バルトーク:弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽 Sz.106
ショルティ指揮 ロンドンフィル 1955年4月録音
Bartok:弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽 Sz.106 「第1楽章」
Bartok:弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽 Sz.106 「第2楽章」
Bartok:弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽 Sz.106 「第3楽章」
Bartok:弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽 Sz.106 「第4楽章」
最もバルトークらしい作品
「バルトークの作曲技法」という本があります。
その中で、この作品が取り上げられてフィボナッチ数列による黄金比の適用だとか、中心軸のシステムなんかについて詳細に述べられているそうです。実際、バルトーク自身もそのようなミクロ的視点というか、手法を使ってこの作品を作曲したのでしょうから、そのような分析もまた意味のあることなのでしょうが、聞き手にとってはそのような難しいことを全く知らなくてもこの作品に通底している透明感みたいなものを感じ取ることは容易いことです。そして、実に「厳しい」音楽でもあります。
この作品は2組の弦楽器群とピアノ、さらに各種打楽器という編成です。トラディショナルな観点から見ればかなり変則ではあるのですが、こういうのがバルトークは好きだったようです。4楽章構成からなり、さらにこんな事は書かなくても聞けばすぐに分かるのですが、緩ー急ー緩ー急という流れになっています。こういうシンメトリカルな構成もまたバルトークのお気に入りだったようです。(~ ~;)ウーン
さらに、これまた聞けばすぐに分かるように前半のどこかトラディショナルな世界と後半の民族色の濃い世界がこれまた際だった対比を示していて、こういうのもまたバルトークは好きだったようです。ヽ(´〜`;)ウーン
ということで、その外形においても、鳴り響く音楽の質においても、まさにバルトーク的な世界が堪能できる作品になっているわけです。
ただし、この作品が書かれたのは、ハンガリーを捨ててアメリカに亡命せざるをえなくなるぎりぎりの状態で書かれたことは最後に付け加えておきましょう。そして、弦楽四重奏曲の第6番もそうなのですが、この極限状態の中で書かれた作品には不思議な「聞きやすさ」があります。言葉をかえれば、どこか人肌のぬくもりを感じるような部分がはっきりと表面にあらわれてきているのです。その意味では、初めてバルトークにふれるには「管弦楽のための協奏曲」や「ピアノ協奏曲第3番」などと並んで相応しい作品の一つだといえるかもしれません。
さらに付け加えれば、その聞きやすさは、聞くに耐えないゲンダイ音楽を追い求める人たちからは「妥協」だの「後退」だのと批判されてきた経緯もあるのですが、70年以上も経過してみると、そう言う批判のいかに戯言であったかが誰の目に明らかになったといえると思います。でも、作曲部門のコンクールなんか見ていると明らかでない人もいるなぁ・・・(~。~;)~ ほえ?
何故か日本での評価がとっても低いです・・・。
「悪意と偏見」という言葉が頭をよぎるぐらいに日本での評価が徹底的に、そうまさに徹底的に低いのがサー・ゲオルグ・ショルティです。しかし、彼の作り出す音楽がどれほどお気に召さなくても、彼が22シーズンにわたって鍛え上げたシカゴ交響楽団の圧倒的な能力は認めざるを得ないはずです。にもかかわらず、日本の評論家たちは彼のことをことあるごとに徹底的にこき下ろしてきました。実に不思議なことです。
ショルティの特徴はモーツァルトのレクイエムを振ってもそれがヴェルディのレクイエムのように響いてしまうことです。その事は、シカゴ・トリビューン誌の追悼記事にこの上もなく簡潔に表現されていました。
『あるニューヨークの評論家はショルティを指揮台で「祈るカマキリ」と称したが、それは疑いもなく賛辞であった。もっと慈悲のない音楽家は、彼を「叫びたてるガイコツ」と呼んだ。ショルティが音楽を想像するとき、彼は取りつかれた人と化し、獰猛さとダイナミズムをもってオーケストラに突進したものだが、それは有名な「ショルティの指ならし」で規則づけられる。この指ならしは、正確な拍子を示しいるが、この拍子こそ展開するスコアの詳細をすべてコントロールするしていることを明確に表わしているのだ。』
