クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~

ベートーベン:弦楽四重奏曲第14番 嬰ハ短調 Op.131

パガニーニ四重奏団 1953年録音





Beethoven:String Quartet No.14 in C Sharp minor Op.131 [1.Adagio ma non troppo e molto espressivo]

Beethoven:String Quartet No.14 in C Sharp minor Op.131 [2.Allegro molto vivace]

Beethoven:String Quartet No.14 in C Sharp minor Op.131 [3.Allegro moderato]

Beethoven:String Quartet No.14 in C Sharp minor Op.131 [4.Andante ma non troppo e molto cantabile]

Beethoven:String Quartet No.14 in C Sharp minor Op.131 [5.Presto-6.Adagio quasi un poco andante]

Beethoven:String Quartet No.14 in C Sharp minor Op.131 [7.Allegro]


ベートーベンの心の内面をたどる

ベートーベンの創作時期を前期・中期・後期と分けて考えるのは一般的です。ハイドンやモーツァルトが築き上げた「高み」からスタートして、その「高み」の継承者として創作活動をスタートさせた「前期」、そして、その「高み」を上り詰めた極点において真にベートーベンらしい己の音楽を語り始めた「中期」、やがて語り尽くすべき己を全て出力しきったかのような消耗感を克服し、古典派のスタイルの中では誰も想像もしなかったような深い瞑想と幻想性にあふれる世界に分け入った「後期」という区分です。

ベートーベンという人はあらゆるジャンルの音楽を書いた人ですが、交響曲とピアノソナタ、そして弦楽四重奏はその生涯を通じて書き続けました。とりわけ、弦楽四重奏というジャンルは第10番「ハープ」と第11番「セリオーソ」が中期から後期への過渡的な性格を持っていることをのぞけば、その他の作品は上で述べたそれぞれの創作時期に截然と分類することができます。さらに、弦楽四重奏というのは最も「聞き手」を意識しないですむという性格を持っていますから、それぞれの創作時期を特徴づける性格が明確に刻印されています。
そういう意味では、彼がその生涯において書き残した16曲の弦楽四重奏曲を聞き通すと言うことは、ベートーベンという稀代の天才の一番奥深いところにある心の内面をたどることに他なりません。

<後期の孤高の作品>
己の中にたぎる「何者」かを吐き出し尽くしたベートーベンは、その後深刻なスランプに陥ります。そこへ最後の失恋や弟の死と残された子どもの世話という私生活上のトラブル、さらには、ナポレオン失脚後の反動化という社会情勢なども相まってめぼしい作品をほとんど生み出せない年月が続きます。
その様な中で、構築するベートーベンではなくて心の中の叙情を素直に歌い上げようとするロマン的なベートーベンが顔を出すようになります。やがて、その傾向はフーガ形式を積極的に導入して、深い瞑想に裏打ちされたファンタスティックな作品が次々と生み出されていくようになり、ベートーベンの最晩年を彩ることになります。これらの作品群を世間では後期の作品からも抽出して「孤高期の作品」と呼ぶことがあります。
「ハンマー・クラヴィーア」以降、このような方向性に活路を見いだしたベートーベンは、偉大な3つのピアノ・ソナタを完成させ、さらには「ミサ・ソレムニス」「交響曲第9番」「ディアベリ変奏曲」などを完成させた後は、彼の創作力の全てを弦楽四重奏曲の分野に注ぎ込むことになります。
そうして完成された最晩年の弦楽四重奏曲は人類の至宝といっていいほどの輝きをはなっています。そこでは、人間の内面に宿る最も深い感情が最も美しく純粋な形で歌い上げられています。

弦楽四重奏曲第12番 変ホ長調 OP.127
「ミサ・ソレムニス」や「第9交響曲」が作曲される中で生み出された作品です。形式は古典的な通常の4楽章構成で何の変哲もないものですが、そこで歌われる音楽からは「構築するベートーベン」は全く姿を消しています。
かわって登場するのは幻想性です。その事は冒頭で響く7つの音で構成される柔らかな和音の響きを聞けば誰もが納得できます。これを「ガツン」と弾くようなカルテットはアホウです。

なお、この作品と作品番号130と132の3作はロシアの貴族だったガリツィン侯爵の依頼で書かれたために「ガリツィン四重奏曲」と呼ばれることもあります。

弦楽四重奏曲第13番 変ロ長調 OP.130
番号では13番ですが、「ガリツィン四重奏曲」の中では一番最後に作曲されたものです。ベートーベンはこの連作の四重奏曲において最初は4楽章、次の15番では5楽章、そして最後のこの13番では6楽章というように一つずつ楽章を増やしています。特にこの作品では最終楽章に長大なフーガを配置していましたので、その作品規模は非常に大きなものとなっていました。
しかし、いくら何でもこれでは楽譜は売れないだろう!という進言もあり、最終的にはこのフーガは別作品として出版され、それに変わるものとして明るくて親しみやすいアレグロ楽章が差し替えられました。ただし、最近ではベートーベンの当初の意図を尊重すると言うことで最終楽章にフーガを持ってくる事も増えてきています。
なお、この作品の一番の聞き所は言うまでもないことですが、「カヴァティーナ」と題された第5楽章の嘆きの歌です。ベートーベンが書いた最も美しい音楽の一つです。ベートーベンはこの音楽を最終楽章で受け止めるにはあの「大フーガ」しかないと考えたほどの畢生の傑作です。

