クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~

モーツァルト:ピアノソナタ第12番 ヘ長調 K.332/300k

(P)アルド・チッコリーニ 1953年12月10日録音



Mozart:Piano Sonata No.12 in F major, K.332/300k [1.Allegro]

Mozart:Piano Sonata No.12 in F major, K.332/300k [2.Adagio]

Mozart:Piano Sonata No.12 in F major, K.332/300k [3.Allegro assai]


ピアノソナタ第12番 ヘ長調 K.332/300k


  1. 第1楽章: Allegro

  2. 第2楽章:Adagio

  3. 第3楽章Allegro assai


K.330からK.333までのソナタはウィーン時代の初期の作品であり、1783年のごく短い期間に集中して作曲されたと考えられています。しかし、凡な作曲家ならば、そういう風に作曲された一連の音楽というものは似たような雰囲気になってしまうことが多いのですが、モーツァルトの場合はその様な「具」に陥ることはありません。

このK.332のソナタの特徴は何よりも旋律的なラインに富むことであり「モーツァルトは自分の時代の堅苦しさ、寡黙さに背くことなく到達した表現の頂点」と評した人もいました。

また、この作品で注目すべき事は、第2楽章の初版譜には細かく装飾音譜が書き込まれているのに対して、自筆譜にはその様な装飾音は一切記されていないことです。
これを見て、原理主義的ピリオド楽派の連中が自筆譜の通りに演奏したならばそれは大きな誤りです。その辺りの経緯についてはこちらに詳しく知りしたことがありますので、興味のある方はご一読ください
ポイントだけ指摘すれば、モーツァルトの時代においては、ピアノというものは楽譜通りに淡々と演奏するものではなくて、「趣味よく」装飾をほどこして演奏するものだったと言うことです。

ですから、初版譜に記された装飾音は、おそらくはモーツァルトが実際に演奏したときの装飾の仕方を反映したものであり、そう言う演奏の姿を楽譜という形で残したものはほとんど残っていないので、それが印刷された楽譜として残っているのは極めて貴重なのです。
その辺りの事情が分かってきたことによって、新モーツァルト全集では自筆譜とアルタリア社の初版譜の両方が収録されるようになりました。

モーツァルトの人生におけるもっとも幸福な時代の作品




  1. ソナタ第10番 ハ長調 K 330・・・1783 <ヴィーンorザルツブルク>

  2. ソナタ第11番 イ長調 K 331・・・1783 <ヴィーンorザルツブルク>

  3. ソナタ第12番 ヘ長調 K 332・・・1783 <ヴィーンorザルツブルク>

  4. ソナタ第13番 変ロ長調 K 333・・・1783?< リンツ?>



K330からK333までの連続した番号が割り当てられている4つのソナタを一つのまとまりとしてとらえることが可能です。
従来は、K310のイ短調ソナタとこれら4つのソナタはパリで作曲されたものと信じられていて「パリ・ソナタ」とよばれてきました。この見解にはあのアインシュタインも同意していていたのですから、日本ではそのことを疑うものなどいようはずもありませんでした。
例えばあの有名な評論家のU先生でさえ若い頃にはハ長調k330のソナタに対して「フランス風のしゃれた華やかさに彩られているが、母の死の直後に書かれたとは思えない明るさに支配されており、ここにもわれわれはモーツァルトの謎を知らされるのだ。」などと述べていました。しかし、これは決してU氏の責任ではないことは上述した事情からいっても明らかです。何しろ、モーツァルトの大権威ともいうべきアインシュタインでさえその様に書いていたのですから。
しかしながら、現在の音楽学は筆跡鑑定や自筆譜の紙質の検査などを通して、K330からK333にいたる4つのソナタはパリ時代のものではなくて、ザルツブルグの領主であるコロレードとの大喧嘩の末にウィーンへ飛び出した頃の作品であることを明らかにしています。さらに、K333のソナタはザルツブルグに里帰りをして、その後再びウィーンに戻るときに立ち寄ったリンツで作曲されたものだろうということまで確定しています。

これら4つの作品にはイヤでイヤでたまらなかったザルツブルグでの生活にけりを付けて、音楽家としての自由と成功を勝ち取りつつあったモーツァルトの幸せな感情があふれているように思います。それはこの上もなく愛らしくて美しく、それ故にあまりにも有名なK331のソナタにだけ言えることではなくて、この時代のモーツァルトを象徴するような「華」をどの作品からも感じ取ることができます。
そんな中でとりわけ注目したのがK333のロ長調ソナタです。これは音楽の雰囲気としてはK330のソナタと同じようにまじりけのない幸福感につつまれていますが、愛好家が楽しみのために演奏する音楽というよりはプロの音楽家がコンサートで演奏するための作品のように聞こえます。とりわけ第3楽章ではフェルマータで音楽がいったん静まった後に長大なフルスケールのカデンツァが始まるあたりはアマチュアの手に負えるものとは思えません。さらにピアノをやっている友人に聞いてみると、第1楽章の展開部のあたりも全体の流れをしっかり押さえながら細部の微妙な動きもきっちりと表現しないといけないので、これもまたけっこう難しいそうです。
おそらくは、モーツァルトが自分自身がコンサートで演奏することを想定して作曲したものではないかと考えられます。しかし、作品を貫く気分は幸福感に満ちていて、その意味ではこの時代のソナタの特徴をよく表しています。