つまりは、日本の「通のクラシック音楽ファン」は、直線的でオケを徹底的にならしきるような音楽作りが好きではないのです。何故か彼らが愛するのはフルヴェンやクナのような曲線的な音楽です。
ユング君はもちろんクナもフルヴェンも大好きですが(そして、テンシュテットののたうち回るような音楽も大好きですが)、それと同じほどに、いや、それ以上にセルやトスカニーニが好きです。ああ、でも考えてみればセルも長い間「冷たい機械」みたいなレッテルを貼られるづけてきたし、トスカニーニに関してもその歴史的名声ゆえにそれほど酷い悪罵は投げつけられはしませんでしたが、それでも「敬して遠ざける」という扱いでした。
セルに関して言えば、主にネット上で熱烈なセルファンが彼にオマージュを捧げることで、一部の評論家が作り上げた虚像を打ち壊していきました。トスカニーニに関しては、彼の録音がパブリックドメインとなって多くの音楽ファンに聞かれるようになって、その真価が再確認されるようになりました。
ショルティに関しても、彼の初期録音がパブリックドメインとなることで広く流布するようになれば、また評価も変わってくるのではないでしょうか。
彼は決して脳みそ空っぽの体育会系指揮者ではないのです。
よせられたコメント
2009-11-18:カンソウ人
- ハンガリー系の名指揮者というと、ショルティ、セル、ライナー、ケルテス、等かな。
ケルテスは少し感じが違うけど、音楽が直線的な感じがするのは確かだと思う。
オーケストラの機能美を前面に押し出しているので聴き映えがする。
オーケストラの自主性を引き出すというよりも、自分の音楽をやらせるという感じがする。
問題は、演奏が良いかどうかだ。
フォルテと言えばフォルテ、ピアノと言えばピアノ、クレッシェンドと言えばクレッシェンドでは音楽の底が浅い感じに当然なる。だからと言って、クナッパーツブッシュがシカゴやクリーブランドのオケで成果が上がったかどうかは疑問である。
練習では機能性重視で絞っておきながら、本番ではそれのみにあらずそれ以上の物を求める感じが、セルやライナーには感じる。底が浅いとは思わないけど、方法論としては陥る可能性はあると思う。ショルティは棒で縛る感じがある。オペラでは歌手たちの能力を引き出すというより、追い立てて力を出させるのかなあ。その割に歌い回しなどに癖は感じない。
バルトークは特別に合うように思う。バルトークは偉大な作曲家だ。
2010-02-13:シューベルティアン
- 以前にショップで「ブダペストQのブラームスをくれ」といったら、それは廃盤だといわれ、思わず「なぜ?」と聞き返しました。「価値の分かるひとがレコード会社にいない」のだそうです。そんな馬鹿なことあるか、あんたがそう思い込んだだけじゃないのか? と口のなかでつぶやきながら店を出ましたが。
ショルティの評判が地を這うように低いという話をここでよんだときも、失礼ながら同じ感想をもちました。その後あちこちで調べてみたら、果たして本当でした。ふしぎな世の中ですね。
ショルティやセルには、ただ直線的で機能的といったのでは片付かない、非常に人間的な意識があります。テンポの確実さは目的ではないし、音のでかさも手段でしかない。彼らの追及したリアリティは、最初の一音からすでに聞こえているように思います。
2014-08-16:knorimoto
- 私の知人でクラシック音楽に関わっている人は皆バルトークのこの曲を称賛するのですが、聴いてはみましたが今一つピンと来ないでおりました。ところが、この演奏を聴いて腑に落ちました。ショスタコーヴィチの第9交響曲も、バルトークのこの曲も、何故かショルティの演奏で聴くとすんなりと胸に収まります。ユングさんのおっしゃる「直線的でオケを徹底的にならしきるような音楽作り」が大好きだからかもしれません。
今となってはかなわない夢ですが、ショスタコーヴィチの第4交響曲をショルティの指揮で聴いてみたかったと思います。
ところで、ショルティを「脳みそ空っぽの体育会系指揮者」と誰が言ったのでしょうか? 曲の構造が聴いている人によく分かる、あれだけ説得力ある緻密な音楽作りをする人が「脳みそ空っぽ」なわけがないです。
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