チャイコフスキー:交響曲第6番 ロ短調, Op.74 「悲愴」(Tchaikovsky:Symphony No.6 in B minor, Op.74 "Pathetique")
アルトゥーロ・トスカニーニ指揮 NBC交響楽団 1947年11月24日録音(Arturo Toscanini:NBC Symphony Orchestra Recorded on November 24, 1947)
Tchaikovsky:Symphony No.6 in B minor, Op.74 "Pathetique" [1.Adagio - Allegro non troppo]
Tchaikovsky:Symphony No.6 in B minor, Op.74 "Pathetique" [2.Allegro con grazia]
Tchaikovsky:Symphony No.6 in B minor, Op.74 "Pathetique" [3.Allegro molto vivace]
Tchaikovsky:Symphony No.6 in B minor, Op.74 "Pathetique" [4.Adagio lamentoso]
私は旅行中に頭の中でこれを作曲しながら幾度となく泣いた。

チャイコフスキーの後期の交響曲は全て「標題音楽」であって「絶対音楽」ではないとよく言われます。それは、根底に何らかの文学的なプログラムがあって、それに従って作曲されたというわけです。
もちろん、このプログラムに関してはチャイコフスキー自身もいろいろなところでふれていますし、4番のようにパトロンであるメック夫人に対して懇切丁寧にそれを解説しているものもあります。
しかし6番に関しては「プログラムはあることはあるが、公表することは希望しない」と語っています。弟のモデストも、この6番のプログラムに関する問い合わせに「彼はその秘密を墓場に持っていってしまった。」と語っていますから、あれこれの詮索は無意味なように思うのですが、いろんな人が想像をたくましくしてあれこれと語っています。
ただ、いつも思うのですが、何のプログラムも存在しない、純粋な音響の運動体でしかないような音楽などと言うのは存在するのでしょうか。いわゆる「前衛」という愚かな試みの中には存在するのでしょうが、私はああいう存在は「音楽」の名に値しないものだと信じています。人の心の琴線にふれてくるような、音楽としての最低限の資質を維持しているもののなかで、何のプログラムも存在しないと言うような作品は存在するのでしょうか。
例えば、ブラームスの交響曲をとりあげて、あれを「標題音楽」だと言う人はいないでしょう。では、あの作品は何のプログラムも存在しない純粋で絶対的な音響の運動体なのでしょうか?私は音楽を聞くことによって何らかのイメージや感情が呼び覚まされるのは、それらの作品の根底に潜むプログラムに触発されるからだと思うのですがいかがなものでしょうか。
もちろんここで言っているプログラムというのは「何らかの物語」があって、それを音でなぞっているというようなレベルの話ではありません。時々いますね。「ここは小川のせせらぎをあらわしているんですよ。次のところは田舎に着いたうれしい感情の表現ですね。」というお気楽モードの解説が・・・(^^;(R.シュトラウスの一連の交響詩みたいな、そういうレベルでの優れものはあることにはありますが。あれはあれで凄いです!!!)