極めて直線的に、かつ明晰に弾ききっているように見えながら、その実はかなり細かい表情付けを与えていることに気づくはずです


チッコリーニは1953年と56年二回に分けてそれなりにまとまった数のモーツァルトのピアノソナタを録音しています。

1953年に録音したもの



  1. ピアノソナタ第2番 ヘ長調 K.280/189e(1953年12月8日録音)

  2. ピアノソナタ第9番 ニ長調 K.311/284c(1953年12月8日録音)

  3. ピアノソナタ第11番 イ長調 K.331/300i「トルコ行進曲付き」(1953年12月10日録音)

  4. ピアノソナタ第12番 ヘ長調 K.332/300k(1953年12月10日録音)



1956年に録音したもの



  1. ピアノソナタ第4番 変ホ長調 K.282/189g(1956年2月20日録音)

  2. ピアノソナタ第7番 ハ長調 K.309/284b(1956年2月20日録音)

  3. ピアノソナタ第13番 変ロ長調 K.333/315c(1956年2月21日録音)

  4. ピアノソナタ第15番 ヘ長調 K.533/494(1956年2月21日録音)



ただし、この3年の違いは録音のクオリティ的にはかなり大きくて、53年の録音はやや潤いにかけた響きになっているのが残念です。
ただし、そこでチッコリーニがやろうとしていることは同じです。

いわゆる、モーツァルトのピアノソナタというのはこういう風に演奏するものだという「継承」から一度自由になって、それをもう一度ラテン的な明晰さでもって再構築しようとしたものでした。そして、それは50年代という時代における大きな流れとなっていたのです。

その意味では、ほぼ同じ時期(1953年)に録音が為されたギーゼキングの全曲録音と同じライン上にあるようにも聞こえるのですが、聞き比べてみればどこか違うような気がします。

それはあちらはゲルマンの民であり、こちらはラテンの民であるというようなものとも違います。
ギーゼキングの方は、兎に角、まとわりついているものは全て取り払って綺麗にしてみましたと言う感じでしょうか。
それに対して、チッコリーニの方は綺麗にしたものをもう一度自分が考える、もしくは信じるモーツァルトの姿に仕立て直したような気がするのです。

その意味では、これをギーゼキングが聞けば、それもまた一つの歪曲とうつるかもしれません。
しかし、楽譜に忠実な即物主義と言っても、それもまた結局はスコアを根拠とした一つの自己主張に至らなければ、人間の変わりにプログラミングされた機械にピアノを演奏させればすむと言うことになってしまいます。
その意味では、徹底的に洗い流して硬質なクリスタルのような響きでモーツァルトを演奏してみせたギーゼキングもまた、ギーゼキング的に歪曲されているわけです。

巷間、チッコリーニが最晩年に録音したモーツァルトが高く評価されているようです。
曰く、モーツァルトは無垢な子供か枯れた年寄りでないと表現できないと言うことらしいです。
まあ、そんな阿呆なことはないのですが(^^;、それでもその様な物言いが出てくるのは、スコアに書かれた音符を正確に音に変換するだけではこぼれ落ちてしまうものがあることを認めていることは間違いありません。

こういう演奏こそは、スコア睨みながら聞いてみると面白いのかもしれません。

モーツァルトのスコアというのは驚くほどなにも書かれていません。
それは、書かなくても分かるだろうというモーツァルトの思いがあるからであって、演奏する側はその様なモーツァルトの思いを正確に受け取って形あるモノしなければいけないのです。
申し訳ないですが、なにも分からない無垢な子供に演奏できるような代物ではないのです。

そして、そうやってスコアを睨みながらチッコリーニの演奏を聴けば、極めて直線的に、かつ明晰に弾ききっているように見えながら、その実はかなり細かい表情付けを与えていることに気づくはずです。
その表情付けが歪曲なのか、それともモーツァルトの意に添った「趣味のいい演奏」なのかは、聞き手の判断と見識が求められるのでしょう。

少なくとも、晩年のよたよたした演奏よりはこちらを取りたいという気にはなります。

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