カサド・アンコール・アルバム
(Cell)ガスパール・カサド (P)原 智恵子 1963年録音
Granados:Intermezzo della Opera"Goyescas"
Faure:Elegy, Op.24
Ravel:Vocalise-etude en forme de Habanera, M.51
Cassado:Requiebros in D major
Frescobaldi:Toccata
Beethoven:7 Variationen uber das Thema "Bei Mannern, welche Liebe fuhlen" aus Mozarts Oper "Die Zauberflote" Es-Dur WoO 46
Schubert:Allegretto grazioso
カサド・アンコール・アルバム

伝説のピアニストと言われることもある「原智恵子」の数少ないスタジオ録音が、1963年にソ連を演奏旅行しているときに行われたこの「カサド・アンコール・アルバム」でした。
この中に収録されていたフォーレのエレジーだけは別個に紹介したのですが、残りの演奏もここで紹介しておきます。
- グラナドス:間奏曲~ゴイェスカスより
- フォーレ:エレジー OP.24
- ラヴェル:ハバネラ
- カサド:親愛の言葉
- フレスコバルディ:トッカータ
- ベートーヴェン:魔笛の主題による変奏曲
- シューベルト:アレグレット・グラツィオーソ
1963年の録音にもかかわらずモノラルというのは残念ですが、その事がほとんど気にならないほどにクオリティの高い録音です。ただし、ラヴェルのハバネラだけは何か問題があったのかと思わざるを得ない出来です。もしかしら、マスターテープの保存状態に問題があったのかもしれません。
豪快で骨太なチェロは、カザルスとカサドという系譜以外でなかなか聞くことのできないものです
「原智恵子」というピアニストは「伝説のピアニスト」という言われ方をしたためか、様々なエピソードに彩られています。
その中でも、もっとも有名なのがショパン・コンクールでの騒ぎでしょう。
原は1937年の第3回ショパン・コンクールに「甲斐美和子」とともに日本人として初参加をしたものの入賞を逃します。ところが、その結果に憤慨した聴衆が異議を唱え、警官隊が出動するほどの大騒ぎとなったのです。主宰者側はその騒動を鎮めるために特例として、彼女に「特別聴衆賞」を贈ることでようやく事態が収めました。
原はわずか13歳だった1928年にフランスに渡り、1930年からは「ラザール・レヴィ」に師事していました。そして、1932年にはパリ国立音楽院を最優秀で卒業していますから、それなりの腕前はあったのでしょう。それだけに、多くの聴衆はコンクールでの審査に人種差別的な匂いをかぎつけて異議申し立てを行ったのです。
しかし、その後の彼女の人生は波乱に満ちたものであり、外国で評価された演奏家が日本に帰ってくると露骨に冷遇されるという「法則」に従って、彼女もまた恵まれない演奏家人生を送りました。
とりわけ、チェリストだったガスパール・カサドとの再婚は「子供を捨てて愛人のもとに走った」として絶好の攻撃材料となりました。
カサドの出会いはピアニストとしての原にとっては幸運であり、夫であるカサドとデュオを組んで世界中を演奏して回ることによって高い評価を受けました。しかし、1966年に夫であるカサドがこの世を去ると、原は日本での演奏活動に復帰しようとしたのですが、日本の音楽界はそれを頑なに拒否したのです。
原智恵子が「伝説のピアニスト」と言われる理由は、そう言う彼女の経歴のためか、残された録音が極めて少ないことも大きな原因となっています。
スタジオで正規に録音されたのは、夫であるカサドとのデュオによる「カサド・アンコール・アルバム」だけなのです。それ以外には、幾つかのライブ録音が世に知られているだけです。
さらに言えば、この「カサド・アンコール・アルバム」はソ連で録音されたものであり、そのためか1963年録音であるにもかかわらず「モノラル」なのです。さらに重ねて言えば、このアルバムは「カサド・アンコール・アルバム」と名づけられているように、主役はあくまでもカサドであり、原のピアノは夫であるカサドの豪快なチェロの響きを妨げることのない様に、極めて控えめに慎ましく演奏されているのです。
ですから、これを聞くだけでは、ピアニストとしての原智恵子の姿はほとんど分からないのです。
そして、私自身はこのアルバム以外では原智恵子の録音に接したことがないので、一部で言われるような「伝説の名ピアニスト」だったのかは全く判断は出来ません。彼女の実演を聞いたことがある人の言によれば、彼女のピアノには「ヨーロッパのマダム」を思わせるような成熟した大人の魅力が溢れていたらしいのですが、ここから窺えるのはそれとは全く逆の清楚で慎ましい日本人女性の姿です。
ですから、これは当然と言えば当然なのですが、このアルバムはチェリストであるガスパール・カサドを聴くべき一枚です。
カサドの前妻は大変な資産家であり、フィレンツェにあるお城で暮らしていたそうです。そう言う貴族的な生活をしていたためか、カサドは政治的には極めて無頓着であり、戦時中にはドイツやオーストリアでも演奏活動を行い、さらにはスペインでも演奏活動を継続したことがカザルスの逆鱗に触れることになりました。もちろん、彼はカザルスを深く尊敬していましたから、そう言うカザルスの意に背くような意図があったわけではなく、ただただ無頓着だったのです。
戦後のカサドが演奏家として不遇だったのは妻の介護に多くの時間が奪われたことが大きな原因だったのですが、このカザルスとの関係破綻も大きな影を落とすことになったようです。
しかし、ここでのカサドの演奏を聞くと、彼こそは紛うことなくカザルスの衣鉢を継ぐべきチェリストだったと思わざるを得ません。
これほども豪快で骨太なチェロは、カザルスとカサドという系譜以外でなかなか聞くことのできないものです。
年老いたカザルスの怒りはなかなか解けなかったのですが、メニューヒンの仲介によって1955年に漸く二人の間のわだかまりは氷解し、さらには同じ年に長い介護の果てに妻がこの世を去りました。そして、1958年には原と再婚し「デュオ・カサド」として再び活発な演奏活動が再開できたのは幸運でした。
カサドが第2回チャイコフスキー国際コンクールの審査員を務めるためにソ連におもむいたときにもソ連各地で「デュオ・カサド」の演奏会を行い、その合間に行われたのがこのこの「カサド・アンコール・アルバム」の録音でした。
そして、そう言う二人の活動はカサドがこの世を去る1966年まで続くのですが、原にとってもカサドにとっても、その時期こそがもっとも幸せなときだったのかもしれません。
そして、ふと気づいたのは、スペインで生まれイタリアで暮らしたカサドは著作権の戦時加算の対象にならないと言うことです。ですから、1966年になくなったカサドの作品はすべてパブリック・ドメインになっていることに気づきました。
ですから、カサドの「親愛の言葉」は紹介できないなと思ったいたのですが、どうやらセーフのようです。「JASRAC」のデータベースでも確認しましたがパブリック・ドメインになっているようです。
そうしてみると、戦後70年以上も経過しているにもかかわらず「戦時加算」という敗戦国条項を受け入れながら、唯々諾々として保護期間の延長を受け入れた姿勢はやはり疑問と言わざるを得ません。困ったものです。
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