モーツァルト:ピアノソナタ第14番 ハ短調 K 457
(P)ペルルミュテール 1956年録音
Mozart:ピアノソナタ第14番 ハ短調 K 457 「第1楽章」
Mozart:ピアノソナタ第14番 ハ短調 K 457 「第2楽章」
Mozart:ピアノソナタ第14番 ハ短調 K 457 「第3楽章」
ベートーベンに強い影響を与えた作品
モーツァルトは幸福感に満ちたK330からK333の4曲に続いて、さらに翌年にはK 457のハ短調ソナタを書いています。これはきわめて劇的な性格を持ったソナタであり、後のベートーベンにもっとも強く影響を与えた作品だといわれています。また、このソナタはK475の幻想曲ハ短調とセットで演奏されることが多くて、その関係が昔からいろいろと取りざたされてきた作品でもあります。
このソナタはモーツァルトの弟子であったトラットナー夫人のために書かれたものです。当時のコンサートではソナタの演奏に先立って幻想曲風の即興演奏を披露する事がよくあったそうです。演奏者がモーツァルト本人ならば、お得意の即興演奏を披露してからソナタにはいるのは何の問題もなかったでしょうが、演奏者が夫人の場合となるとそれはちょっと困ったことになります。そこで、おそらくはトラットナー夫人がコンサートで演奏するときのために、前半で披露する即興演奏を作曲してあげたのがハ短調の幻想曲ではなかったのかというのが現在の定説となっているようです。
おそらくは必死で暗譜したトラットナー夫人は即興であるかのようにこの幻想曲を演奏し、その後に譜面を前にしてハ短調ソナタを演奏したのではないでしょうか。しかし、当時のピアノの可能性を限界まで使い切ったと思えるほどに広い音域とダイナミックな音量が求められるこのソナタを提供されたトラットナー夫人はそれなりの技量を持った女性であっただろうことが想像されます。
今の私には荷が重過ぎる
1956年はモーツァルトの生誕200年に湧いた年で、この年に向けて多くのレコード会社が意欲的な録音を企画し実行に移していきました。例えば、デッカは総力を挙げてこの年に照準を合わせて4大オペラの録音に取り組みました。EMIは1953年にはギーゼキングが世界初のピアノソナタのコンプリートを完成させています。そんな中の一つにこのペルルミュテールによるピアノソナタのコンプリートがありました。
ペルルミュテールはラヴェルの高弟と言うことで、基本的には「ラヴェル弾き」と思われているのですが、このコンプリートの依頼を受けてから積極的にモーツァルトを取り上げるようになっています。もちろん、モーツァルトの録音はこれが最初だと思うのですが、それまでもコンサートではよく取り上げていたようです。しかし、録音という形でモーツァルトと正対するようになってからは、次のように語っています。
「これまでモーツァルトは数多く弾いてきた。だけど今の私には荷が重過ぎる。」
いささか出来すぎた言葉だとは思うのですが、しかし、このコンプリートの録音を聞くと、なるほどな!と思わせられる部分があることも事実です。
とにかくこの演奏は「謙虚」です。
これほどまでも、演奏者の「我」が前面に出ない演奏は珍しいのではないでしょうか。とにかく、つまらないルパートや装飾というものが一切ないので、モーツァルトの音楽が実にクリアに、明晰に浮かび上がってきます。演奏者が「まあ、こんなモンだろう!」という感じで適当に弾きとばしている部分が全くない演奏で、細部の細かい音の動きの一つ一つまでもが確信を持って再現されていきます。その事が結果として、モーツァルト作品の持つ光と影の微妙な交錯が鮮やかなまでに浮かび上がらせてくれます。
なるほど、こういうごまかしのきかない音楽作りでモーツァルトと向き合えば、荷が重すぎると感じるのは当然のことだと納得させられた次第です。
パッと聞いただけでは何の変哲もないありきたりのモーツァルトに聞こえるかもしれませんが、この「変哲もないモーツァルト」を成り立たせるためには、その下部構造においてどれだけの労力がつぎ込まれている事かと呆然とさせられます。
そういう意味では、この演奏は基本的には50年代を席巻した新即物主義の流れの中にあるギーゼキングの業績と同じベクトルを持っています。
しかし、同じベクトルとはいってもギーゼキングにはないものをペルルミュテールは持っています。それが、音色のヨロコビであり、それこそがこの演奏の最大の魅力となっているように思えます。
ユング君はかつてギーゼキングの演奏の歴史的価値を認めながらも「今日の贅沢な耳からすればもう少し愛想というか、ふくよかな華やぎというか、そういう感覚的な楽しみが少しはあってもいいのではないかと思う側面があることも事実です。」と書いたことがあります。この二人、ギーゼキングとペルルミュテールは、モーツァルトに真摯に仕えるというスタンスは同じですが、ペルルミューテルにあってギーゼキングにないのはこの「ふくよかな華やぎ」です。
確かに、ギーゼキングの透明感に満ちた音色も素晴らしいものですが、それがモーツァルトに最適なものか?と聞かれれば疑問なしとは言えません。それに対して、このペルルミュテールの音色にはモーツァルトに相応しい何とも言えないふくよかな華やぎがあります。おそらく、そのかなりの部分がプレイエルのピアノが貢献しているでしょうし、残りの部分をラヴェルが絶賛した繊細に音色を紡ぎ出す彼のタッチが貢献しているのでしょう。
誰かが、この演奏のことを、ピアノ好きにとっては「マタタビ」のような魅力があると語っていました。一度はまってしまえば、これ以外は受け入れられないと思わせるような「魔力」を持った演奏です。
そのためか、この録音は中古市場では天文学的な価格で取引されていました。(聞くところによると、6枚セットのLP全集が100万円!!)
まさに、「マタタビ」のなせる技です。
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