コダーイ:「ハーリ・ヤーノシュ」組曲 作品35a
ゲオルク・ショルティ指揮 バイエルン国立管弦楽団 1949年5月録音
Kodaly:Hary Janos suite [1.Prelude. The Fairy Tale Begins]
Kodaly:Hary Janos suite [2.Viennese Musical Clock]
Kodaly:Hary Janos suite [3.Song]
Kodaly:Hary Janos suite [4.The Battle and Defeat of Napoleon]
Kodaly:Hary Janos suite [5.Intermezzo]
Kodaly:Hary Janos suite [6.Entrance of the Emperor and His Court]
ハンガリー農民のイマジネーションと真実
1926年に喜歌劇「ハーリ・ヤーノシュ」が成功をおさめると、バルトークのすすめもあって、そのオペラから6つのエピソードを選び出して管弦楽用の組曲を作曲することになりました。そして、結果としてこの組曲がコダーイの代表作となりました。
この組曲は以下の6つの場面から成り立っています。各曲にはコダーイ自身によって説明が付与されています。
前奏曲、おとぎ話は始まる (Elojatek, Kezd0dik a tortenet)
「意味深長なくしゃみの音で”お伽噺は始まる”ことになります。」
ウィーンの音楽時計 (A becsi harangjatek)
「場面はウィーンの王宮。ハンガリーからやって来た純朴な青年ハーリは、有名なウィーンの”オルゴール時計”を見て、すっかり驚き、夢中になってしまいます。時計が鳴り出すと、機械仕掛けの小さな兵隊の人形が現れます。
華やかな衣装を身に纏ったからくり人形が、時計の周りをぐるぐる行進し始めるのです。」
歌 (Dal)
「ハーリとその恋人(エルジュ)は、彼らの故郷の村のことや、愛の歌に満たされた静かな村の夕暮れのことを懐かしみます。」
戦争とナポレオンの敗北 (A csata es Napoleon veresege)
「司令官となったハーリは、軽騎兵を率いてフランス軍に立ち向かうことになりました。ところが、ひとたび彼が刀を振り下ろすと、さあどうでしょう。フランス軍の兵士たちは、まるでおもちゃの兵隊のように、あれよあれよとなぎ倒されていくではありませんか!
一振りで2人、ふた振りで4人、そして更に8人10人・・・と、フランス軍の兵隊たちは面白いように倒れてゆきます。
そして最後に、ナポレオンがただ一人残され、いよいよハーリとの一騎討ちと相成りました。
とはいっても、本物のナポレオンの姿など見たことのないハーリのこと、『ナポレオンという奴はとてつもない大男で、それはそれは恐ろしい顔をしておった・・・。』などと、想像力たくましく村人たちに話します。
しかし、この熊のように猛々しいナポレオンが、ハーリを一目見ただけで、わなわなと震えだし、跪いて命乞いをしたというのです。
フランスの勝利の行進曲”ラ・マルセイエーズ”がここでは皮肉にも、痛々しい悲しみの音楽に変えられています。」
間奏曲 (Intermezzo)
「この曲は間奏曲ですので、特に説明はありません。」
皇帝と廷臣たちの入場 (A csaszari udvar bevonulasa)
「勝利を収め、ハーリはいよいよウィーンの王宮に凱旋します。ハーリは、その凱旋の行進の様子を、想像力たくましく思い描きます。しかし所詮は、空想に基く絵空事。
ここで描かれているのも、ハンガリーの農民の頭で想像した限りでの、それは豊かで、それは幸福な、ウィーンのブルク王宮の様子に過ぎません。」
この6つの場面は二つの世界から成り立っていることに気づかされます。
まず一つは、ハーリ・ヤーノシュという人物が生み出したイマジネーションの世界です。
第2曲の「ウィーンの音楽時計」はハーリがウィーンの王宮を訪れたときの話と言うことになっています。ハーリはその王宮でオーストリア皇帝フランツの娘から求婚されたが断ったと自慢するのですが、ここで描かれているのはその王宮にあった「オルゴール時計」の話です。
時計が鳴り出すと、機械仕掛けの小さな兵隊の人形が現れてぐるぐる行進し始め様子にハーリはすっかり驚き、夢中になってしまうのです。
そんなハーリは第4曲の「戦争とナポレオンの敗北」で、ハーリ一人の力でナポレオン軍を打ち破った話をはじめます。そのお話は3つの部分から成り立っていて、まずは勇ましくフランス軍が行進してきて、さらには英雄ナポレオンが登場するのですが、それもあっという間にハーリによって打ち破られるというのです。
