クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~

ブラームス:ヴィオラ・ソナタ第1番 ヘ短調, Op.120-1

(P)ウィリアム・カペル:(Viola)ウィリアム・プリムローズ 1947年5月7日録音





Brahms:Viola Sonata No.1, Op.120 No.1 [1.Allegro appassionato]

Brahms:Viola Sonata No.1, Op.120 No.1 [2.Andante un poco adagio]

Brahms:Viola Sonata No.1, Op.120 No.1 [3.Allegretto grazioso]

Brahms:Viola Sonata No.1, Op.120 No.1 [4.Vivace]


残り火をかき立てて

この曲は、オリジナルのクラリネット版の作曲後にブラームス自身がヴィオラへの編曲を行ったものです。ヴィオラパートはほぼクラリネットと同じ旋律のままなのでsが、部分的にはクラリネットでは演奏不可能な重音、三重音が必要な部分もあるようです。
ピアノパートはもとのクラリネット版とほぼ同じです。
ということで、これはクラリネットをほぼそのままヴィオラで演奏するという感じなので、ブラームス自身はこのヴィオラ版について、ヨアヒムへの書簡には「不器用で不満足なもの」と書いています。
それでも、このヴィオラ版はヴィオラ奏者にとっては貴重で非常に重要なレパートリーであり、今日でも演奏される機会の多い作品です。


ブラームスの晩年は表面的には名声につつまれたものでしたが、本音の部分では時代遅れの作曲だと思われていました。丁重な扱いの後ろに見え隠れするその様な批判に対して、ブラームスらしい皮肉を込めて発表されたのが交響曲の第4番でした。終楽章にパッサカリアという、バッハの時代においてさえ古くさいと言われていた形式をあえて採用することで、音楽に重要なのは流行を追い求めて衣装を取っ替え引っ替えするではなくて、あくまでもその内容こそが重要であることを静かに主張したのでした。

しかし、老境を迎えつつあったブラームスは確実に己の創作力が衰えてきていることを感じ取っていました。とりわけ、弦楽五重奏曲第2番を書き上げるために必要とした大変な苦労は、それをもって創作活動のピリオドにしようと決心させるに十分なだけの消耗をブラームスに強いました。

ブラームスは気がかりないくつかの作品の改訂や、身の回りの整理などを行って晩年を全うしようと決心したのでした。
ところが、その様なブラームスの消えかけた創作への炎をもう一度かき立てる男が出現します。それが、マイニンゲン宮廷楽団のクラリネット奏者であったミュールフェルトです。
ミュールフェルトはもとはヴァイオリン奏者だったのですが、やがてクラリネットの美しい音に出会うとその魅力の虜となり、クラリネットの演奏にヴァイオリンがもっている多様な表情と表現を持ち込もうとしたのです。彼は、音域によって音色が様々に変化するというクラリネットの特徴を音楽表現のための手段として活用するテクニックを完璧な形にまで完成させ、クラリネット演奏に革命的な進歩をもたらした人物でした。
そのほの暗く甘美なクラリネットの音色は、最晩年の諦観の中にあったブラームスの心をとらえてはなしませんでした。創作のための筆を折ろうと決めていた心はミュールフェルトの演奏を聴くことで揺らぎ、ついには最後の残り火をかき立てるようにクラリネットのための珠玉のような作品を4つも生み出すことになるのです。

  1. 1891年:クラリネット三重奏曲

  2. 1891年:クラリネット五重奏曲

  3. 1894年:二つのクラリネットソナタ


ブラームスの友人たちは、この4つの作品の中では形式も簡潔で色彩的にも明るさのある3重奏曲がもっともポピュラーなものになるだろうと予想したというエピソードが残っています。この友人たちというのは、ビューローであったり、ヴェルナーであったりするのですが、そういうお歴々であったとしても事の本質を言い当てるのがいかに難しいかという「当たり前のこと」を、改めて私たちのような愚才にも再確認させてくれるエピソードではあります。

現在では、3重奏曲はこの中ではもっとも演奏される機会が少ない作品です。クラリネットソナタも同じように演奏機会は多くないのですが、ヴィオラ用に編曲されたものがヴィオラ奏者にとってはこの上もなく貴重なレパートリーとなっています。
しかし、何といってもポピュラーなのは五重奏曲です。このジャンルの作品としてはモーツァルトの神がかった作品に唯一肩を並べることができるものとして、ブラームスの全作品の中でも、いや、ロマン派の全作品の中においても燦然たる輝きを放っています。

ブラームスの最晩年に生み出されたこれらのクラリネット作品は、その当時の彼の心境を反映するかのように深い諦念とほの暗い情熱があふれています。この深い憂愁の味が多くの人に愛好されてきました。
ところが、友人たちがもっともポピュラーな作品になるだろうと予想した三重奏曲は、諦念と言うよりは疲れ切った気怠さのようなものを感じてしまいます。それは老人の心と体の中に深く食い込んだ疲労のようなものです。そして、おそらくはこの疲労がブラームスに創作活動を断念させようとしたものの正体なのでしょう。

ところが、わずかな期間を経てその後に創作された五重奏曲にはその疲労のようなものは姿を消しています。なるほど、人は恋をすることによってのみ、命を枯渇させる疲労から抜け出すことができるのだと教えられます。
もちろん言うまでもないことですが、恋の相手はクラリネットでした。そして、三重奏曲の創作の時には心身に未だに疲労が深く食い込んでいたのに、五重奏曲に取り組んだときにはそれらは払拭されていました。もちろん、それでブラームスが青年時代や壮年時代の活力を取り戻したというわけではありません。それは、人生に対する深い諦念を疲労の食い込んだ愚痴としてではなく、きちんとした言葉で語り始めたと言うことです。

