ラフマニノフ:交響曲第2番ホ短調 作品27(Rachmaninoff:Symphony No.2 in E minor, Op.27)
アルトゥール・ロジンスキ指揮:ニューヨーク・フィルハーモニック 1945年1月15日録音(Artur Rodzinski:New York Philharmonic Recorded on January 15, 1945)
Rachmaninoff:Symphony No.2 in E minor, Op.27 [1.Largo - Allegro moderato]
Rachmaninoff:Symphony No.2 in E minor, Op.27 [2.Allegro molto]
Rachmaninoff:Symphony No.2 in E minor, Op.27 [3.Adagio]
Rachmaninoff:Symphony No.2 in E minor, Op.27 [4.Allegro vivace]
メロディーメーカーとしての真骨頂

ラフマニノフが交響曲の第1番で手痛い失敗を喫した事は以前に取り上げました。そして、その失敗の痛手から立ち直ってピアノ協奏曲の第2番を書き上げて大成功を収めた話も取り上げました。
この交響曲の第2番は、その挫折と復活の後に書かれた作品です。
ピアノ協奏曲での成功は、ラフマニノフの人生を大きく転換させました。帝国歌劇場の指揮者として大きな成功を収めることができたのも、この協奏曲の大成功があったためです。しかし、ラフマニノフは指揮者としての成功を収めても、自分自身は「作曲家」であるという自負を持っていて、やがて活動の本拠地をロシアからドイツのドレスデンに移します。そして、その地で本格的に取り組んだ作品がこの交響曲の第2番でした。
聞けば分かるように、この作品は1番の革新的な作風は影を潜め、ピアノ協奏曲で成功を収めた路線上で書かれています。そして、初演はラフマニノフ自身の指揮で行われて、予想したとおりの大成功を収めます。
しかし、初演の大成功とは裏腹に、演奏時間の長さや冗長さが嫌われて、その後はマイナー曲の仲間入りをしてしまいます。ラフマニノフ自身もそのような弱点を承知していたようで、たびたび改訂を加えています。ですから、この作品はたまにコンサートで取り上げられる事があっても、初演時のスコアではなくて大幅にカットが施された短縮盤が用いられるのが一般的でした。
そのような事情に大きな変化が起きたのは、プレヴィンによる功績です。彼が1973年に初演時の姿を完全に再現する形で録音をしてから、少しずつこの作品の真価が再認識され、その後は短縮盤による演奏は姿を消していきました。
確かに、20世紀の初頭では、この作品は「長すぎ」て、「冗長」に過ぎたかもしれませんが、その後のマーラーブームを経た耳からすれば決して長すぎもしませんし、その冗長な部分こそが愛すべきところだと思えるようになっていました。
さらに、この作品の受容史で大きな転換点になったのは、テレビドラマの中でこの作品の第3楽章が使われたことです。これがきっかけで多くの女性がレコードショップにこの作品を買い求めに行ったそうです。もちろん、未だにマイナー作品だったので、よほど大きなショップでもなければ在庫があるはずもなく、中には「第2番」と言うことで「ピアノ協奏曲の間違いでしょう」と言うことで、全く違うCDを売ってしまったお店もあったらしいです。
しかし、そのブームも去ってみれば、やはり未だにこの作品はマイナー作品の域を出ないことは事実です。
とは言え、この第3楽章こそは、メロディーメーカーとしてのラフマニノフの真骨頂が現れていることは間違いありません。
ロジンスキーという男は妥協を許さない存在です。
ロジンスキーは1943年にニューヨーク・フィルの音楽監督というポジションを手に入れながらも、コンサート・マスターも含めて「血の粛清」を行ったために1947年に首になっています。
しかし、ニューヨークを首になったあと、すぐにシカゴ響の音楽監督に就任しています。
普通なら、ニューヨークでの経験をもとに多少は学ぶのでしょうが、シカゴでも厳しい練習と楽員のリストラを行うのは変わらず、そのためにメンバーとの衝突もたびたびでした。
嘘か本当かははっきりしませんが、ロジンスキー自身も身の危険を感じて拳銃を忍ばせてリハーサルに臨んだといううわさも伝えられています。
そして、シカゴでも音楽的な妥協を許さなかったために最初の年から膨大な赤字を出して、わずか1年で首になっています。
とにかく、ロジンスキーという男は音楽面においては絶対に妥協を許さない存在だったのです。