そして、最後の第6曲では、ナポレオンに勝利したハーリは華々しくウィーンの宮廷に凱旋することになるのです。面白いのは、ここで描かれている皇帝や宮廷のお偉いさん達は、すべてハーリというハンガリーの素朴な農民が夢想した姿として描かれていることです。そして、それは第4曲で描かれるナポレオンにも共通しています。
小さな主題が馬鹿馬鹿しいまでの大仕掛けで表現されていく様子は、それが明らかに冗談音楽であることを示しているのですが、その冗談の向こう側に素朴なハンガリの農民の気質が刻み込まれていることにも気づかされるのです。
そして、その様なハンガリーの農民の真実の気質が美しく歌い上げられているのが、第1曲,第3曲,第5曲です。
つまり、この組曲はその様な真実と冗談のようなイマジネーションが交互に織りあわされているのです。
第1曲の前奏曲には、ただのホラ話ではなくて、それを生み出した民族の誇りが描かれています。
第3曲の「歌」はハンガリー民謡の「こちらはティーサ河、あちらはドゥーナ河」から編曲されたもので、民族がもつ深くて高貴な愛情が描かれています。
そして第5曲は「間奏曲」という素っ気ないタイトルがつけられ、コダーイ自身も「特に説明はありません。」と素っ気ないのですが、個人的にはこれがこの作品の中の白眉だと考えています。
私はこの音楽を聞くたびに、涙をふりはらいながら踊り続ける男の姿が浮かぶのです。
冒頭の旋律はヴェルブンコシュという、若者を軍に募るための舞曲によるものだと言うことなのですが、それがこの音楽に涙を感じさせる要因なのかもしれません。そして、ホルン・ソロに始まる素朴な美しさにあふれたトリオの部分がその涙にさらに深みを与えています。
土臭い、まさにマジャールの大法螺吹きとしてのハーリ・ヤーノシュ
少し集中してと言うか、継続してショルティの初期録音を追ってみたいと思います。
今さら言うまでもないことですが、ショルティほど毀誉褒貶の激しい指揮者はありませんでした。いや、日本においては彼を褒めているような人は殆ど見たことはありません。
しかしながら、ショルティ&シカゴ響はカラヤン&ベルリンフィルと双璧を為す存在であり、片やDeccaの、そして此方DG(Deutsche Grammophon)の表看板として君臨していたのです。そして、双璧をなし君臨していたというのは、グローバルに見れば毀誉褒貶がありながらも圧倒的に褒めている人が多いと言うことであり、この彼我における評価の違いにはいささか興味をひかれるものがあるのです。
明治以来、この国には西洋へのコンプレックスがあると言われつづけてきました。そして、クラシック音楽などと言うものは、そういうコンプレックスの牙城みたいな存在だと言われ続けてきました。
しかしながら、西洋においては高く評価されているはずのショルティを拒否し続けた日本人の選択は、そう言うコンプレックスの内実を探る上では興味深い対象と言えそうなのです。
そして、そのあたりのことをもう少し詳しく見ていけば、日本人のクラシック音楽受容というのは意外なほどに頑固であったことに気づかされるのです。
例えば、双璧のもう一つの片割れ(^^;にしてからが、この国では毀誉褒貶がありながらも圧倒的に「アンチ」であることがクラシック音楽ファンにとってのステイタスであり続けたのです。
そして、それとは真逆に、例えば西洋では三流指揮者扱いであったにもかかわらず日本では神のごとき扱いをされたマタチッチみたいな存在もあったのです。
こういうグローバルな評価と日本での評価の微妙なずれはそれら以外にもいくらでも指摘できます。
おそらくは、真面目な日本のクラシック音楽ファンは西洋における評価は「ちら見」しながらも、それを受容するかどうかに関しては意外なほど本音に対して素直だったように見えるのです。
そう言うスタンスに立ってショルティの業績を振り返るならば、彼の「何」が多くの日本人に拒否されたのかを追ってみることは十分に意味のある話なのです。
当然のことながら、それをフルトヴェングラーやワルターやクナッパーツブッシュなどを有り難がる西洋コンプレックスに原因を求めるのは正しくありません。
何故ならば、日本人に「無垢な西洋コンプレックス」があるならばショルティもまた有り難く受容しなければいけなかったからです。
しかし、多くの日本人が彼の音楽を拒否したというのは、どうしても受容できない「何か」があったと言うことであり、その「何か」を具体的に明らかにしていかなければショルティの「再評価」にも繋がらないでしょう。