「大フーガ」 変ロ長調 OP.133
741小節からなる常識外れの巨大なフーガであり、演奏するのも困難、聞き通すのも困難(^^;な音楽です。

弦楽四重奏曲第14番 嬰ハ短調 OP.131
孤高期の作品にあって形式はますます自由度を増していきますが、ここでは切れ目なしの7楽章構成というとんでもないとところにまで行き着きます。冒頭の第1ヴァイオリンが主題を歌い、それをセカンドが5度低く応える部分を聞いただけでこの世を遠く離れた瞑想の世界へと誘ってくれる音楽であり、その様な深い瞑想と幻想の中で音楽は流れきては流れ去っていきます。
ベートーベンの数ある弦楽四重奏曲の中では私が一番好きなのがこの作品です。

弦楽四重奏曲第15番 イ短調 OP.132
「ガリツィン四重奏曲」の中では2番目に作曲された作品です。この作品は途中で病気による中断というアクシデントがあったのですが、その事がこの作品の新しいプランとして盛り込まれ、第3楽章には「病癒えた者の神に対する聖なる感謝のうた」「新しき力を感じつつ」と書き込まれることになります。
さらには、最終楽章には第9交響曲で使う予定だった主題が転用されていることもあって、晩年の弦楽四重奏曲の中では最も広く好まれてきた作品です。

弦楽四重奏曲第16番 ヘ長調 OP.135
第14番で極限にまで拡張した形式はこの最後の作品において再び古典的な4楽章構成に収束します。しかし、最終楽章に書き込まれている「ようやくついた決心(Der schwergefasste Entschluss)」「そうでなければならないか?(Muss es sein?)」「そうでなければならない!(Es muss sein!)」という言葉がこの作品に神秘的な色合いを与えています。
この言葉の解釈には家政婦との給金のことでのやりとりを書きとめたものという実にザッハリヒカイトな解釈から、己の人生を振り返っての深い感慨という説まで様々ですが、ベートーベン自身がこの事について何も書きとめていない以上は真相は永遠に藪の中です。
ただ、人生の最後を感じ取ったベートーベンによるエピローグとしての性格を持っているという解釈は納得のいくものです。

ラテン的な明晰さと優雅さに貫かれている


数年ほど前のことですが、オーディオ仲間の間でベートーベンの弦楽四重奏曲を聴くならばどのカルテットで聞きたい?と言うことが話題になりました。まあ、この手の話はよくあることですが、その集まりの年齢層が相対的に高い(^^;事もあって、出てくる団体はブッシュとかブダペストとか、バリリみたいな感じで、不思議に全員が一致したのが世間では評判の高いアルバン・ベルク四重奏団では聞きたくないということでした。
さすがにカペーやレナーは古すぎると言うことでしたし、スメタナやジュリアードもいろいろ意見の分かれるところでした。

とは言え、どうって事のないちょとした与太話みたいなものなのですが、その時にある人が「私の知り合いがパガニーニ弦楽四重奏団こそが一番のお気に入りだと言っていた」という話がでました。
ところが、恥ずかしながら、その時に集まっていたメンバーで実際にパガニーニ弦楽四重奏団のベートーベンを聞いたことがある人はいませんでした。
でも、こういうのって意外とあるんですよね。ほとんど誰も知らない録音を持ち出してきて、それって意外といいよね!と言うやり口は。

当然の事ながら、私もその録音は聞いたことはなかったのですが、念のために音源だけは買い込んでいた事が記憶の片隅をよぎりました。実際、このカルテットの録音はほとんどカタログに存在しませんし、その大部分が廃盤になっています。
ただし、こういうサイトをやっているためか、そう言う珍しい音源を見つけると取りあえずは「確保」しておくという習慣が身についているので、その後家に帰って探し回ってみると彼らの録音が奥の方から出てきました。

ついでに、その音源に関する販売元の宣伝文も出てきたので、パガニーニ弦楽四重奏団と言う名前が、かつてパガニーニが所有していたヴァイオリン(1680年&1727年製)、ヴィオラ(1731年製)、チェロ(1737年製)を使用していることに由来していることも分かりました。言うまでもなく、その全てがストラディヴァリウスです。

