ドヴォルザーク:スラブ舞曲 第2集 作品72(Dvorak:Slavonic Dances Op.72)
クルト・ザンデルリング指揮 レニングラード・フィルハーモニー交響楽団 1952年&1954年録音(Kurt Sanderling:Leningrad Philharmonic Orchestra Recorded on, 1952 & 1954)
Dvorak:Slavonic Dances Op.72 [1.Odzemek (E minor)]
Dvorak:Slavonic Dances Op.72 [2.Dumka (B major)]
Dvorak:Slavonic Dances Op.72 [3.Skocna (F major)]
Dvorak:Slavonic Dances Op.72 [4.Dumka (Dm major)]
Dvorak:Slavonic Dances Op.72 [5.Spacirka (Bm minor)]
Dvorak:Slavonic Dances Op.72 [6.Polonaise (Bm major)]
Dvorak:Slavonic Dances Op.72[ 7.Kolo (C major)]
Dvorak:Slavonic Dances Op.72 [8.Sousedska (Am major)]
メランコリックで美しい旋律を持った作品が多い
スラブ舞曲の予想以上の大成功に気をよくした出版業者のジムロックは早速に第2集の作曲をドヴォルザークに依頼します。しかし、第1集の大成功で名声を確立したドヴォルザークは、彼が本来作曲したかったような作品の創作へと向かっていました。速筆のドヴォルザークにしては珍しく時間をかけてじっくりと取り組んだピアノ三重奏曲ヘ短調やヴァイオリン協奏曲、交響曲の6番、7番などが次々と生み出されるのですが、スラブ舞曲の第2集に関しては固辞していました。
しかし、その様な「大作」だけでは大家族を養っていくことは困難だったようで、ある程度の稼ぎを得るためには「売れる」作品にも手を染めなければいけませんでした。そして、その様な仕事はドヴォルザークの心をブルーにし、鬱屈した思いが募っていきました。そんな、ドヴォルザークに妻のアンナは散歩に出かけることをよくすすめたそうです。
すると、ドヴォルザークは葉巻を一本加えては汽車を見に行きました。ドヴォルザークにとって音楽の次に好きだったのが汽車だったのですが、その大好きな汽車を眺めているうちに鬱屈した思いも消え去って、再び元気になって帰宅したというエピソードが残されています。
そんなドヴォルザークに対してジムロックはついに第1集の10倍という破格のギャラで第2集の作曲をドヴォルザークに懇願します。はたして、この金額が彼の心を動かしたのかどうかは定かではありませんが、今まで断り続けてきたこの仕事を、1886年になってドヴォルザークは突然に引き受けます。そして、わずか一ヶ月あまりで4手のピアノ楽譜を完成させてしまいます。
もちろん、だからといって、この第2集はお金目当てのやっつけ仕事だったというわけではありません。
ドヴォルザークは第1集において、この形式においてやれるべき事は全てやったという自負がありました。それだけに、これに続く第2集を依頼されても、それほど簡単に第1集を上回る仕事ができるとは思えなかったのもこの仕事を長く固持してきた理由でした。ですから、彼が第2集の仕事を引き受けたときには、それなりの成算があってのことだったのでしょう。
この第2集では、チェコの舞曲は少ない数にとどめ、他のスラブ地域から様々な形式の舞曲が採用されています。また、メランコリックで美しい旋律を持った作品が多いのもこの第2集の特徴です。明らかに、第2集の方が成功をおさめた巨匠のゆとりのようなものが感じ取れます。そう言う意味では、第1集よりはこちらの方が好きだという人も多いのではないでしょうか。
なお、この第2集もピアノ用に続いてオーケストラ版も出版されて、今ではそちらの方が広く流布しています。
第1番:モルト・ヴィヴァーチェ ロ長調 4分の2拍子
第2番:アレグレット・グラッティオーソ ホ短調 8分の3拍子
第3番:アレグロ ヘ長調 4分の2拍子
第4番:アレグレット・グラッティオーソ 変ニ長調 8分の3拍子
第5番:ポーコ・アダージョ 変ロ短調 8分の4拍子
第6番:モデラート・クアジ・ミヌエット 変ロ長調 4分の3拍子
第7番:アレグロ・ヴィヴァーチェ ハ長調 4分の2拍子
第8番:グラッティオーソ・エ・レント・マ・ノン・トロッポ クアジ・テンポ・ディ・ヴァルセ 変イ長調 4分の3拍子
「紳士的な態度」と「厳しい音楽的要求」
クルト・ザンデルリングと言えばソ連の指揮者だったように思われるのですが、生まれは東プロイセンで、指揮者としてのキャリアのスタートはベルリン市立歌劇場のコレペティトゥールでした。
転機となったのはナチス政権の台頭でした。
