ベートーベン:交響曲第2番
クナッパーツブッシュ指揮 ブレーメンフィル 1952年12月22日録音
Beethoven:交響曲第2番「第1楽章」
Beethoven:交響曲第2番「第2楽章」
Beethoven:交響曲第2番「第3楽章」
Beethoven:交響曲第2番「第4楽章」
ベートーベンの緩徐楽章は美しい。
これは以外と知られていないことですが、そこにベートーベンの知られざる魅力の一つがあります。
確かにベートーベンが最もベートーベンらしいのは驀進するベートーベンです。
交響曲の5番やピアノソナタの熱情などがその典型でしょうか。
しかし、瞑想的で幻想性あふれる音楽もまたベートーベンを構成する重要な部分です。
思いつくままに数え上げても、ピアノコンチェルト3番の2楽章、交響曲9番の3楽章、ヴァイオリンと管弦楽のためのロマンス、ヴァイオリンソナタのスプリング、そしてピアノソナタ、ハンマークラヴィーアの第3楽章。
そう言う美しい緩徐楽章のなかでもとびきり美しい音楽が聞けるのが、交響曲第2番の第2楽章です。
ベートーベンの交響曲は音楽史上、不滅の作品と言われます。しかし、初期の1番・2番はどうしても影が薄いのが事実です。
それは3番「エロイカ」において音楽史上の奇跡と呼ばれるような一大飛躍をとげたからであり、それ以後の作品と比べれば確かに大きな落差は否めません。しかし、ハイドンからモーツァルトへと引き継がれてきた交響曲の系譜のなかにおいてみると両方とも実に立派な交響曲です。
交響曲の1番は疑いもなくジュピターの延長線上にありますし、この第2番の交響曲はその流れのなかでベートーベン独自の世界があらわれつつあります。
特に2番では第1楽章の冒頭に長い序奏を持つようになり、それが深い感情を表出するようになるのは後年のベートーベンの一つの特徴となっています。また、第3楽章はメヌエットからスケルツォへと変貌を遂げていますが、これもベートーベンの交響曲を特徴づけるものです。
そして何よりも第2楽章の緩徐楽章で聞ける美しいロマン性は一番では聞けなかったものです。
しかし、それでも3番とそれ以降の作品と併置されると影が薄くなってしまうのがこれらの作品の不幸です。第2楽章で聞けるこの美しい音楽が、影の薄さ故に多くの人の耳に触れないとすれば実に残念なことです。
後期の作品に聞ける深い瞑想性と比べれば甘さがあるのは否定できませんが、そう言う甘さも時に心地よく耳に響きます。
もっと聞かれてしかるべき作品だと思います。
つかみ所のない人
正直いって圧倒されました。これほどスケールの大きな音楽を作り出す人といえばフルトヴェングラーぐらいのものでしょうが、作り出される音楽は質的には全く異なります。そんなこと、今さら言われなくても分かっている!とお叱りを受けそうですが、今回、クナによる一連のベートーベン(2番:ブレーメンフィル・3番:ミュンヘンフィル&ブレーメンフィル・8番:ベルリンフィル)演奏をまとめて聞いてみて、その当たり前のことを改めて確認させられました。
以前、ユング君はフルトヴェングラーに関して次のように書いたことがあります。(
フルトヴェングラーへの戯言)
「まずはじめにユング君なりの結論を簡潔に述べると、フルヴェンの本質は演出家だと思います。
彼は音楽を指揮すると言うよりは、音楽によるドラマを演出しているという方が本質に近いように思います。」
この考えは今も全く変わっていません。
しかし、
「フルトヴェングラーの演奏というものは、考え抜かれ、計算され尽くした演奏ではなかったと思います。むしろ、それとは対極にあるような本能的な(?!)演奏でした。
それ故に、フルトヴェングラーの演奏芸術を論理的に説明しようとすることはある意味では不可能でした。おそらくフルトヴェングラー自身でさえ不可能だったはずです。
彼は何も考えず、オケの前に立って指揮棒を振り下ろせば、それはそのままでフルヴェンの芸術だったのです。」
と、書いた部分については全面的に誤りを認めなければなりません。
あの文章を書いてから3年間、かなりの数のフルトヴェングラーの録音を聞いてきましたが、聞けば聞くほどにフルトヴェングラーの演奏というのは緻密な楽曲分析の上に成り立った周到に設計され考え尽くされたものだと結論せざるを得ませんでした。「フルトヴェングラーの演奏というものは、考え抜かれ、計算され尽くした演奏ではなかったと思います。むしろ、それとは対極にあるような本能的な(?!)演奏でした。」とは、全く馬鹿なことを書いたものです。