ただし、「ブッシュ弦楽四重奏団、カルヴェ弦楽四重奏団、レナー弦楽四重奏団、ブダペスト弦楽四重奏団 といった戦前の歴史的な弦楽四重奏団と、ジュリアード弦楽四重奏団といった戦後のアンサンブル団体のちょうど間にあたり、ベートーヴェンの弦楽四重奏という非常に重要な室内楽作品の、解釈の歴史の貴重な記録ともいえるでしょう。」という一文はいただけません。
ブダペスト弦楽四重奏団を戦前の歴史的な弦楽四重奏団と一括で括るのは大間違いですし、その一括した弦楽四重奏とジュリアード弦楽四重奏の間にパガニーニ弦楽四重奏団をもって来るというのも明らかに間違っています。
言うまでもないことですが、50年代初頭にブダペスト弦楽四重奏団が録音したモノラルによる全集は真っ直ぐにジュリアード弦楽四重奏団につながっていくものですし、彼らが戦前に録音したSP盤の演奏もそう言う方向性をはっきり示していました。

調べてみると、さすがにこの表現はまずいと思ったのでしょうか、最近のページではこの一文は削除されています。

ただし、パガニーニ弦楽四重奏団の事を「メンバーのうち3人はベルギーで学んでおり、アメリカで生まれたカルテットながら、『ベルギー宮廷の四重奏団』と称されたプロ・アルテ弦楽四重奏団の流れを汲む四重奏団とも言われます。」という一文は非常に重要であり、この団体の方向性を示唆してくれています。

残念ながら1947年から始まったパガニーニ弦楽四重奏団によるベートーベンの録音は5曲を残して1953年に打ち切られてしまったようなので全集にはなっていないようです。おそらく、そうなってしまった背景には、彼らの演奏様式がプロ・アルテ弦楽四重奏団の流れを汲むスタイルだったからでしょう。
言うまでもなく、50年代のアメリカは即物主義の時代へ突入していくのであって、その最先端とも言うべき録音がブダペスト弦楽四重奏団による全集でした。

そう言う流れの中に彼ら演奏をおいてみれば、それは何ともいえず中途半端なベートーベンに聞こえてしまった可能性は否定できません。つまりは、売れなかったので途中で「打ち切り」になったのかもしれません。
しかし、「売れない演奏」が「つまらない演奏」であることと同義ではありません。それどころか、時を経てみれば、それは他にかえがたい魅力を持っていたことが見直されることがよくあります。ヨハンナ・マルティのバッハの無伴奏なんかはその典型でしょう。

プロ・アルテ弦楽四重奏団の録音は、ハイドンの弦楽四重奏曲しか聴いたことがありません。
しかし、その演奏を聞くと、なるほど「ベルギー宮廷の四重奏団」と称されるだけのことはあると納得させられる「優雅」さにあふれています。確かに、宮廷のサロンで「重い」音楽は嫌われます。ブッシュのような重量感溢れる音楽やブダペストのような尖った演奏は敬遠したいところでしょう。
かといって、そう言う「重さ」を「優雅」さに置き換えた結果として「軽薄」になっては権威が保てません。プロ・アルテ弦楽四重奏団の演奏は、重くはならなくても作品の構成はしっかりと把握していて造形が崩れることはありません。しかし、その造形感をゴリゴリと前面に押し出すような「野暮」な演奏は絶対にしません。

そして、その演奏スタイルをベートーベンに適用すればおそらくこうなるだろうなと思わせてくれるのがパガニーニ弦楽四重奏団によるベートーベンの録音なのです。
まず何よりも魅力的なのは、歌うべき部分における優雅な歌い回しの見事さです。この「歌う」能力の素晴らしさはまさにプロ・アルテ弦楽四重奏団からの系譜を強く感じます。そして、もう一つ忘れてはいけないのは、そう言う優雅さ故に細部を弾きとばすという事はなく、各声部の絡み合いがこの上もない明晰さで表現されていることです。
つまりは、彼らのアンサンブル能力は極めて高いのですが、その高さをブダペストのような即物性に奉仕させるのではなく歌に奉仕させているのです。それ故に、ラズモフスキー以前の初期作品はこれに変わるものがないと思うほどに素晴らしい演奏です。残念なのは、その初期作品では3番と6番が欠落していることです。

そして、ラズモフスキーの3曲に関してはもう少し激しさがほしいと思う人がいるかもしれませんし、後期の作品群(11番~13番が欠落)に関してもいささか小ぶりな感じがする人がいるかもしれません。
しかし、彼らはあくまでも眦を決してゴリゴリと、もしくはキリキリと演奏するつもりはないのですから、それが彼らにとってのベートーベンなのだと言うことは納得しておく必要があるかもしれません。
そして、これに近い演奏と言えばフランスのパスカル弦楽四重奏団の演奏が思い浮かびますから、いささか安直なまとめ方かもしれませんが、彼らのベートーベンはブッシュやブダペストでもないもう一つのラテン的な明晰さと優雅さに貫かれたもう一つの道といえるのかもしれません。

ですから、これが気に入ってしまうと、我がオーディオ仲間の知人のように「ベートーベンはパガニーニ弦楽四重奏団」というのも分かるような気がします。

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