違ったカラーを出して自分の「偉さ」をアピールしたくなるものです。ところが、このカラヤンという男は、実に淡々とフルトヴェングラー時代のオケの佇まいを維持していくのです。
その事は、この時代のベルリンフィルをカラヤン以外の指揮者が振ると、昔ながらの古き良き時代の田舎オケの響きがすることからも容易に納得できます。
もしかしたら、彼は「取りあえず10年!」と自分に言い聞かせていたのかもしれません。
フルトヴェングラーに変わってベルリンフィルを手中に収めたと言っても、オケの中にはフルトヴェングラーをはじめとしたかつての「巨匠」のことをよく知っている古参メンバーがたくさんいました。そんな猛者が跋扈しているオケで、若手の指揮者が何か新しいことをしようとしても、いいようにあしらわれて潰されるのが落ちです。
それが、カラヤンだったとしても事情はそれほど変わりはなかったはずです。
ですから、彼は、じっくりと時間をかけてオケの信頼を醸成し、その信頼をベースとして少しずつ自分のカラーを出していったのだと思います。そして、どうやらこのオケは自分の手の中に入ったかなと確信ができたのが、61年から62年にかけて行われたベートーベンの交響曲全集の録音だったのでしょう。
ここで彼はトスカニーニもかくやと言うほどの推進力に満ちた音楽を実現して見せました。
それは、この時代のスタンダードな価値観に照らし合わせてみれば100点満点の演奏だったと思いますから、これを持って、流石のベルリンフィルも彼の軍門に下ったと言わざるを得ませんでした。
私が最近使っている言葉を援用すれば、天辺目指して駆け上がってきた男がついに頂に立ったのです。
そして、問題はここから始まります。
頂点にたどり着いた男は、次に何処を目指すのかです。
凡は、この極めた天辺に満足してこの頂上付近をうろつくだけで一生を終えます。当然のことながら、カラヤンはそのような鈍なことはせずに、まさに、この天辺を極めた事を持って彼にとっての本当のスタートとしたのです。
つまりは、ホントの意味での「カラヤン美学」への道がここから始まるのです。
ベートーベンの録音が終わってから彼が取り組んだのはブラームスです。交響曲全曲とドイツ・レクイエム、そしてヴァイオリン・コンチェルトの録音が63年の9月から64年の4月にかけて一気に行われています。そして、その合間を縫うようにチャイコフスキーの悲愴(64年2月)とドヴォルザークの新世界より(64年3月)が録音されています。
これらは明らかに、ベートーベンの交響曲とはテイストが違っています。
ベートーベンが明らかに強力な推進力によって音楽を成り立たせようとしていたのと比べれば、この63年以降の録音では旋律線の横への流れが重視されています。そして、そのラインをできる限り目のつまった美音で表現しようという意図が垣間見られます。
かつて、カラヤン美学のことを、「20世紀の前半でフルトヴェングラーやトスカニーニが築き上げた指揮芸術というものに、まだ違うアプローチがあることをかぎ取り、そのかぎ取った世界をものの見事なまでに現実化したことにある」と書いたことがあります。では、その違うアプローチとは何かと言えばそれは「ホロヴィッツ的な指揮者」への道でした。
もっと、分かりやすく言えば、ホロヴィッツやハイフェッツが、クラシック音楽という世界は「精神性」だけで成り立っているわけではないという当たり前の事実をものの見事に腕一本(いや、二本か?)で証明して見せたように、指揮芸術においても、つまらぬ知性などはどこかに放り出して、鬼のようなトレーナーと化してオケを鍛え上げ、究極のシンセサイザーとして超絶的にゴージャスで美麗なる音楽を聴かせることだけで成り立つことを証明して見せたのです。
そして、そう言う、天辺極めた指揮者が踏み出すにはとんでもなく勇気がいる世界に、カラヤンはこの63年頃を一つの区切りとして踏み出したのです。
ですから、この道に踏み出したカラヤンにとっては、「精神性の足りない表面的な美しさだけに終始した音楽」などと言う批判は、ほとんど褒め言葉に近かったはずです。それは、あのショーンバーグに「猫ほどの知性もない」と批判されても全く意に介しなかったホロヴィッツと全く同じです。
彼らは、精神性などと言う意味不明の代物を持ち出してこなくても、鍛え上げた響きによる音のサーカスとしてだけでクラシック音楽が成り立つことを秘めやかに主張し、そして大らかに実践していたのですから。
そう言う意味で、この63年から64年にかけての一連の録音は意義深いものだと言えます。
もちろん、これが嫌いだという人もいるでしょう。しかし、そう言う人が存在していることこそが実は意味があるのです。
概ね多くの人から好意的に受け入れられたのに、2~3年もすれば誰の記憶にも残らないような演奏よりは100倍も意味があるのです。いかにこのカラヤンの道を否定するとしても、その意図あるアプローチには敬意を表さねばならないのです。
カラヤンは手兵のベルリンフィルと都合3回のブラームスの交響曲を全曲録音しています。そして、ある人がそれを「60年代=素直、70年代=ドーピング、80年代=重厚」と評していて、「70年代=ドーピング」には、あまりにもピッタリの表現なので思わず笑ってしまいました。
しかし、「素直」と評されたこの63年録音のブラームスも、50年代の初めにフィルハーモニア管と録音した最初の全曲録音と比べれば、遙かに横の線を意識した流麗な音楽になっていて、まとがいなく「ドーピング」し始めた雰囲気が漂っています。
そして、その事は、この少し前にウィーンフィルと録音した59年盤のブラームスの1番を聞いても感じ取れます。
低弦をしっかりと響かせた上にそれぞれの楽器が美しく響くので、おそらくこれを初めて聞いた当時の人は「うっとり」したであろう事は容易に想像がつきます。ここには、若い時代に「ドイツのミニ・トスカニーニ」といわれた面影は全くなくて、まさにカラヤンならではの個性が刻印されています。
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