そして、最後の最後の残り火をかき立てるようにして、人生の苦さを淡々と語ったのが二つのクラリネットソナタでした。彼の親しい人たちが次々と先立っていく悲しみの中で、その悲しみを素直に吐露すると同時に、その様な人生の悲劇に立ち向かっていこうとする激しさも垣間見ることの出来る作品です。
晩年のブラームスが夏を過ごす場所としてお気に入りだったバート・イシェルにおいて流れるようにして書き下ろされたと伝えられる作品ですが、それ故にというべきか、かの全生涯を通して身につけた作曲技法を駆使することによって、この上もなく洗練された音楽に仕上がっています。あまりにも有名な五重奏曲と比べても遜色のない作品だと思えるだけに、もっと聞かれてもいいのではないかと思います。

強靱にピアノを鳴らすことに没頭した時代のカペルを少し違った視点から眺められる


カペルのショパンを聴いて「もう少しカペルの録音を聞き込んでみないといけないな」と書いたのは2014年の事だったみたいです。
最近、ふとカペルの録音を引っ張り出してきて聞いてみる機会があったのですが、あらためて「これはすごいや」と思って、自分が昔書いたものを調べてみれば8年前にそんな事を書いていたことを発見して驚いてしまいました。

カペルを取り上げるのは随分と久しぶりになるので(プロコフィエフの録音を追っていて協奏曲を取り上げたことはありましたが、その時の関心は作曲家のプロコフィエフであってソリストのカペルにはほとんど注意が向いていませんでした)、簡単にカペルの紹介を繰り返しておきます。

ウィリアム・カペル(William Kapel)といえば、「ホロヴィッツの再来」と呼ばれるような華々しいキャリアと、そのキャリアが飛行機事故によってわずか31歳で断ち切られたことの悲劇性が常について回ります。さらに、その事故の報に接したホロヴィッツが「これで私がナンバーワンだ。」と語ったというエピソードによってその悲劇性はさらに飾り立てられることになります。
しかしながら、同じように若くして、そしてほとんど同時代にこの世を去ったリパッティが今も多くの人の記憶にとどまっているのと比べると、カペルの記憶はずいぶんと薄らいでしまっていることは否めません。そして、今回、あまり多いとはいえない彼の録音をまとめて聞いてみて、その理由が少しはわかったような気がしました。

リパッティは33歳でこの世を去りましたが、すでに彼ならではの世界を築いていました。しかし、カペルはホロヴィッツを意識したのか、ひたすら強靱にピアノを鳴らすことに没頭した時代を脱皮して、心の内面を繊細に表現しようとする新しい世界に足を踏み入れた矢先に人生を断ち切られました。
それは、終わりを意識してピアノに向き合わざるを得なかったリパッティと、そういうことは夢に思わずにピアノに取り組んでいたカペルの違いでしょう。カペルにしてみれば、そんなにも生き急ぐように歩を進める必要などは全く感じていなかったでしょうし、おそらくはじっくりと時間をかけて一つ一つを丹念に確かめながら音楽を熟成させていくつもりだったのでしょう。
そう思えば、真に悲劇的だったのはリパッティではなくカペルの方だったことに気づかされました。


カペルの室内楽録音というのはかなり珍しくて、おそらく正規録音としては以下の3つだけだと思われます。


  1. ラフマニノフ:チェロ・ソナタ ト短調, 作品19

  2. ブラームス:ヴィオラ・ソナタ第1番 ヘ短調, Op.120-1

  3. ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第3番 ニ短調 Op.108



この中で一番聴き応えがあるのがラフマニノフでしょう。
ラフマニノフの作品ですから、ピアノが大活躍することは言うまでもないのですが、まさに聞き手が期待する以上にカペルは華やかパフォーマンスを繰り広げてくれます。この作品に関してはネルソヴァとバルサムによる録音を取り上げているのですが、ラフマニノフがこの作品にどれだけのピアノの名人芸を込めているかがよく分かるのはカペルの方です。
そして、名前はあまり知られていないのですが、チェリストのエドマンド・クルツもそう言うカペルに対抗して伸びやかで力強い響きで対抗しています。

エドマンド・クルツはシカゴ交響楽団の首席チェロ奏者を務めるなどした後にソリストに転向して、1945年にアルトゥーロ トスカニーニ指揮のNBC 交響楽団とドヴォルザークのチェロ協奏曲を録音しています。当時は「非の打ちどころのない技術」「輝きを失うことのない暖かく官能的な性質」をもったチェリストと評されたようです。

次に注目したいのはハイフェッツと協演したブラームスです。
こういう二重奏でハイフェッツと協演すると相手はどうしても腰が引けてしまうものです。しかし、カペルは臆することなく、おそらくはヴァイオリンとピアノの二重奏としてブラームスが思い描いたであろうバランスを崩していません。あわせて、あらためてハイフェッツのヴァイオリンの凄みと美しさにもひたることが出来る演奏です。

そして、最後がプリムローズと協演したブラームスのヴィオラ・ソナタです。これはもう完璧にカペルが圧倒してしまっています。
言うまでもなく、このソナタは最初はクラリネット・ソナタでした。それが後に作曲者自身によってヴィオラ用に編曲されたのがこのヴィオラ・ソナタです。

しかし、これは個人的な感想ですが、この作品はやはりクラリネット版の方がしっくりいくような気がします。とりわけ、カペルのような強靭なピアニズムが爆発するような相方だと、いささかヴィオラが気の毒に思えてくる部分があります。例え、それがプリムローズであっても、「やっとれんなぁ」と思ったのではないでしょうか。

とは言え、この3つの録音は、ひたすら強靱にピアノを鳴らすことに没頭した時代のカペルを少し違った視点から眺められると言うことで、実に興味深い演奏ではないかと思われます。

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