と言うことで、彼の初期録音から順番に興味をひかれるものを少しずつ聞いていきたいと思うのです。
ショルティという人はそのキャリアのスタートから亡くなるまで、録音活動は一貫してDeccaで行いました。
これは考えてみれば凄いことであって、大抵はレーベル側の都合や演奏家側の都合、もしくは思惑などによってレーベルをいくつかは渡り歩くものです。
しかし、ショルティに関して言えば、1947年にピアニストとしてクーレンカンプと組んでブラームスのソナタを録音してから、1997年7月のチューリッヒ・トーンハレ管弦楽団とマーラーの5番を演奏したラスト・コンサートまで、それらは全てDeccaによって録音が行われたのです。
この潔いまでの潔癖さはショルティという音楽家の重要な一面を暗示しているのかも知れません。
よく知られていることかも知れませんが、そんなショルティとDeccaの初録音は指揮者ショルティではなく、ピアニストとしてスタートしました。
もちろん、セルやバーンスタインもピアニストとしての録音を残しているのですが、これはそう言う類のものではなく、本当にピニストとして録音活動のキャリアをスタートしたのです。
その背景には、彼がリヒテクというテノールの伴奏ピアニストをつとめていて、そのリヒテクの紹介でDeccaとのつながりが出来たたという事情があったようです。
つまりは、リヒテクはショルティを「優秀なピアニスト」としてDeccaに紹介したのです。
しかしながら、ショルティの望みはピアニストではなく指揮者でした。
とはいえ、ここでDeccaとつながりを築くのは重要なことですから、彼はクーレンカンプと組んでブラームスのソナタを3曲、ベートーベンのクロイツェルとモーツァルトのソナタ1曲を録音します。
そして、それと平行しながら、指揮者としての録音を強くDeccaに売り込むのです。
確かに、その頃ショルティはバイエルン国立歌劇場の音楽監督に抜擢されていたのですが、それはナチス疑惑によって多くのドイツ人音楽家がパージされたことによって空席が出来たためでした。ですから、「バイエルン国立歌劇場音楽監督」という肩書きがあっても、Deccaは指揮者としてのショルティの能力には疑問を持っていたようなのです。
しかしながら、その熱心な売り込みに根負けをしたのか、お試しの機会を彼に与えます。
それが、1947年にチューリッヒ・トーンハレ管弦楽団と録音したベートーベンのエグモント序曲でした。
彼の記念すべきDeccaでの指揮者として発録音の相手がチューリッヒ・トーンハレ管弦楽団であり、ラスト・コンサートの相手もチューリッヒ・トーンハレ管弦楽団だったというのはいささか因縁めいた話です。
そして、もう一つがここで紹介した手兵のバイエルン国立歌劇場管弦楽団と録音したコダーイの「ハーリ・ヤーノシュ組曲」でした。
これは、この年の8月にはロンドン響を使っての録音が本格的に始まりますから、ショルティにとっては最終テストのような位置づけだったのかも知れません。そして、Deccaにとってもそれは同様だったようで、本番と変わらぬクオリティで録音されています。
面白いのは、ここでのショルティは、私たちがよく知るショルティとは全く異なることです。
それを一言で言えば、彼の中に息づいているマジャールの血がそのまま触れ出たような土臭さに溢れているのです。それは、私にとってこの作品の「刷り込み」となっているセル&クリーブランド管の録音とは真逆と言えるほどの土臭さなのです。
それがどれくらい土臭いかと言えば、マジャールのおっさんであるハーリが小汚い酒場で嘘八百並べてくだを巻いているような雰囲気なのです。
「オレって強いジャン、メッチャ強いジャン!!」
「あのナポレオンなんて糞餓鬼が何十万人も兵隊連れて攻めてきても俺一人で十分だった訳よ!!!」
「一振りで二人、二振りで四人、三振りで八人・・・てな感じジャン、ソンで仕舞いにはナポレオンちゃんだけが残ったって訳よ」
「ところがよ、ナポレオンってのは熊みたいな大男だったんだけどさ、オレを見たらションベンちびって震えてんだよ、思いっきりワロタは!!!!」
みたいな場面が目に浮かぶのです。
これは実に面白い演奏なのです。
そして、おそらくは後のショルティを拒否した人たちであっても、きっとこれって面白いよね、と言われるのではないかと思うのです。
ただし、その数ヶ月語に始まるロンドン響との録音では豹変するのです。
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