ユダヤ系だったザンデルリングはドイツでの活動の場を失い、1935年にソ連に亡命せざるを得なくなりました。そして、1937年にモスクワでモーツァルトのオペラ「後宮からの誘拐」を指揮してソ連での活動を開始しました。
そして、1941年にレニングラード・フィルハーモニー交響楽団の第1指揮者に就任したことが飛躍の切っ掛けとなりました。
言うまでもなく、エフゲニー・ムラヴィンスキーとの出会いです。
もともと二人の指揮者としてのスタイルは対照的なものでした。
ムラヴィンスキーはオーケストラに対して極めて厳格で、容赦のない「規律の鬼(disciplinarian)」でした。そして、1回の本番のために、何十時間もの過酷なリハーサルを重ねることで有名でした。
それに対し、ザンデルリングは楽員に対して同じ目線に立つ「同僚(colleague)」として接しました。
しかし、ショスタコーヴィチの新作交響曲などが発表される際、ムラヴィンスキーの緊張感に満ちた世界初演を受けて、その後の連続公演や再演をザンデルリングが引き受けるというスタイルが定着していきました。
このスタイルはオケにとってもありがたかったことでしょう。もしも、ムラヴィンスキーの指揮で連続公演を続けなければいけなかったら、…考えただけでも…恐ろしいことです。
しかし、そういう日々の中で、ザンデルリングはムラヴィンスキーから多くのものを吸収しました。それは、「歌劇場のコレペティトゥール」からスタートとするドイツ伝統の環境で育った彼にしてみれば、異次元の世界だったはずでsy。
オーケストラのアンサンブルを極限まで磨き上げるための「妥協なき緻密なリハーサル技術」、「音の正確性への執念」等々…。
そして、ムラヴィンスキといえば、演奏会ごとの音楽の世界に、自分の生活のすべてを染めていく指揮者でした。
そんなムラヴィンスキーの姿勢から、彼は技術以上のものを学び取ったはずです。
ザンデルリングは1960年に東ドイツへ帰国します。そこで、創設から数年しか経っていないベルリン交響楽団の首席指揮者に就任します。
そして、歴史も浅く二流とみなされていたベルリン交響楽団を、わずか数年で「東ベルリンの雄(西のベルリン・フィルに対する東の意地)」へと育て上げました
とはいえ、それはムラヴィンスキーから学んだ手法を駆使したわけではなかったようです。
ザンデルリングは楽員一人ひとりを同僚として、そしてプロフェッショナルとして扱いました。
リハーサルでは「なぜここでこの音色が必要なのか」「スコアに何が書かれているか」を熱心に説明し、納得させる対話型のアプローチを取りました。
楽員たちは「指揮者に従わされている」のではなく、「自分たちが主体となって音楽を作っている」という誇りを持つようになり、オーケストラの自発性が劇的に向上しました。
しかし、そう書くと自主性尊重のようにも見えるのですが、それもまた少し異なったようです。
彼は態度こそ温厚で紳士的でしたが、音楽的な要求においてはムラヴィンスキー譲りの徹底的な完璧主義を貫きました。。
彼は楽員の音程、リズム、ボウイングのわずかなズレも妥協せず、セクションごとに徹底的な居残り練習や細部へのこだわりを求めました。
「紳士的な態度」と「厳しい音楽的要求」
この二つの絶妙なバランスが、楽員たちの反発を招くことなく、オーケストラの技術を驚異的なスピードで引き上げる原動力となりました。
言ってみれば、己の基本的なスタンスは手放すことなく、そこにムラヴィンスキーから学んだ多くのことを巧みに流し込んだのです。
その結果として、ザンデルリングが統治したベルリン交響楽団は、「黒光りするような、深く渋い、地を這うような弦楽器の響き」を持つようになりました。そして、それっ一つのブランドとしての価値を持つようになったのです。
そして、そのブランドは、彼ザンデルリングがレニングラード・フィルで体感したロシア的な重厚さと、ドイツ伝統の堅牢な造形美を融合させたものでした。
ザンデルリングはベルリン交響楽団での手腕を買われ、1964年からシュターツカペレ・ドレスデンの首席指揮者も兼務します。
そして、ここでも彼は「同僚」として伝統ある楽員たちの自尊心を尊重しながら、レニングラード仕込みの強靭なダイナミズムを作り上げていきました。
ザンデルリングのオーケストラ統治は、強権的な指揮者が多かった20世紀後半において、「厳格なトレーニングと、楽員への人間的なリスペクトは両立できる」ということを証明した極めて稀有な成功例でした。
よせられたコメント
【最近の更新(10件)】
[2026-10-13]
ドヴォルザーク:スラブ舞曲 第2集 作品72(Dvorak:Slavonic Dances Op.72)
クルト・ザンデルリング指揮 レニングラード・フィルハーモニー交響楽団 1952年&1954年録音(Kurt Sanderling:Leningrad Philharmonic Orchestra Recorded on, 1952 & 1954)
[2026-10-11]