フルヴェンの失敗演奏の特徴は「崩壊」です。
もし、フルヴェンの演奏の本質が「本能」にあるのならば、あそこまでの崩壊現象は説明できません。そうではなくて、彼の演奏の本質が緻密な分析と設計に依拠しているからこそ、小さな綻びが時として全面的な崩壊に発展してしまうのだと言えます。
フルトヴェングラーを神格化するのは愚かだといっておきながら、そう言っていたユング君自身がフルトヴェングラーを神格化していたのです。フルトヴェングラーの演奏は十分に説明可能なものですし、そのスタイルを受け継ぐことも可能だと思います。一部の指揮者の中でその様な動きがあることを「フルヴェンの猿まね」みたいな言い方をする人もいますが、それは間違いではないかと思います。
そこでクナの演奏です。
彼の作り出す音楽のスケールの大きさは、フルヴェンのような緻密な分析と設計によってもたらされたものではないように思います。それは、クナを聞いていて、「変てこ」な演奏には数多く出会うのですが、フルヴェンのように「崩壊」してしまった演奏というのは思いつかないからです。
つまり、フルヴェンの失敗は時として「崩壊」にまで至るのですが、クナの失敗は「崩壊」とまではいかず、「変てこ」なものができあがるレベルで踏みとどまるのです。そして、これが重要なことなのですが、その「変てこな演奏」が全くの失敗かというとそうとは言い切れず、一部にはその「変てこ」ぶりをこよなく愛する人たちが存在すると言うことです。
たとえば、今回アップした二つのエロイカ演奏がその好例だといえます。
明らかにブレーメンフィルとの録音は「変てこ」です。おそらく数多く存在するクナの「変てこ演奏」の中でもかなり上位にランクされるであろう「変てこ」ぶりです。ミュンヘンフィルとの演奏も、前半の2楽章は実にすばらしいのですが、後半の2楽章になると恣意的といえるようなデフォルメが顔を出そう、出そうとします。
さて問題は、この変てこなエロイカなのですが、ブレーメンフィルとの演奏は基本的には失敗だと思うのですが、それでも変な魅力があるので困ってしまいます。ミュンヘンフィルとの演奏に関しても、オケに対するコントロールが最後まで維持できていないように思うのですが、しかし、結果として「変てこ」が「顔を出そう!」という範疇に踏みとどまっているので、3楽章のホルンのずっこけぶりはマイナスポイントだとしても、総体としては立派なエロイカとして仕上がっています。
どうやら、クナという人は「音楽を把握する最小単位」が常人とは異なるようなのです。普通の指揮者ならば、ある範囲内でオケをコントロールしていかないと滅茶苦茶になってしまうのに、クナはそれよりは大きな単位で音楽を把握しているので、一見するとオケが好き勝手に演奏しているように見えながら大局的にはクナの掌中に収まっているという雰囲気なのです。ただし、「音楽を把握する最小単位」というのは、実に感覚的な造語であって、その内実は言っている本人もよく分かっていないのです。
組織を引っ張っていくときに、細かい報告を部下に求めて、それをきちんと把握しながら的確な指示をテキパキと出しながら業務を遂行していく人は「やり手」と言われます。しかし、ごく一部ですが何もしていないように見えるリーダーが存在します。その大部分が見かけと同じように中身も全く無能であることが多いのですが、きわめて極まれに、部下に裁量権をゆだねてその能力と意欲を存分に引き出しながら大局として求められる方向に誤りなく導いていくというリーダーが存在します。
クナというのはそう言うタイプのリーダーかな?と愚にもつかないことを考えるユング君です。
ちなみに、ブレーメンフィルとの2番とベルリンフィルとの8番は文句なしにすばらしいです。ベートーベンの作品の中では影の薄いこの二作品が、かくも偉大なシンフォニーであったのかと目を覚まさせてくれます。
このようなベートーベンを聞かせてくれる人はクナ以外には思いつきません。
どうやらその芸術を受け継ぐべきものがいなかったのはフルトヴェングラーではなくてクナッパーツブッシュだったのかもしれません。
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2025-11-19:さとる
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