ところが、そんなロジンスキーがシカゴを追われたときにシカゴ・トリビューンのキャシディが擁護したというエピソードが残っています。こちらは「噂」ではなくて「事実」です。
シカゴ・トリビューンのクラウディア・キャシディというのは伝説的な批評家で、シカゴで活動した指揮者のほとんどが彼女の激烈な酷評によって血祭りになっています。
そのもっとも手酷い洗礼を受けたのがクーベリックであり、シカゴに客演したショルティもかなり痛い目に遭っています。ですから、ショルティがシカゴの音楽監督を依頼されたときには、このキャシディがすでに引退していることを確認してから受諾したという話も伝わっているほどです。当然のことながら小澤が初めてシカゴ響に客演した時にも彼女は小澤をこき下ろしています。
そんなキャシディが珍しくも擁護する側にまわったのがロジンスキーだったのです。
お互いにトラブル・メーカーとしてのシンパシーがあったのかもしれませんが、もう一人攻撃の矛先が鈍かったのがフリッツ・ライナーだと知れば、彼女のスタンスも見えてこようかというものです。そして、そのことは同時にロジンスキーという指揮者のスタンスも見えてくるのです。
おそらく、キャシディがロジンスキーやライナーを高く評価したのは、音楽の構造を精緻に分析する力と、その分析した音楽の形を現実のものにするためには一切の妥協を許さない姿勢だったはずです。
私がロジンスキーの録音をそれなりに意識してはじめて聞いたのはチャイコフスキーの交響曲でした。
その時に、「不思議」な演奏だと思いながら、トスカニーニでもないし、セルやライナーでもない、やはり「ロジンスキー」という男ならではの「熱い音楽」があると思ったものでした。
そして、この「熱さ」ゆえにでしょうか、ロジンスキーのことを「彼はウエストミンスターにかなりの数の録音を遺しており、ディテールやニュアンスにこだわるよりは、スピード感や色彩感を優先させつつ、いわゆる爆演系の指揮を行なったことがうかがわれる。」などと書かれたりするのでしょう。
私はチャイコフスキーの録音が「爆演系」とは思いませんが、「ディテールやニュアンスにこだわるよりは、スピード感や色彩感を優先」しているというのはその通りだと思いました。
しかし、何でもかんでも「スピード感や色彩感を優先」していたのでは、あのキャシディが擁護するはずはないのです。
その事は、ショルティが彼女を恐れたことからして容易に察せられます。(ショルティファンの人ごめんなさい)
そうではなくて、ロジンスキーは、その音楽に「スピード感や色彩感」が重要だと思えばその様に造形しますし、逆に「ディテールやニュアンス」が大切だと思えばその様に造形するのです。
ですからロジンスキーの録音を幅広く聞いていけば、彼が「爆演系の指揮者」などではないことは誰もがわかるはずです。もっとも、そういうレッテル張りは一昔前にはやった「B級クラシック」などのなせることです。そういう「目新しさ」を売りにした「批評」によって、シェルヘンやジルヴェストリなんかも同じようなレッテルを張られたものでした。
ロジンスキーが強く求めたのは大袈裟な身振りは一切排して、表現の振幅を可能な限り小さくし、その狭い振幅の中におさめられているディテールやニュアンスの多様さ描き切ることでした。
ですから、ロジンスキーの音楽はその微妙なディテールやニュアンスが正確に再生できるかどうかによって、その評価は大きく変わってしまうような気がするのです。もしも、再生装置にその力がなければ、そう言う細部がノッペリと塗りつぶされてしまいますから、スタイリッシュであってもどこかモノトーンのつまらない演奏と聞こえるでしょう。
逆に、その部分がきちんと再生できれば、とりわけ弱音部おける微妙な光と影の交錯のような物が聞き取れるならばそれは実に魅力的な音楽となります。そして、彼がそのような絶妙なバランスを求めたがために、ニューヨークでもシカゴでも楽員に対して苛烈なリハーサルを課したのかもわかろうかというものです。
さらにもう一つ付け加えておけば、シカゴを追われた後に活動の拠点をヨーロッパに移し、さらにはウエストミンスターでの録音に臨んでは、アメリカ時代のような苛烈さは次第に後退していっているように聞こえます。
まあ、人間が丸くなったのか、もうこれ以上食い扶持を失うわけにはいかなかったのかはわかりませんが、それは否定できない事実のようです。
まあ、それはそれで面白い演奏ではありますが・・・。
妄言多謝!!m(_ _)m
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