ヴィオッティ:ヴァイオリン二重奏曲 ト長調(Viotti:Duet for Violin Solo in G minor)
(Vn)ジョコンダ・デ・ヴィート:(Vn)イェフディ・メニューイン 1955年12月4日&6日録音(Gioconda de Vito:(Vn)Yehudi Menuhin Recorded on Decembr 4&6, 1955)
[2026-10-09]
ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲 ハ長調 「喜び」 Op. 8, No. 6, RV 180(Vivald:Violin Concerto in C Major, Op. 8, No. 6, RV 180, "Il piacere")
(Vn)フェリックス・アーヨ:イ・ムジチ合奏団 1961年9月20日~28日録音(Felix Ayo:Musici, I Recorded on September 20-28, 1961)
[2026-10-07]
J.S.バッハ:カンタータ第51番「全地よ、神を向かえて歓呼せよ」,BWV 51(J.S.Bach:Cantata: "Jauchzet Gott in Allen Landen", BWV 51)
(S)エリーザベト・シュヴァルツコップ:ペーター・ゲルホルン指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1950年10月6日録音(Elisabeth Schwarzkopf:(cpn)Peter Gellhorn Philharmonia Orchestra Recorded on October 6, 1950)
[2026-10-05]
J.S.バッハ:管弦楽組曲第4番 ニ長調 BWV1069(J.S.Bach:Orchestral Suite No.4 in D major, BWV 1069)
クルト・レーデル指揮:ミュンヘン・プロ・アルテ室内管弦楽団 1962年2月録音(Kurt Redel:The Pro Arte Chamber Orchstra of Munich Recorded on February, 1962)
[2026-10-02]
ルイス・デ・ミラン:「エル・マエストロ」からのファンタジア、舞曲、そしてロマンセ(Luys Milan:Fantasias, Dances And Romances From El Maestro)
(Lute)ヴァルター・ゲルヴィッヒ:(T)ベルンハルト・ミヒャエリス 1956年11月30日~12月1日録音(Walter Gerwig:(T)Bernhard Michaelis Recorded on Novembar 30~December 1, 1956)
[2026-09-30]
ヴィヴァルデ:オーボエ協奏曲 ハ長調, Rv.447(Vivaldi:Oboe Concerto in C major, RV.447)
レナート・ファッサーノ指揮:(Ob)レナート・ザンフィーニ ローマ合奏団 1958年発行(Renato Fasano:(Ob)Renato Zanfini Virtuosi Di Roma Published in 1958)
[2026-09-28]
マヌエル・ポンセ:南の協奏曲(Manuel Ponce:Concierto del Sur)
(Gt)アンドレス・セゴビア:エンリケ・ホルダ指揮 シンフォニー・オブ・ジ・エア 1958年録音(Andres Segovia:(con)Enrique Jorda the Symphony of the Air Recorded in 1958)
[2026-09-26]
モーツァルト:モテット「踊れ、喜べ、幸いなる魂よ」{エクスルターテ・ユビラーテ), K.165(Mozart:Exsultate, Jubilate, K.165/K.158A)
(S)エリーザベト・シュヴァルツコップ:ワルター・ジュスキント指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1947年5月26日,28日録音(Elisabeth Schwarzkopf:(con)Walter Susskind Philharmonia Orchestra Recorded on May 26,28, 1947)
[2026-09-24]
マラン・マレー:組曲第4番 ニ長調(Marin Marais:Suite No. 4 In D Major)
アウグスト・ヴェンツィンガー:(Vdg)ハンネロレ・ミュラー (harpsichord)フリッツ・ノイマイヤー 1956年4月4日~5日録音(August Wenzinger:(Vdg)Hannelore Mulle (harpsichord)Fritz Neumeyer Recorded on April 4-5, 1956)