私は、チャイコフスキーは創作にかかわって他の人よりは「正直」だっただけではないのかと思います。ただ、この6番のプログラムは極めて私小説的なものでした。それ故に彼は公表することを望まなかったのだと思います。
「今度の交響曲にはプログラムはあるが、それは謎であるべきもので、想像する人に任せよう。このプログラムは全く主観的なものだ。私は旅行中に頭の中でこれを作曲しながら幾度となく泣いた。」
チャイコフスキーのこの言葉に、「悲愴」のすべてが語られていると思います。
トスカニーニの悲愴
彼が悲愴を演奏すれば、おそらくはそうなるだろうと言う、予想というか期待というか、そう言うものにしっかりと答えてくれる演奏に仕上がっています。そして、こういう演奏でチャイコフスキーを聴くと、彼の音楽の根底には西洋古典派の形式感がドッシリと腰をすえているのだと言うことを改めて再認識させてくれます。
そう言えば最晩年のバーンスタインはこの作品を1時間近くもかけて演奏して、まるでマーラーのように響かせていました。
あれはこのトスカニーニの演奏とは対極にあります。トスカニーニの演奏でこの作品を聴くとそれとは全く正反対の方向性、つまり、悲愴といえどもチャイコフスキーの交響曲はベートーベンの正当な後継者であるという印象を受けます。
どちらが好きかと聞かれれば困ってしまいますが、そう言う相反する二面性を内包しているところにチャイコフスキーの本質があるのかもしれません。
録音は1947年ですがきわめて優秀で大変聞きやすい音に仕上がっています。
よせられたコメント
2010-12-11:シューベルティアン
- この演奏を「いまいち」という人、フィラデルフィアとのコンビのほうがよいという人などいるようですが、…ある水準に達した音楽、少なくともただの騒音と「音楽」の違いがはっきりわかる程度までに達したものなら、いいとかわるいとかいう評価は意味をなさないと思います。
トスカニーニの演奏は直線的で、立ち止まって考えるということがない。そこのところを捉えて「精神性」に欠けるという評価がしばしばなされますが、これだけ直進的になるためにどれほどの努力と工夫がなされているか、それが聞き取れないのは、まったく聞こうとしない耳だけではないでしょうか。
ショルティやセルの評価にも同じことがいえると思います。このところ、名演奏家の伝記やドキュメンタリーをいろいろと見ているのですが、見て損はないものですね。「音楽とは関係ない」とわたしは初め思っていたんですが、ある演奏を名演とか凡演とか駄演とかいって割り切ってしまう、そういう見方が自分にも深く染み付いていることに気づかされます、ああいったドキュメンタリーを見ていると、とにかくたった三十分や一時間の演奏のために、どれほど多くのことが考えられ、試験にかけられているか、その努力の量と質に意識を向けさせられます。
このトスカニーニの悲愴にしても、あまりこの指揮者向きじゃないだろうと、最初の二分だけ聞いてそれきりになっていたのですが、それはまったく聞いていないのと同じことであったと、今度あらためて聞いてはっきりと気づかされました。ベートーベンを演奏するときと同じように、この指揮者は作曲家の心になりきって、個人的なあらゆる迷いや心弱さを振り捨てている。
このサイトのおかげです。ありがとうございます。
2019-04-29:joshua
- opus~というレーベルの板起しらしき同演奏を聴いて、
なんて音が悪いのか、と驚きました。
故U氏が特殊装置で聴いているのか、おそらく、CDといってもmp3に落としたり、Bluetoothで聴いたりしても真価はわからないんでしょうか?
こんなことでは多くの人が絶賛するこの演奏の良さが分からずじまいだと、そこで思い出したのが、このページ。
この音なら納得。良いスピーカーにつないで2度納得。
2024-01-09:赤間 隆
- 緊張感と熱さのある素晴らしい演奏と、当方の貧弱な再生装置でも分かる素晴らしい録音でした。今の気分ではこの曲のベストワンです。有り難うございました。
2024-07-22:ken1945
- 少年時代、自宅のSPレコードでよく聴いた。後で知ったが、昭和27年頃戦後米国からの初めて新譜として発売された。全盛期の構成美に満ちた格調ある演奏で今日でも十分通用する名演奏。追従者を多く輩出したのもうなづける。ほかに1938年のライブの白熱演奏、フィラデルフィアとのロマン派ベースの演奏、1954年の引退直前のステレオ演奏などあるが、本録音は品質も許容でき今日でも座右の名盤である。
2025-06-08:望月 岳志
- ハイフェッツと共演したベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲と、この「悲愴」交響曲をSPレコード時代に愛聴していた父が5月に逝去しました。
父が90代になった頃はちょうど新型コロナ禍の時期に重なり、復刻されていい音で聞けるようになったこれらの音源を聞かせて上げることができなかったのが、返す返す残念です。
SPレコード「悲愴」交響曲は、重厚な化粧箱入り、ベートーヴェンの協奏曲の方はバラ売りで購入したのか、箱はなく袋入りで残されています。(余白にはメンデルスゾーンの「歌の翼に」のヴァイオリンソロ編曲版が収録されていますが、この復刻音源がなかなか見つからないでいます)
。父の愛した演奏を、父を偲びながら聴かせていただきます
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